痛風の激痛発作と闘う。
ブログのアップがご無沙汰になっていたが、私がこの一週間何をしていたかと言うと、仕事以外はほぼ痛風の激痛発作との戦いに終始していた。現在、発作は収束し、足の腫れは退いて、やや難はあるものの苦痛なく歩けるようになった。
痛風という病気を知らない人のためにちょっと説明すると、これは体内の尿酸が上手く排出されず、そこに含まれるプリン体なる物質が主に足の関節に集まって痛みを引き起こす病気である。ごく初期の段階で適切な処置をすれば大事に至らないものの、放置しておくと様々な合併症の原因になる。
このブログのプロフィール欄にもあるが、私が初めて痛風になったのはもう今から7~8年前のことである。その時は左の足首全体が腫れ、何が起きたのか分からなかった。身に覚えの無い骨折をしたのかと思った。
そして今回は右足親指の付け根である。一番オーソドックスな部位で、今、ネットで痛風を調べても多くは痛む場所として第一にそこを挙げている。赤く腫れ、最初チクチクするような感じで、徐々に痛みが増してくる。
大体、私のような痛風持ちは普段から2種類の薬を持っていなければならないことになっている。一つは尿酸値を下げる薬。もう一つはその最初の予兆を感じた時にポイと一錠飲めば絶大な効果があるとされるコルヒチン。これが言わばお守りである。
しかし、数年前、ある人が週刊誌にこの尿酸値を下げる薬の副作用でもっと重篤な病気になった人の記事を読んだと教えてくれ、薬の名前を聞くと、正にその時私が服用しているものだったので即座に飲むのを止めた。以来、私は何年も薬を飲まずにいたが、ビールをたくさん飲むことを止め、普段から水分をたくさん摂るように心がける以外は何もせず、特に問題は無かった。
実はこの3月の下旬にも痛みはあった。それはごく初期の段階のもので、私は仕事場の近くの病院に行き、上の二つの薬を貰い、言われたとおり服用した。
問題はこの時、コルヒチンを3時間おきに摂るように言われ、痛みが治まったら尿酸値を下げる薬を飲むよう言われたことだが、このコルヒチンには副作用があって、腹痛を伴い下痢になる場合があり、私はドンピシャ、はまってしまった。それは足の痛みとはまた別の支障となって、結局、仕事を一日休む羽目になった。
なので、今回は自宅近くの病院で病歴と事情を話し、尿酸値を下げる薬だけを貰うことにした。痛みはまだ初期の段階なので、特に気にせず、医者も私が頼んだとおりの薬だけを処方してくれた。
が、これが後の悲劇の始まりとなった。
今、調べると痛風の発作が少しでも始まってしまったら、この尿酸値を下げる薬は絶対に禁物、とある。逆に発作を促進させてしまうらしい。そしてさらに悪いことに私はその時、風邪気味で、市販の風邪薬も飲んだのだが、これもいけなかったらしい。痛みのレベルが徐々に増しているのが分かった。
なのに、である。そこまでいけばもう安静にして次の治療の段階を検討しなければならないのにもかかわらず、馬鹿な私は先週の日曜日には一人映画に出かけ、ナタリー・ポートマン演じるバレリーナが妄想で足関節がボッキリ折れるシーンなどを我が事のように感じたりしながら見て、その後は競馬場に行き、数レース見た後、雨予報のため急いで帰宅する、などという事をしていた。多分その時で事態はレベル5くらい、その夜は痛みで眠れなかった。
翌日、車のアクセルはもう踏めないだろうと判断し、早朝、家を出てちょびちょび足を引きずりながら電車で出勤し、以前行った病院に行った。以前の薬は下痢になったから違う薬をくれ、と言ったが、今回もコルヒチンで、ただ、下痢止めの薬も一緒にくれた。
今、調べるとコルヒチンが効くのは発作の初期の段階までで、本格的に発作が始まってしまったら、もう効かないらしい。なのに私は律儀に3時間おきに飲み続け、お腹の具合を心配したりしていた。
で、悲劇は帰りの電車の中で起きた。足の親指の付け根から背骨を通って、頭頂部の百絵のツボまでを貫くような激越な痛みが私を襲った。一瞬、車内に白い煙が上がったのではないかと妄想した。
電車が右に左に揺れる度、ドンドン炉心溶融が進むようなファントムペインが私の体内を駆け巡って、私はつり革につかまっていると言うより、“サスケ”の第2ステージで力尽きる人のようになっていた。が、まさか、「痛風発作が酷くて立っていられませんので、座らせてくれませんか?」などと、人に言うこともできない。この段階ではついにレベル7。一歩も、ではなく、1mmも、もう自分の意志で右足を動かすことは不可能だった。
それで自宅の最寄駅に着いた時には開くドアから文字通り転がり出た。大声で駅員を呼ぶと二人がかりで肩を貸してくれ、タクシー乗り場まで連れて行ってくれた。私は負けたボクサーがリングを去る、と言うより、この世から退場して行く気分だった。歩いて7~8分のところを初乗り710円のタクシーに乗って自宅の玄関についた時には、大袈裟じゃなく私は痛みで気を失いそうだった。右足は象の足のように腫れ、赤く、熱を持っていた。
ネット等で見ると痛風発作はほおって置いても2、3日、長くても10日前後で痛みと腫れが退く、とある。が、その時はもうこれ以上、例え一晩でもこの痛みが続いたら人格が崩壊してしまいそうな気がした。それで、夜中、駄目もとでいつもの病院に電話すると、偶然、先生の奥さんがいて、強力な鎮痛剤を処方してくれるという事に。これが事態が好転のきっかけとなった。
放射能の雨の中、妻が貰いに行ってくれた鎮痛剤とはボルタレンという薬で、後で知ったが、これは強いモルヒネである。妻の話によると、その薬を投入した後、私は死んだように眠ってしまい、本当に死んだと思って何度も寝室を覗いては息を確かめた、と言う。
夢を見た。海中深くに沈んでいて、動けず息が苦しい。見上げると海の表面がエメラルド色に揺らめいていて、一人の女の子が浮かんだり潜ったりしながら息を私まで運んできてくれ、口移しに含んでくれる。誰だろう?分からないが、何故、こんな夢を見たかは明らかで、先日、『未来少年コナン』を全巻見たからだ。蘇生し、徐々に体が軽くなり、浮上すると目が覚めた。
翌朝はウソのように痛みが無かった。枕が汗でびしょびしょになっていた。足の腫れもやや退いていた。そして数日して、少しずつ指の感覚が戻ってきて、今日に至る。
☆
さて、今現在は痛みが無く普通に歩けるという事の喜びを噛みしめているところだが今回の事で反省点として考えたことが三つ、ある。
1 常日頃の安全(健康)に対する認識が甘かったと言う点。ビールを飲まないとか水分を多く摂るとかの予防的な措置のみで、具体的な備えが何もなかったこと。
2 初動のミス。移り変わる事態の把握が正確でなく、薬の投入が後手になった点。
3 正確な情報の開示。何故、医者はそれぞれの薬の投薬の段階を詳しく教えてくれなかったのだろう?上に書いたようなことは全て自分でネットで調べた。
考えればきっとまだまだあるが、やめる。ただ、去年の健康診断は夏だったのだが、暑くて食欲が無く今より5㎏痩せていて、その時、尿酸値は正常だった。医者に「治ってますね。さすがちゃんと治療している人は違いますね」なんて言われたほどだった。何もしていなかったのに。
であれば、痩せればいいのでは?と今本格的なダイエットを考えているところ。そしてこのダイエットと同時に目論んでいることは薬からの脱却。今は事態が沈静化したばかりなので、急にはやめられないが、今回感じたことは良くも悪くも西洋医学的なケミカルな薬は強く、体に悪い。今後はダイエットと並行して自然エネルギー、じゃなかった、漢方、ハーブによる自然治癒的な方法に転換し、それを2012年までに達成することを目標とする(菅内閣風)。
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今まで、「痛風って、どんな痛さですか?」と人に聞かれると、「怪獣に持ち上げられて、足首をバキッ!とへし折られるような痛さ」と、説明していたが、今回、聞かれて自然に口について出た言葉は「100㎏くらいの鉄球が足の甲に落ちてバラバラに砕け、その砕けた断面にクレイジーソルトをすり込まれ、そこをヤスリの角でぎこぎこ擦られるような痛さ」というもの。
大袈裟だと思うでしょ?でもMaxはその位になりますよ、ホント。皆さんも、(特にビール好きの男子)お気をつけて。
ところで、あの夢の中の女の子は誰だったのだろう?
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