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村上春樹のカタルーニャ文学賞受賞スピーチについて考えたこと。

 遅ればせながら村上春樹のカタルーニャ文学賞受賞スピーチについて考えたこと。

 http://www.47news.jp/47topics/e/213712.php?page=all

Photo_3 過去に日本の文学者が海外の、公の場で行ったスピーチで私が知っているのは三つだけ。まずノーベル文学賞を受賞した時の川端康成のスピーチ「美しい日本の私」。そして次もノーベル文学賞受賞時の大江健三郎の「あいまいな日本の私」。そしてイスラエル文学賞受賞時の村上春樹の通称「壁と卵」といわれるスピーチの、この三つ。

 今回のスピーチはなんと呼ばれているのだろう?今、調べると「非現実的な夢想家として」とある。そして、このスピーチについては今、ネット上に限らずあらゆるところで賛否が巻き起こっていると聞いて、ここ数日、様々な意見を読んでみた。

 賛美する人は大体のところ、良く言ってくれた!的なノリで、批判する人は何故、世界で唯一の被爆国でありながら日本が原子力産業に傾いていったかについての説明があまりにステレオタイプ過ぎる・・・と言ったものが多かった。

 私が読んだ批判の中で一番舌鋒鋭かったのは、写真家藤原新也のそれで、藤原氏は毒矢に射られた子供を例にして説明していた。痛いと泣きわめく子供を前にして、知識豊富な医者が矢の先が何で出来ているか、材質は何か、塗られていた毒は何か?と様々に分析する。

 藤原氏の批判は、そんな理屈を捏ねている医者より、駆け寄ってきて毒矢を引き抜く、ねじり鉢巻のオッサンの方がよほど聡明だ、ということで、村上氏については「すでに日本の社会に生きていない人」、「文学している場合じゃない」と批判していた。

 私は村上春樹と藤原新也の両者ともの長年のファン・読者なので心中複雑だが、藤原氏の上の批判についてはちょっと異を唱えたい。その論法でいくと今回の事では地震と津波に被災した人と原発事故で疎開を余儀なくされた人や被爆した人、また具体的に救援活動をしている人の言葉以外は無意味だということになってしまわないだろうか。

 私がこのスピーチを一読して最初に思ったことは、これがどの位置から、何処にいる、誰に向けられて発せられているスピーチなのかということ。

 放射能の拡散が同心円状でないことはすでに誰でも知っていることだが、不安や恐怖の度合いというのは案外今も同心円状のままだ。しかし、それもある距離を越えてしまってからはもう同じ質のものなってしまって、例えば沖縄の人とカタルーニャの人の不安はあまり変らない気がする。

 このスピーチはカタルーニャの人々(当たり前だ、カタルーニャ文学賞受賞のスピーチなのだから)と、その向こう側にいるスペイン人、さらにそこからさらにある距離を越えて同質の不安を抱いた、ヨーロッパの人達に向けたものだと私は思う。

 日本人の自然観や仏教でいうところの「無常」の説明など、普段、ヨーロッパ人が不可解と感じていると思われる日本人の特質を丁寧に説明するところから始まって、今後、原発以外のエネルギーを模索していく努力をするべきという結論は、多分、ヨーロッパの人達が今一番聞きたい言葉だったと思うし、きっと耳に心地よく響いたことだろう。言葉の選び方は的確で説明も分かり易く、ユーモアもある。

 だが私が個人的にこのスピーチを容認し難いのは広島・長崎について言及したところの、例の慰霊碑の言葉を引用したところだ。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」という言葉。それを彼は素晴らしい言葉だと言う。

 そして、慰霊碑の言葉と同じ立ち居地から、原子力産業を受け入れ、許してきてしまった日本人を、誰もが被害者であり、加害者でもある、としてしまった。

 しかし、広島・長崎の被爆者は一般市民であり、決して過ちなど犯していないと私は思う。原爆を落としたのはアメリカだ。また、今回の原発事故でも、原発の街で暮らし、避難を余儀なくされた人達も決して過ちなど犯していない。発電所を建てたのは国家であり、事故を起したのは電力会社だ。

 だいたいどうしろというのだ、国家が総力を挙げて戦争を遂行しようとしたり、一つの産業(原子力産業)を推し進めようとする時、それに反対する「卵」である我々は。

 そして同心円状のどのエリアにいる人も、本当は耳に心地いい脱原発とか代替エネルギーの話じゃなくて、「その時」人間はどうするべきなのか?を聞きたいのじゃないだろうか?彼のような文学者からの言葉として。「卵」が「壁」に対峙した時どうするのか?

 イスラエルの時はガザ侵攻が行なわれている最中、その渦中に行ってシステムを批判するということをやった。陰口ではなく、時の為政者・担当者の耳に届く形で、堂々と。

 それに比べると今回のスピーチは、挨拶とひかえめな謝罪(放射能を地球レベルで撒き散らしているということの)と、戦争責任についてもオネストであるという態度を含んだ、単なる日本紹介の域を出ていないような気がした。

 ただ、1960年代のイギリスの首相の発言など覚えていなくてもジョン・レノンの言葉を誰もが覚えているのと同じ意味で、菅直人じゃなく村上春樹が脱原発が日本人が今後模索すべき道とヨーロッパに向けて宣言したのは良かった、と思う。

 ・・だが、それ以上でも以下でもない、というのが今回のスピーチについての私の意見。

 そして、賞金が義援金として寄付されると言う点だけは具体的に意味があると思った。

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日記・その他 (227)」カテゴリの記事

コメント

長崎の人間ですが、
長崎の被爆者は自分たちを一方的に被害者だ、
とは思っていないと語ります。
やはり、開戦を止められなかったし、
むしろ開戦時の高揚感に浸っていた自分がいた、
という責めを感じている人が多いと思います。
そういう意味では、
「過ちは繰り返しませんから」という言葉はしっくりきます。

村上はこの言葉を広島長崎と同じ文脈で使っているのではなく、
まったく別の文脈で、しかし微妙なニュアンスを伝えるのに適した言葉として利用したということでしょう。
私たちの社会は、
長らく自民党政権を選択し、
不完全な原子力政策を支持してきた。
それも結果的には過ちだったのでしょう。
もっと技術的にコントロールできるできるようになってから、利用すべきエネルギーだったのかもしれません。

投稿: | 2011年6月17日 (金) 14時23分

 現在、福島県から山形県に疎開しています。毎日のように原発事故のニュースに目を凝らし、耳を澄ませ、今後のことに思いをめぐらせていますが、今回の村上氏の発言の中で「容認し難い」というものは私にはありませんでした。
 これまでも「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」については東京裁判史観を否定する人々が、容認し難いとの意見を表明しておりました。(パール判事の反応等を紹介しつつ)
 その件についての是非はここでは触れませんが、村上氏がスピーチの中で述べているように、今回の原発事故を日本人が自らの手で引き起こしてしまった(原子力が提供する生活を多くの日本人が享受してきた)ことで、残念ではありますが「過ちは繰り返しませんから」は私の中で非常にリアリティーのある言葉に変質してしまいました。(それは子供達の未来に対して)
 ただし、日本が原子力を導入する過程で起ったこと、そして原子力を維持するために行ってきたことを知ると、ナヴィ村が言うこともわからないではありません。(下記の映像はどちらも長いものですが、この件について考えさせられるものがあります。是非ご覧ください。)

http://growingpeace.blog15.fc2.com/blog-entry-157.html

http://www.ustream.tv/recorded/13446422#utm_campaign=unknown

投稿: ほぴ村 | 2011年6月17日 (金) 21時15分

 ↑にコメントを下さった長崎の方、ありがとうございます。
 
 放射能被爆という不幸に対しても、長崎の人々には歴史と深い内省があるのですね、感服します。

 福島の原発事故については、私もあの原子力発電による電気を享受した生活を送ってきた東京人として責任を強く感じる者ですが、多分、今、多くの人が感じている<その感覚>を、あの慰霊碑の言葉で説明されたことに、今度は福島県人として、違和感を感じたということです。特に、スピーチのその後に続く、“被害者でもあり、加害者でもある”とする“加害者”という言葉に。

 ただ、ほぴ村氏のコメントにあるように子供達の未来に対してと言うのなら、あの言葉は全く私もその通りです。

 また、村上氏のスピーチの中でのあの言葉の使われ方が、ドイツなどに比べ戦争責任に対する態度が曖昧だと見られがちな日本から来た作家としての、ヨーロッパ向けの配慮と感じられて、その冷静さ、そつのなさに、ちょっと・・と感じてしまいました。

 あの言葉は“素晴らしい言葉”という以上のものだと思います。

 もっと違う文脈の中で語られたなあ、と私は思ったのでした。

 また、私もエントリーの中で、その辺りのことをもっと丁寧に書くべきでしたね。

 一刻も早く東京電力福島第一原発の事故が収束してくれるよう、「卵」は、今、祈るしかありません。
 

投稿: ナヴィ村 | 2011年6月18日 (土) 18時21分

長崎からひとこと。村上さんは「過ち」を核という過ちのことにしてしまっています。あれは戦争という過ちのことではないのでしょうか。
広島と長崎に原爆が落とされたのは偶然ではなく、両者が重要な軍事都市であったからです。長崎には最先端の軍需工場があり、炭鉱には強制労働がありました。炭鉱の島で重い鎖につながれた外国人を見たという老人がぼくの知り合いにいます。長崎の華僑たちは自分の両親や祖父母の代の苦労をよく記憶しています。市民は長崎と利害をともにし、従順で、結果的に戦時体制を容認していました。

今、ぼくのまわりには諫早干拓に反対する市民がほとんどいません。干拓によって有明海が死んでいくのを知っているのに、です。戦時を知らなくても、このようなことだったんだろうと思います。外からよく見えることも、どっぷりそこに浸かっていると見えなくなります。長崎には核の平和利用にも反対する被爆者たちとともに原発を開発する人たちもいます。福島の人たちをなだめるために派遣された医者もいます。

「過ちは繰り返しません」……でも過ちは繰り返すものですよね。人間の歴史は過ちの繰り返しです。個人もそうですし、社会もそうです。問題は過ちを繰り返してしまった時にどうするかでしょう。それだけが現実的です。

エルサレムでは自分は嘘をつくプロだと言い、カタルーニャでは非現実的な夢想家であろうと訴える村上さんに一番欠けているのは現実との接点ではないでしょうか。実感がない。それが彼の作品の特徴でもあります。それはぼくが「東京」から受ける印象です。

こんな時に限って「無常」などという取ってつけたような言葉を持ち出して日本を特別扱いする。それは外国のステージでだけ着物を着るミュージシャンや、ゴールを決めた後にペコペコお辞儀をして見せるサッカー選手と何も変わらない、ありあわせのパフォーマンスです。

なぜ実感がないかというと加害者側に立っているからです。戦争の時も、原発事故の時も、被害者の痛みを分かち合えるのは、しいたげられた人たちではないでしょうか。
長崎には自分たちが犠牲になって戦争を終わらせることができたと言ってはばからない被爆者がいる。もちろん全員ではないですよ。世代を超えた怨恨もあります。そのどちらにもすさまじい実感があります。実感は嘘や夢想で得られるものではありません。

投稿: 集平 | 2011年6月19日 (日) 15時02分

 集平さん、こちらの方にもコメントありがとうございます。前回のコメント、頂いた嬉しさから、早速“集平のブラックボックス”、リンクさせて貰いました。

 集平さんと私の違う所は、まず、私が村上春樹のファンだというところです。世代的に彼の作品が初め「あんなもん、小説じゃない」的に言われていたのが、段々と評価が上がり、世界中で読まれるようになる様を見るにつけ、まさにビートルズの音楽もこのようだったのでは、とすら思う程でした。

 それはこのブログで過去に彼や彼の作品について書いた時の文章を今読んでも気恥ずかしくなるほどで、エルサレムの時も、素直にカッコいい!と喝采したものです。

 だから今回のカタルーニャのスピーチも最初、新聞に出ていた要約のようなものを見て、“非現実的な夢想家にならねば”云々の言葉に、勇気を与えれたような気持ちでいたのです。

 だが、その後、全文を読み、YouTubeで映像を見るに至って、印象がガラリと変わった。あれ?って。その事に自分自身がまず驚いたのですが、何か、編集したつぎはぎのデータと文章を彼が読んでいるように感じました。

 これは集平さんが言ってくれた「実感」がないというやつですが、そこでさらに思ったのは、これは以前の彼は良かったのに、今回はダメ・・・・という話じゃなくて、変ったのは自分の方じゃないか?という事。

 地震と福島原発のことがあって、言葉のリアリティということに対する自身のセンサーが上がってしまい、彼の空疎な部分が分かるようになったと言うか。

 そしてYouTubeで見るとハッキリ分かるのですが、何処が一番空疎(嘘臭い)かというと、あの慰霊碑の言葉のところなんですよね。それが、ちょっと我慢がならなかった。

 私が今一番思うことは、あの地震の時、彼は何処にいたのだろう?ということです。まあ、実際に何処にいようと勿論構わないのですが。

 現地主義というわけではありませんが、今回は普段地方の自然災害に対して情報としては知っても、実感としては無縁であることがさも自明であるかのような東京人でも事態の深刻さにたじろいだのは、自分達も“揺れた”からです。

 記事にも書きましたが、恐怖の度合いというのは原発事故に関しては未だ同心円状です。現地から遠ければ遠いほど安心の度合いが高いというのは当然ですが、彼の言葉はとてもとても遠くにいる人のそれのように感じた。それは東京人が感じた程度の切実さも感じられない程に。

 集平さんが教えてくれた長崎の事は、外部の人間には文章で読むだけで眼からウロコのような話ばかりですが、そうした経験を話す生身の人が周囲にいるだけでそれは凄い実感だと思います。

 私も原発の最初の建屋が水素爆発した後、政府の避難圏内の距離が刻々と広がって行って、まるでスティーブン・キングの『スタンド』さながら、そこから追われるように家族を連れて逃げた弟と友人の話に強烈な実感を植えつけられました。

 確かに実感は嘘や夢想からは得られませんね。 
 

 

投稿: ナヴィ村 | 2011年6月19日 (日) 20時35分

ナヴィ村さん「指定席」リンクありがとう。

ここに書きすぎないようにしなきゃと思いますが、話しついでにもうひとつ。
同心円でいえば大変遠い長崎の人たち、特に原爆の落ちた浦上の人たちは今、他人事ではない恐怖と悲しみのうちにあります。浦上天主堂では被災された方々への祈りが毎日捧げられています。家庭でも祈るように勧められています。ここの文脈でいうと、まさに実感のこもった祈りです。

浦上のカトリック信者たちは、長くて過酷な宗教弾圧の歴史を耐えてきました。原爆では多くの家族や友人を失い、非科学的で非人道的な被爆者差別も経験しました。
カトリックとは結婚するなと親に釘を刺されている長崎の若者をぼくはいっぱい知っています。そんな差別構造の上に現代日本の安穏があることを多くの日本人、多くの都市部の人たちは知りません。

高いところに上ると遠くが見えます。同心円でいうと近くははっきりと、遠くはかすんで見えます。でも、遠くにいる人間のことは低いところに立ってみないと見えないとぼくは思います。長崎の、口下手な働き者たちが福島をとても身近に感じているということを覚えておいてください。

投稿: 集平 | 2011年6月19日 (日) 22時13分

 遠くにいる人間のことは低いところに立ってみないと見えない・・・この言葉、今回、教えて下さった長崎の人達の事とともにづっと覚えておこうかと思います。

 遠くにいる人間のことは低いところに立ってみないと見えない。

 集平さん、本当にありがとう。

投稿: ナヴィ村 | 2011年6月20日 (月) 04時54分

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