火神(ひぬかん)
三号炉からはまだ白煙が昇っている
線量計の数値もまた上がるだろう
避難区域からさらに南に20㎞
届かないSOSが風に舞い
公園を避ける母親達の足元で また
影は黒く光るだろう
壊れたラーメン屋
垂れ下がる電線と 流れ着いた車の山よ
道に倒れた地蔵を 誰が
抱き起こすのか
犬、鳥、男 そして 海のあらゆる魚たち
猫、花、女 そして 森のあらゆる蝶たち
その 被爆した傷を 一体 誰が
癒すのか
投げられた見えない毒の投網は
同心円状に 日々その距離を伸ばしている
捕えられたのは日々の暮らし と
アルバムの中の思い出
そして夢
投網の中で夢は
もがき、苦しみ、泣き、
痙攣し、痛覚を失い やがて呼吸を止める
誰が
夢の死を弔うのか
☆
一本の矢がある
矢の先端には野生の火がくくられている
火が狙うのは原子力の火である火を打ち消す火は
人間の火でなければならない火は
魂の火でなければならない
射手は シヴァ神の化身でなければ
ならない
放出された放射性ヨウ素131の半減期は8日
放出された放射性セシウム137の半減期は30年
放出された放射性プルトニュウム239の
半減期は2万4065年
だが
この火に半減期は無い
全てが滅んでもなお不死なるもの
国家は
国家より高いもので壊さねばならぬ *
小さな体育館で
線量計の警告音の幻聴を、太鼓の音がかき消す
鳴り乱れる太鼓の響き
打ち鳴らされるじゃんがらの鐘
彼方で火神(ひぬかん)が叫ぶ声が聞こえる
火神(ひぬかん)は笑え、と叫ぶ
火神(ひぬかん)は泣け、と叫ぶ
毒の投網をかいくぐり 生きて
なおも咲きこぼれる花々
パンジー ダリア スイートピー
あるいはバラ
朝顔 ひまわり ハイビスカス
あるいはブーゲンビリア
愛しい花
最愛の花
最小の戦略で最大の戦果を挙げる
優しい狼のように
フクロウの声を聞き風の道を辿る
森の案内人のように
甲板で星を読み航路を探す勇敢な羅針盤の
針の先端のように
あなたは踊る 被爆した大地を癒すため 踊る
あなたは祈る 死者たちの霊と
死んだ数々の夢を弔うため 祈る
あなたは跳ぶ 放射能を打ち消し 一本の稲に
優しい慈雨をもたらすため 跳ぶ
あなたは叫ぶ チェルノブイリの風とビキニの海
そして フクシマの野に 叫ぶ
あなたは歌う ヒロシマの涙とナガサキの祈りに歌う
サンシン
サバニ デイゴ 島歌
メヒカリ
ハワイ 炭坑節
太鼓が鳴っている 次の震源は私である
太鼓が鳴っている 次の震源はあなたである
太鼓が鳴っている 私とあなた
私たちは火であることをここに宣言する
火は不毛の現代(いま)を焼き尽くし
あらゆる都市に侵入し 全ての窓を照らす
太鼓が鳴っている おう なんという光
太鼓が鳴っている おう おう なんという炎
太鼓が鳴っている おう おう おう なんという花
おう なんという火の花
なんという火花 なんという花火
太鼓が鳴っている 火神(ひぬかん)よ
太鼓が鳴っている 火神(ひぬかん)よ
太鼓が鳴っている 南無阿弥陀仏
太鼓が鳴っている 南無阿弥陀仏
故郷の海で
みんなみの島で
太鼓が鳴っている
じゃんがらの太鼓が鳴っている
* は堀川正美詩集『けだものに涙』より引用
縄のエイサーの起源が我が郷里福島県いわき市に伝わる、じゃんがら念仏踊り、だということは以前にも、このブログに書いた。
ttp://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/__0f27.html
http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-92a5.html
今から約400年程前、いわき出身の袋中(たいちゅう)上人と言う浄土宗の僧が大陸に渡ろうとして、たどり着いた今の沖縄で、仏教の教えを広めるため民衆に教えたのが始まりとか。
沖縄といわき。エイサーとじゃんがら。そのような縁もあってか、先週の6/26、日曜日、いわき市立小名浜第一中学校の体育館で喜納昌吉&チャンプルーズのコンサートがあったらしい。
あったらしい、と書くのは私は行っていないからだが、主催者の一人は私の友人で、また、山形で避難生活中の弟も見に行って、どんな様子だったか詳しく教えてくれた。そして3/11の震災からその日まで、どのような経緯があってコンサートが実現したのか、その詳細を聞くだけでも、何か胸の熱くなる思いがした。
コンサートがあった翌日、まだ興奮冷めやらぬ様子の弟が電話口で、喜納昌吉の『火神(ひぬかん)』というアルバムを聞いてみろと、さかんに言っていた。仕事帰り、私はCDショップに行って探したが、無かった。しかし、火の神、と書いて、ひぬかん、と読むその言葉の響きに強く想像力を打たれて、みるみる一編の詩ができてしまった。
この詩を震災と津波で亡くなった人達の霊といわきの仲間に。そして、喜納昌吉に。
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- My Humberger Stomp(2024.04.13)
コメント
喜納さんの「火神(ひぬかん)」は僕の中では封印していたアルバムです。
伝説の88(いのちの祭り)で雷雨、稲光の中で文字通り「火神」となり、PAもろくに回復しない中で壮絶なステージを展開した喜納昌吉&チャンプルーズを思い出してしまうと、その後まともな社会生活を送れないと思ってしまったからです。
88の後、ホピの居留地を訪れ、ネイティブ・アメリカンの教えを抱きながら一生活者として暮らすことに意味があると自分なりに答えを出し生きてきたつもりですが、そのような消極的な暮らしは原発事後の今となってしまえば、まともな生活ではなかったのでは?と反省せざるを得ません。
先日の小名浜第一中学校で行われたライブで喜納さんは一曲目に「石笛のうた」を歌いました。「沖縄(うちなん)広島、長崎、泣くな、泣くな」のリフレインの最後に「福島、いわき、泣くな、泣くな」と歌われ、郷土が広島や長崎と並ぶほどの悲劇に襲われた(悲劇を招いた)ことを改めて実感し戦慄しました。また、私が目撃した88以降も全くぶれることなく、あの日と同じ姿勢を崩さない喜納昌吉に感動を覚え不覚にも涙してしまいました。
世界中の「弱者(ホピ、アイヌ、チベットなど)」の立場に立ち、その土地から聞こえてくる音を「チャンプルー」して世界を「祭り」に巻き込んでいく…そのサウンドが持つ力に本当に勇気をもらいました。喜納さん、ありがとう!
投稿: ほぴ村 | 2011年7月 1日 (金) 22時59分
いわきのジャンガラに似た念仏踊りが長崎にあるので紹介します。
・平戸ジャンガラ
・五島のオーモンデー、チャンココなど
韓国にもある。
海でつながっている可能性はありますね。
400年前というとキリシタンの時代、大航海時代です。われわれの想像を超えた国際的な背景を持つものではないかとぼくは考えています。
喜納昌吉とは1980年ごろに保坂展人を通じて知り合いました。内申書裁判でボロボロになっていた保坂を沖縄が元気づけます。今、乱用されている「元気印」という言葉はそのころの保坂の造語です。実はぼくが作ったロゴ・マークもあるんですよ。当時の教育に押しつぶされそうになっている子どもたちの旗印として掲げたものです。
投稿: 集平 | 2011年7月 3日 (日) 00時48分
集平さん、コメントありがとうございます。
“沖縄のエイサーの起源・いわきのじゃんがら”説を初めて聞いた時、結構、僕はびっくりして、色々と調べたので、平戸じゃんがらについては知っていました。が、五島のオーモンデー、チャンココというのは初耳です。
集平さんのおっしゃる通り、網野善彦の本などを読むと、日本の中世のというのは一般に理解されている以上にもっとダイナミックな人の移動が内外にあり、事実はもっと複雑で豊かなものだったのかも知れません。で、そのほんの微かな断片を、文献として残っている袋中上人の活動に集約させてしまっている可能性はあるでしょうね。
いわきの中でもじゃんがらの成立については説が幾通りかあって、袋中説は時期が合わず矛盾しているという人もいるようです。
↑の弟のコメントの中にある88年の反原発のイヴェントの時、韓国のサムルノリの演奏を初めて見たのですが、その時、いわきのじゃんがらみてぇだなあ、と思ったのをハッキリ覚えています。そう、大陸からの影響も考えられるでしょうね。
喜納昌吉については、僕も生涯忘れえぬライブ体験というのを幾つかさせてもらっていますが、その一方で、様々な市民運動の場で、あまり良い話を聞かなくて、複雑な思いを抱いていました。
が、今回の小名浜で、伝え聞くところによると彼はいわきのじゃんがらを見て、感動を述べると共に「沖縄のエイサーを駄目にしてしまったのは自分なのではないか?」と語っていたということで、僕の中でみるみる何かが氷解していくような気がしました。
いわきのじゃんがらは基本的に死者への鎮魂を込めてのみ毎夏踊られるもので、沖縄のエイサーも本来そうしたものであったはずなのに、自分があらゆる場所に引っ張り出したがために陳腐なパフォーマンスに堕してしまったのではないか?と要約するとそんな発言だったようです。
僕の中の喜納昌吉という人は天衣無縫というか、腹立たしいほど自信満々で、自己顕示欲が旺盛な人という印象でしたが、彼が派手で輝かしい?経歴を積み重ねていく陰で、そのような自戒と後悔の念を抱いていたと知って、僕はそのことに感じ入ってしまいました。
彼は「全世界が今、あなたたちの今後の生き方を見ている。これからの人類の新たなルネッサンスはこの福島の地から始まる!」と言ったそうで、本来、僕は彼のそうした発言が大嫌いだったのですが、いわきの現状を知るにつけ、今回限りはそうであって欲しいと切に思いました。
そうですか、「元気印」というのは保坂展人の造語なのですか。88年のイヴェントの時、僕は弟や友人たちと10日間ずっと現地でキャンプしていたのですが、彼もその時、喜納昌吉同様ともに一緒にいた一人です。喜納昌吉はその後民主党の議員にもなり、保坂氏は言わずもがな現在、世田谷区の区長ですが、何か隔世の感がありますね。
集平さんが作ったロゴマークの旗見たいです。今、故郷や親と離れ、避難場所で勉強している子供達が各地にいると聞きます。その旗がまた掲げられることを夢見ます。
PS いわきのじゃんがらをレコーディングし、CD化したのは僕の友人なのですが、このCDは忌野清志郎と下村誠に捧げられています。
投稿: ナヴィ村 | 2011年7月 3日 (日) 14時44分
元気印、以下に置きました。
http://www.cojicoji.com/shuhei/genki_mark80.jpg
読者の投稿にぼくが手を入れて作ったものです。落書きしやすいようにというのが保坂の出した条件だったので、厳密な比率などは決めませんでした。顔がまん丸でも横長でも縦長でも、目がどんなになってもOKです。このマークの絵描き歌もあるんですよ。
いわきジャンガラは個人が始めたことではないでしょう。名もない下層から下層へとリズムは伝承されのではないかと、ぼくは牛深ハイヤ節を考察する中で考えました。まことしやかな名を冠することでそれらは生き延びることができた……。
昌吉で一番好きなアルバムは「赤犬子」です。民謡を歌う昌吉。彼は言葉の人ではなくビートの人だと思えば、ぼくは安心できます。沖縄性善説、すべての人性善説は苦手です。すべての人が花を咲かせるなんてできないと思います。なら、どうするかというのがぼくが向かい合ってきたテーマでもあるんで。
投稿: 集平 | 2011年7月 3日 (日) 16時06分
集平さん、早速の元気印、ありがとうございます。すぐ描けるように練習します(笑)。
彼は言葉の人ではなくビートの人・・・そうですね、ぼくも「ハイサイおじさん」の例のイントロを聞く度、これは沖縄の“ジョニー・B・グッド”みたいなものだなぁ、と思います。彼は沖縄のチャック・ベリーみたいな・・・。
民謡を歌う昌吉、良さそうですね。「赤犬子」聞いてみます。
投稿: ナヴィ村 | 2011年7月 3日 (日) 20時29分