« 丸い虹 | トップページ | 2011 安田記念 G1 »

データと身体

Photo_2  五月最終週に痛風の激痛発作に襲われて以来、ずっと考えていたのは「痩せよう」ということ。去年、夏痩せし、その時の健康診断では尿酸値が基準値内だったことがどうしても頭から離れずにあるからだ。

 それで「走る」か、「泳ぐ」か、はたまた何か別の方法をとるか、と、思案しながら何気に計りに乗ると、なんと既に発作時より4㎏体重が落ちている。別に何かを意識したわけではないが、あの痛みの記憶が自然、過食や危なそうな食品を遠ざけていたらしく、何事かを実行に移す前に既にある程度の結果がもたらされていたという嬉しい誤算。

 それで考えたこと。人間の体は思考を排したところで無意識に必要なものを摂取したり、拒否したりして、健康を維持しよとする働きがあると言われるが、今回の発作も何かの「サイン」だったのではないか?ということ。

 分かり易いことで言えば、私は普段から異様にコーヒーやお茶を飲むが、これは痛風を意識したことでは全然なくて、単にカフェイン中毒だと思っていた。が、もしかしたらそれは尿酸を体外に排出せよという体からのミッションだったのかもしれず、して見ると酒や他の食品もなんらかの理由があって嗜好のパターンが作られていることは大いに有り得る。

 一般的に言って、大きく考えらることの一つはストレス。私は元来ストレス太りする性質で、何か大きな問題に直面するとバクバクと喰う。それは「食」という行為による「快」が何事かから精神を防御しようとするかのようで、だからそれもある種のミッションであるならば過食であっても健康は維持される筈だ。事実、あるテンションの中にいる時は何を食べても飲んでも痛風とは無縁だった(ような気がする)。無論、太ったが。

 それで、今回の発作を自分なりに結論付けたのは、私の日常におけるテンションが今、崩れつつあることに起因しているのでは?という事。

 現在、私は4年間続いたある大きな仕事を終えようとしており、精神は緊張から弛緩へと下山中で、だから精神とのギャップを持ったままの体が「もういい。やめろ。」とミッションを発したのだと思われる。(それにしちゃ、痛いミッションだったが)。

 痛風の痛みから解放されてからそう時間を置かずして体重が減っているのはダイエットや養生の結果などではなくて、つまりはストレスから解放されつつあり、徐々に「喰う」必要が無くなってきているからなのだと思う。

                   ☆

 で、話がいきなり飛躍するが、あるブログで本当に二酸化炭素の排出が地球温暖化の原因なのか?という記事を読んだ。これは昔から言われていることでもあるが、地球は過去にも寒冷期と温暖化を周期的に繰り返していて、今は単に温暖化の時期に当てはまるだけなのでは?、とする説。

 私は考古学を一応生業としているので言うが、縄文中期のいわゆる「縄文海進」の頃が前の最も温暖化した時期に当たる(そうだよな?だって、日本列島の形が変わって見えるほど海が陸地に侵食するほどの温暖化なんてその後は無いもの)。

 そして、誰が二酸化炭素説を言い始めたかと言うことだが、それは「二酸化炭素ビジネス」を始めた連中と、原子力発電がクリーンエネルギーだと宣伝したい原発推進派の人々だとする説。確かに80年代後半の反原発運動以降、この二酸化炭素による温暖化がまことしやかに言われるようになった気がする。

 縄文中期の土器は異様に装飾性に富む。それは劇的な環境の変化に直面した人々が人智を超えた力を畏怖し崇めた、いわゆる「祭祀」的な意味が強いと言われている。

 翻って現代の我々はどうだろうか?残念ながら私たちは同じ状況(と仮定して)を、祈るのではなくビジネスに変えてしまった。それは近代人の奢りとしか言いようが無い事だが、しかし、原子炉に水をかけたり、汚水の中に新聞紙を投げ入れている、「ギャートルズ的」様を見るにつけ、人間は何も変っていないのだと実感する。それどころか危機を察知し、回避するという身体・本能だけ見れば確実に縄文人より退化している、と思う。

                   ☆

 かつて激動の60年代を称してボブ・ディランは「いろんなことが同時に起こる」と言った。今、多くの人と話して良く出るのは「もう、何がなんだか分からない」という言葉で、悲しいがそれが真実だ。そして、本当はそんな時は新しい哲学が必要だが、今のところそんなものは提示されず、私たちは過去の使い古された杖を代用してとぼとぼと歩かざる得ない。

 一つだけ有効と思えることがあって、それは自分の体の声に耳を傾けること。そして、できれば鍛え、その声を大きくすること。本能のセンサーを鋭敏にして日常に潜むあらゆる危機を注意深く拒むこと。

 もう一つはマックのスティーブ・ジョブスの演説ではないが、心の声をきくこと。我が故郷のいわきにしても、留まる者、疎開する者、私のように離れた場所から見つめる者、と三様に生き方が分かれてしまったが、誰を正しいとも言えないし、誰を非難もできない。ただ、それが心からの声に従った結果であるなら、それぞれ、信じることだ。

                   ☆

 山形の長井市に避難している弟がガイガーカウンターを購入し、周辺を計測したデータを今日、早速、教えてくれた。大体、0.09マイクロシーベルト~0.19マイクロシーベルトの範囲だとのこと。これでいくと年間被爆量は1mmシーベルト(=1000マイクロシーベルト)ほどで、これは原子力の仕事に従事している人の年間の基準値と同じ、もしくはそれ以下で、ひとまずは安心したようだったが、それでも新聞などで発表されている数値よりはやや高い。今月の半ばに東京に来る予定があるので、その時、東京でも測ってみようと言っていた。そして先月NHKで放送された、『放射能汚染マップをつくる』という番組の続編が明日、放送されると教えてくれた。

 痛風の話から大きく飛躍したが、尿酸値も放射線量も安全の基準値があり、科学的(医学的)データが出る。そのデータを踏まえ、自分の身体でどうパフォーマンスするかということに実はかかっているのだが、この3ヶ月、自分も含め日本人はそのことに疎い国民なのではないかとずうと感じていた。

 そして、次の、新たな哲学はこのデータと身体との関係性の中から立ち上がってくるような予感がする。

|

« 丸い虹 | トップページ | 2011 安田記念 G1 »

日記・その他 (227)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/186188/40266912

この記事へのトラックバック一覧です: データと身体:

« 丸い虹 | トップページ | 2011 安田記念 G1 »