« シャンクスの帽子~“NAKED SONGS EXTRA -PRAYER FOR TOHOKU”レポート  | トップページ | 火神(ひぬかん) »

ベン・シャーンの Lucky Dragon と苫米地サトロの歌



ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸 Book ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸

著者:アーサー・ビナード
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 リトアニア生まれで20世紀のアメリカを代表する画家ベン・シャーンに『Lucky Dragon』という連作があることを知ったのは友人のシンガーソングライター苫米地サトロの歌を通してだった。

 彼のファーストアルバム『酸っぱい天使の雨が』の3曲目に同名の曲があって、ライナーノーツの自身の筆による曲紹介によると、「僕のふるさと福島市の福島県立美術館所蔵の、ベン・シャーンの作品からタイトルを貰いました。サトロになって初めての曲です。」と控えめに書かれている。

 『Lucky Dragon Seriese』は1954年3月1日、ミクロネシア諸島ビキニ環礁沖を航行中のマグロ延縄漁船第五福竜丸の乗組員23人が、アメリカが秘密裏に行なった水爆実験による死の灰によって被爆した事件、いわゆる「第五福竜丸事件」を題材とした絵で、事件に衝撃を受けたベン・シャーンが、月刊誌「ハーパーズ」で物理学者ラルフ・ラップが連載していた事件に関するルポタージュに挿画をつけ、それが発展したもの。現在、絵はばらばらに、様々な美術館に所蔵されている。

 先ごろの、ドイツとイタリアが脱原発を決めたニュースを聞いて、私は唐突に、第二次世界大戦の敗戦国の戦後とその核利用について興味を持った。

 原子力発電と言っても核は元々兵器として開発され、それを平和利用しようとしたものなのだから、遡ると、戦争に行き着く。

ドイツとイタリアの場合、戦勝国の道具である核を敗戦国のメンタリティが拒否しているのではないか?との当てずっぽうな妄想からの興味なのだが、今、色々と調べ始めたところでまだ何も分からない。

で、かつての同盟国はさて置き、我が日本は?と考えると、日本の戦後にはこの「第五福竜丸事件」がある。そして広島・長崎から9年後に起きたこの事件が、その後の我が国の核政策に大きく影響し、それは結果的に“脱原子力”とは逆の作用をもたらしたのは事実のようだ。

 http://growingpeace.blog15.fc2.com/blog-entry-157.html

この事件の後の国内における反米・反核感情は強烈で、それが当時の「貧困」と結びついたら日本は共産化するのでは?と恐れたアメリカは、日本のメディアの草分けと共に、戦略的に“核の平和利用”のプロパガンダを開始する。

 “一億総放射能アレルギー”とまで言われたムードが一転して、東海村に最初に“原子の火”が点ると提灯行列が出るまでになるのは、すべてこの事件に起因しているのだ。そして、その後、核は文字通り日本の社会の“希望の光”へと変質して行く。

 村上春樹はカタルーニャのスピーチで何故、広島・長崎を経験した日本がこれほどまでに核への依存度が高い国になってしまったかについて理由を“効率(Ificency)”と言っていたが、私は一言、貧しさ、だと思う。

 ベン・シャーンのこの絵を見ようとすると、今は↑の本を手にすることになると思うが、これは彼の『Lucky Dragon Seriese』の絵に詩人アーサー・ビナードが言葉をつけ、再構成し絵本にしたもの。絵はもちろんだが、詩人の言葉も物語が一つの叙事詩になっていて素晴らしい。

 

                  ☆

 さて、サトロさんだが、彼を紹介してくれたのは音楽ジャーナリストの故下村誠である。ある早朝、突然、電話がかかってきて「仙台にスゲェーソングライターがいて、そいつが新しいアルバムを出すんだけどお前、宣伝用の文章、書いてくんない?」と何かをもぐもぐと食べながら言った。

 私は言われたように書き、彼とはそれ以来の付き合いなのだが、今回の地震と津波で一番シリアスに生存を心配したのは彼の事で、何故なら彼が住む亘理町という地名を、震災直後の津波の被害を伝えるニュース・テロップが何度も点滅させていたからだ。

 しかし、数日して、このブログに見知らぬ女性から彼の生存を知らせるコメントが寄せられ、その後、劇的にYouTubeに彼は元気な姿を現し安心したのだが、彼のことだから現在はきっと避難所や様々なチャリティの場所で歌っていると思う。そして、この『Lucky Dragon』もきっと歌っている筈だ。

・・・・と、ここまで書いて、今、彼の『Lucky Dragon』を久々に聞いてみた。この歌は本当に良く出来ている。

 ゆったりとした南国ロマン溢れるメロディーにエキゾチックなアレンジが施され、私たちはすぐ南の洋上に連れ出されるが、そこで歌われるのは事件のあらましと激しい反核のメッセージだ。

 以前、ダスト・ボウルを経験したウディ・ガスリーについて書いたことがあるが、この歌もそれと同じ。歌でありながらジャーナリスティックなルポタージュでもあり、この曲を聞くだけで、私たちは「第五福竜丸事件」の多くを知ることが出来る。YouTubeにアップされていればと思って、今、探したがやはりなく、今回は歌詞だけコメント欄に記しておく。(サトロさん、もし、アップするならオリジナルのやつを!!)

                  ☆

↑の絵本を読み、またサトロさんの歌を聞けば、私達は自然、Lucky Dragonの24人目の乗組員になる。

そこは漫画『ワンピース』に出てくるグランドラインよりももっと恐ろしい海だが、もし無事に帰還できたら、今度はもう、どんなプロパガンダにも騙されてはいけない。

 そして、最後に。この絵本を作ったのが時空を越えた二人のアメリカ人であることも忘れてはならないだろう。

 しかし、この『Lucky Dragon』が今、福島にあるというのはなんという歴史の皮肉だろうか!

|

« シャンクスの帽子~“NAKED SONGS EXTRA -PRAYER FOR TOHOKU”レポート  | トップページ | 火神(ひぬかん) »

音楽コラム(48)」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ベン・シャーンの Lucky Dragon と苫米地サトロの歌:

« シャンクスの帽子~“NAKED SONGS EXTRA -PRAYER FOR TOHOKU”レポート  | トップページ | 火神(ひぬかん) »