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放射能汚染マップ

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  先日、ある人から教えて貰った 『早川由紀夫の火山ブログ』からの転載。http://kipuka.blog70.fc2.com/

 私のブログでは紙面の巾が狭いので必然的に全体に小さくなってしまい、よって地名が小さくて読めない。視覚的イメージだけ刻んでもらったら、速やかに早川氏のブログへ行くこと。

 これを見ると私の郷里はいわきでも北茨城に近い南部に位置するので黄色~黄緑の辺りだと思う。

 これは放射線の値を示した地図で、慾を言えば放射能物質の飛散状況が分かる地図が欲しいところだが、それが出来るまでにはまだ相当時間がかかるのだろう。

 昨日、東京の、我が家の周りの畑は大丈夫だろうか?と疑問を呈したら、妻と娘にきつく叱られてしまった。が、そんなに変なことを言っているだろうか?

 この地図の色が塗られていないエリアの農作物でも、例えば神奈川や静岡の茶葉などから高い放射性物質の値が検出されているということは東京だって例外でないことは確実だ。

 この地図、大手新聞やテレビ等のメディアで紹介されることはないのだろうか?ないだろうな。だとしたら早急に拡散すべし。

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日記・その他 (227)」カテゴリの記事

コメント

藤原新也が、石垣島へ行く知人に測定器を渡して測って貰ったら東京と同じ放射線量だったと自身のブログに書いていた。

もう、日本中汚染されているかも知れない。

事故があった周辺は、特に強いかも知れないが。石垣島が汚染されたとすると、東京も厳しいかも。

個人的には、もう今更騒いでも起きてしまった事は仕方がないし。被爆した身体は綺麗にならないし。あとは、残りの人生を悔いの無いよう生きる事しか考えていない。

投稿: 志村 貴彦 | 2011年6月22日 (水) 21時15分

 志村、コメントありがとう。先日、詩の朗読をする機会があって、大学の時、例のイヴェントで読んだ詩を20年ぶりくらいにまた読んだのだけど、あの時はZ次郎がギターで、君がパーカッションをバックで叩いてくれた。

 で、この間、読んでいる時のことなんだけど、オレにはずっと志村のパーカッションの音が聞こえていたよ。20年前の時のテープは失くしてしまったが、一頃、ずっと聞いていたので、脳みその何処かに染み付いていたのだろうな。なんにしても人の記憶に及ぼす、音楽、音の力は凄いと思いました。

 あとは、残りの人生を悔いの無いよう生きる事しか考えていない。・・オレもね、自分だけの事で言えば、志村と同様、全く同じだな。と言うか、悔いの無いように・・と言うことだけ言えば、詳しくは言えないが、原発の事故以前から違う理由で、相当の執念のようにそれはある。

 ただ、福島県人としては状況はもう少し具体的でさ、例えば寝ている間に、誰かが町内に地雷をいっぱい埋めたとなったら、なんとか状況を把握して、そして正確な地図が手に入ったら皆に配ろうと思うじゃない?
 
 また例え手遅れと言われても、現実に故郷を破壊された人間としては正確に何が起きたのか知りたいし、そうしたデータと向き合うというのも、オレの“悔いのないように”には含まれている。

 最悪なことにオレはずっと東京で暮らしてきた。このブログではずっと東京電力福島第一原発、と書いているのは、自分自身に対してなんだよね。

 それに子供。放射能に対する感度は子供は大人の5倍ある。3/11以降、世界が変ってしまったのなら、どういう風に変ったのかを具体的に示すのがさ、今できる最良のことだと、オレは思うわけよ。

投稿: ナヴィ村 | 2011年6月23日 (木) 20時28分

志村。俺たちがあの時行ったイヴェントには意味があったよ。まさかこんな形で自分に跳ね返ってくるとは思わなかったけどね。現在避難している山形県長井市には有名なレインボープランってのがあってさ。家庭で出した生ゴミを堆肥に再生してそれで米を、酒を、レタスをキュウリをトマトを作って市内で流通しているんだよ。(完璧な循環型社会!)今日俺は地元の集まりに参加して被災地の現状を話したんだけど、大量生産大量消費の3.11前の世界から、その後の世界への取り組みをこの田舎町で発見したと話してきた所。(地元の集会所でみな熱心に聞いてくれました。)だって、再生堆肥でつくった酒の名前が「甦る」だぜ。この無謀とも思える取り組みを成功させた男はアメリカインディアンの思想にも通じていたよ。自分から7世代下の未来に対して決断を下すということ。それを行政の立場実践しているとは!頭が下がりました。「復興は復元であってはならない。転換でなければ…。そのヒントはこの長井市にある。」と話してきました。これはペンギン・ビート急行の受け売りです。

投稿: ほぴ村 | 2011年6月23日 (木) 22時04分

人の縁とは不思議なもので、あの時の友部さんのバンドのドラマー横澤龍太郎さんは仙波清彦師匠に太鼓を習っていた稽古場の先輩になり、現在は20年来の音楽仲間が多数所属するパスカルズというバンドのドラマー。
スナフキンの吉田ケンゴさん、最近Twitterでよくコメントをくれる楽器製作家で打楽器奏者のイシケンさんと親しいようだ。

あの時のイベント、懐かしいね。鈴木克義と村田の家で知り合い、また高円寺で再会。そして、彼から地下生活者と「たま」を紹介され音楽仲間を増やした。
国分寺のタイ料理チャットでバイトしていた小野さん、のちにチンドン屋になりメディアにも登場したけど、彼女とも後々知り合った音楽仲間と親しい関係だった。

福島は、村田と同郷の友人達のふるさと。俺も、何度か訪ねた。平の夏祭り、常磐ハワイアンセンター、嵐の中ドライブした小名浜、思い出が多々ある。
そういう場所が、もう昔の姿で無くなるのが残念でならない。

詩の朗読、今度やる時は事前に教えてよ。
飛び入りで伴奏するから。

投稿: 志村 貴彦 | 2011年6月23日 (木) 22時09分

いま、再びコメントを書いている最中に孝のコメントがあったようだ。
ホント、まさか自分達が八ヶ岳の「いのちのまつり」へ行き東京へ戻って大学でイベントを行い、20年過ぎて最悪な原発事故に遭うとは思いもしなかった。

未だに、常磐ハワイアンセンターに行った事や三鷹界隈で遊んだ事、バンドの練習をした事を時々思い出す。
村田から藤原新也の著書「東京漂流」を教えられ、それ以来ファンになり地震の前に写真展で会い会話をした。地震の後にも、藤原さんに会いに行った。

何かね、国分寺へ毎日通ったあの頃から現在までが凝縮されていて、今全てが走馬灯のように頭の中で廻っているよ。

とにかく、無事なら良かった。また、皆が元気なうちに会おう!

投稿: 志村 貴彦 | 2011年6月23日 (木) 22時23分

いわき市北部に関する汚染状況のレポートが以下のサイトにあります。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/10712
言葉を失ってしまいますが。。。

原発関係のニュースは以下のサイトで「放射性粒子拡散予想」が毎日更新されています。
http://savechild.net/

投稿: 山ちゃん | 2011年7月 4日 (月) 21時54分

 山ちゃん、ありがとう。元気?

 この事態の深刻さには僕も言葉を失う。あらゆる方面に及ぼす今後の影響は、想像力の範囲を超えているよ。

 ところで先月末で、虎ノ門のあの建物がきれいになくなりました。4年間で一体、どれほどの人がかかわったのか、今後、あんな都心であれ程の大規模な発掘というのは今後もう無いでしょう。日々、責任者として貴重な体験をさせてもらった。

 更地になったその場所を見て、先日、kクンと「また、負け戦だった・・勝ったのはバイトくん達だ・・・」だって、七人の侍のラストっぽく言ってみて皆で笑いました。

 
 さかのぼって、山ちゃんもご苦労様でした。

 

投稿: ナヴィ村 | 2011年7月 5日 (火) 05時29分

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