アイドルグループTOKIOによる日曜夜のバラエティ番組『鉄腕DASH』の中の人気コーナー「DASH村」は福島県双葉郡浪江町にあった。あった、と書くのは現在ここは原発事故による避難区域になっていて、今後、同場所での再開は難しいと思われるからだ。
このコーナーが始まった当初、ぼくはアイドルグループのコミューンごっこ、村おこしごっこだと冷ややかに見ていたが、彼らが長い時間をかけて環境を整え、手入れをすることによって、いなくなっていた昆虫や小動物等が次第に戻っくる様子を見るにつけ、いつの頃からか、捨てたモンじゃない、と思うようになっていた。
それでいつの回だったが、最近、すっかり数が少なくなってきたモリアオガエルの姿が村で見られるようになったとの映像を見て、ぼくは思わず身を乗り出してしまった。福島県人、特にぼくのようないわき出身の人間にとってカエルはただの生き物ではない。それは箪笥の晴れ着に匂いのように懐かしい、ふるさとそのものだ。
これは郷土が生んだ大詩人草野心平が“蛙の詩人”と言われていたことに由来する。しかし、一頃まで“国民的詩人”と謳われた心平を、今知っている人は少ない。
だがこれが郷里の、祖父母の代の人々だと話は違った。草野心平、と名前を聞くだけで周囲の皆の顔がほころぶのだった。誰もが親しみを込めてシンペイさん、シンペイさんと呼んでいた。特にぼくの祖母は意外にも心平に詩作のキッカケをつくり自らも詩人で夭折した兄の民平についても良く知っていて、或る時、ミンペイさん・・・と懐かしそうに呼んでいたっけ。
草野心平とカエルとぼくの祖父母。多分、兄や弟は知らない、ぼくにはとあるエピソードを基にしたこの三つを繋ぐ美しい心象がある。それは生前、やはり祖母から聞いた話。
祖父が車の免許をやっと取った時、意気揚々として帰ってきて、祖母に「何処に行きたい?何処にでも連れて行ってやる!」と威張って言ったそうだ。普段から絶対に自分の希望や要望など口にしない祖母だったので、いざそう言われるとすぐには決められず、散々思案した挙句、双葉郡川内村のとある沼にカエルを見に行きたいと言い、それで二人で出かけることになったという。
双葉郡川内村には国指定天然記念物に指定された平伏沼(へぶすぬま)という美しい沼があって、そこはモリアオガエルの生息地として知られてる。
ある晴れた日、初老にさしかかった頃の祖父と祖母が、おぼつかない運転の車で、ガタピシ田舎道を美しい沼に向かってモリアオガエルを見に行く・・・見たわけでもないのに、それはまるで記憶の中のワンシーンのように一枚の絵としてぼくの中に定着してしまった。
膨大にある草野心平の作品の中で、ぼくが一番好きな詩は何かと聞かれれば『エレジー~あるもりあおがえるのこと』という一編。
それは死んだくみーるというカエルについてもう一匹の雄のカエルが回想している詩だ。くみーるは生殖の行為の最中、もしくは出産(産卵)、もしくは死にゆくの最中に“美しいわ”と一言、言う。雄カエルはその“美しいわ”を不思議がり、懐かしむのだが、一読すると、この詩は生命の循環について謳われていると同時に、戦争の犠牲になった多くの人々へのレクイエムとも読める。
カエルたちは人間の気まぐれや、理不尽な暴力によって、連れ去られたり、殺されたりする。カエルは一番低いところにいて哀しみ、それに耐え、友を思い、結局は、優しく、ずるく、滑稽に、しかし強かに生きて、死んでいく。ぼくはこんなにも牧歌的に戦後の人々の思いを代弁した詩を知らない。当時、誰の胸にも一匹の小さなモリアオガエルがいた筈だろうから。
☆
もし、未来の子供達にFUKUSIMAがかつてどのようなところで、どのような人々の想いや暮らしがあったのかを聞かれたら、ぼくは心平の詩を読もう。くみーるやひむりーる、ぐりまやごびらっふ、などなどの霊力を秘めたような不思議な名前のカエルたちが出てくるたくさんの詩を。
心平は、平伏沼のある双葉郡川内村とはモリアオガエルの縁で名誉村民ということになったが、それを記念した天山文庫なる施設がやはり川内村にある。心平の蔵書を基にした山荘のような場所だがそれはDASH村の近くで、ぼくも何度か訪れた大好きな場所だった。平伏沼と天山文庫。あそこも避難区域になってしまったのだろうか。
福島の子供達の尿からセシウムが検出されたとの先日のニュース。沼でまだカエルは鳴き続けているだろうか。
PS
『エレジー~あるもりあおがえるのこと』は長いので、例によってコメント欄に記載しておきます。
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