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映画『THE GATE』~祈りの力

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 先日、アップした帰省日記にあるように、この夏の盆は例年になく多くの寺を巡った。ご朱印を下さい、と声をかけるところから始めて、それぞれの住職や奥様、ご家族の方々に震災・原発事故についてそれとなくインタヴュー?したのだが、その時一番意識していたのは、実はそれぞれのお寺の、宗派の違いだった。

 宗派の教学や何やらについての話をしたわけではないので(また、自分もあまり詳しくないので)、別に気にしなくても良かったのかもしれないが、しかし、今、思い返してみてもそれぞれにそれぞれの共通した雰囲気、カラーというのが、やはり・・・あった気がする。

 中で一番摑めなかったの禅宗。今回は臨済の寺を3つ回ったが、他の寺と何か明らかに違う雰囲気を感じた。分からなくて、かつて禅寺で仕事していた経験を持つ平“グリニッジ・ビレッジ”の店主Zに話を聞いたりしたのだけど、彼は「禅問答」というものを通して、説明してくれたが、かえって難しい印象を持った。

 今日、日野市の七生公会堂で映画『The Gate』の上映会があった。http://www.gndfund.org/gate/#top

 広島原爆の火を人類最初の核実験場だったトリニティサイトに返すため、数人の僧侶が2500kmの距離を行脚する様子を描いたドキュメンタリー。監督マット・テーラー、出演マーチン・シーン、ナレーション松島菜々子。

 この映画でも最初のシーンで監督マット・テーラーと僧侶の禅問答がある。「広島の火を核が生まれた最初の場所に返すことで、この現代の破滅の円環を閉じることはできないだろうか?」なる問答。それがきっかけでこの壮大な旅が始まるのだが、問答を通して、真実が多面体であることを認識し、その中で行動し自らを無にする・・・なんかそういう事なのかな、禅宗って。

 今日は上映の後、監督マット・テーラー氏の講演があった。私は映画にはどうしても気になることが一つあって、それは映画の最後に「全ての核兵器を解体すればそのウランやプルトニュウムで全世界の電気を今後15年間まかなえる。」というようなナレーションがあったこと。

Photo  この映画、もしかして「兵器」と「平和利用」と分けて考えているものなのか・・・・。それを聞きたくて質疑応答のようなものがあればと、最前列に行って耳ダンボにしていたのだけれど、こちらから聞かなくても監督自身からその話があった。

 東京電力福島第一原発の事故を見れば分かるように原子力発電というものは容認できないという事を、エジプトのピラミッドの5千年と今後の核廃棄物の保管年数10万年の話で説明していた。

 この講演では映画の最後に起きる奇跡についての楽屋話的な説明があったが、それについてはここでは書けない。ただ、それはある意味、映画以上に胸を打たれる話で、私は聞いていて鳥肌がたった。そして、このことは奇跡ではなく、“祈る”という行為が現実の場でどのように人の心を動かすのか、ということを示した一つの例だと思った。

 講演後、サイン会がおこなわれている中、“ブログに載せたいので写真を撮っても良いか?”と聞くと監督は快くOKしてくれて、握手してくれた。私は「先日、実家のいわきから帰ってきたところで・・・」と言おうとしたところ、「いわきから来て・・・」と言う風に言ってしまって、かえって恐縮されたようだったが、ゴメンなさいマットさん、私はちゃんと日野の住人です(笑)・・・・・。

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コメント

広島の火をアメリカに持っていくことで破滅の円環を閉じるという意味がわかりません。禅問答そのものですね。そんなことで済むなら簡単だよね。その後、被爆地日本で起きた震災と容赦ない原発事故の影響をどう見ればいいのか。罪の認識が甘すぎる気がします。ウケ狙いのパフォーマンスなんじゃないか。長崎にいるとわかるのですが、被爆体験というのは水戸黄門の印籠にもなるのです。だれもケチつけられないし、それだけでひれ伏すからね。利用してる人、いっぱいいますよ。

投稿: 集平 | 2011年8月20日 (土) 04時10分

 集平さん、コメントありがとうございます。記事の中でも少し触れましたが、この映画で僕が気になったところはやはり核の問題を“兵器”と“平和利用”と分けて考えているふしがあるところです。

 上映後の講演で監督は原発の問題にも触れ、容認できない立場であるとのコメントを自らしていましたが、記事にも触れたようなナレーションがあることからして、少なくともこの映画を作った時点では、兵器のみを問題にしていたのは明らかでしょう。
 
 
>被爆体験というのは水戸黄門の印籠にもなるのです。

 確かに、それを出しさえすればたやすく正義の側に立てると言うのは印籠そのものですが、僕がこの映画を見て驚いたのは、アメリカ人はその印籠そのものも未だ知らない人がホント、多いいんだなぁということです。
 立ち寄る町の人々は、僧侶達の行為を初め不可解に見、その経緯や目的を知って、皆、眼を丸くして驚いている。

 この映画は国内外に対してそれぞれ知られてないことを率直に出していて、そこは意味があると思いました。
 
 僕も多くのクリスチャンがいる長崎に原爆を落としてしまったということで、アメリカでは長崎については広島以上に葛藤があり、隠蔽されているという事実も語られていて、そのことがとてもショックでした。

 この映画を見て初めて知ったのですが、このニューメキシコ州のトリニティサイトの門というのは、これまで世界中のどんな平和団体が来ても決して開けたことはなかったそうです。特に8/6、8/9に、そうした人々に向けて開けることはアメリカが日本に対する原爆投下を罪であることを認め、謝罪することになるとしてタブーだったそうです。

 何故、この時は開いたのか?それについて映画では「何故、開いたのかは分かりません」と短いナレーションのみでしたが、上映後の話でその辺りの説明がありました。

 それについては長くなるのでここでは説明しませんが(本当はそこをもっと描くべきだと思いましたが)、上の「兵器」⇔「平和利用」の問題と伴に、3/11以降、この映画はその後の監督の話とセットでなければ、成立しないものになっているのでは?という思いもしまして、本当は監督ご本人とその辺のことを話したかったのですが、昨日は時間がありませんでした。

 この後、核兵器解体基金とかの話もありましたが、そこは無視しました。

投稿: ナヴィ村 | 2011年8月20日 (土) 13時30分

クリスチャンの町・長崎に原爆を落とした……これも「印籠」です。カトリックの人がそう言うのをぼくは見たことがありません。たいてい他宗教の人が加害者への当てつけのように言います。

長崎はキリスト教を迫害した町であっても、キリスト教の町ではありません。今でも差別があります。戦前はもっと露骨な差別がありました。坂口安吾は戦前の浦上(カトリック地区)を歩いた時の人々の閉鎖性を書いています。原爆投下以降はその人たちが開かれたように見えるというのです。そのことをぼくは浦上に行くたびに考えます。

長崎は軍事都市でした。兵器工場があり、町全体が機密でした。町の写真を撮ったり絵を描くことも制限されていました。地図は取り上げられました。
原爆はこの町の中心部に落とされたのです。ところが南風が目標をはずして遠くに運びます。そして浦上天主堂の上空で炸裂したのです。これを浦上の人たちは偶然だと思っていません。自分たちが犠牲になるべきだったという発言はしばしば非難されますが、カトリック信者の複雑な思いのこもったものです。

浦上天主堂の焼跡で、聖像を踏みつけて誇らしげにポーズをとる米兵の記念写真を見たことがありますが、これは戦場でよく見られる光景です。敵の教会を破壊することなど当たり前にあります。日本軍が編集したニュース映像にもアジアの国のカトリック教会の破壊シーンが好んで取り上げられています。

戦後、浦上のカトリック信者たちは自分たちが戦争協力を積極的にしていたことを明らかにし、回心の祈りを捧げました。恥ずべき過去を記録した本も出版しました。

長々とすいません。ぼくが長崎にいる大きな理由がここにあるので……。
ぼくが住んでいるのは原爆が長崎から浦上に運ばれた風の通り道です。南風がきょうも吹いています。

投稿: 集平 | 2011年8月20日 (土) 16時05分

訂正。浦上天主堂で米兵が踏みつけていたのは聖像ではなく教会の鐘でした。録画ビデオにあったので、画像を下のURLに置きました。見てください。他にも笑顔の記念写真を数枚見ました。

http://www.cojicoji.com/shuhei/us_urakami.jpg

投稿: 集平 | 2011年8月20日 (土) 18時13分

 集平さん、教えてくださった写真見ました。

 この鐘を踏みつけている人もアメリカ人なら普通に考えればクリスチャンだと思うのですが、どういう気持ちなのでしょうね。イーストウッドの『父親達の星条旗』ではありませんが、この人のその後の人生をちょっと知りたい気がしました。

 こうした写真はアメリカでは知られているものなのでしょうか?多分、隠蔽されていると考えますが、録画ビデオからのものとありましたが、どの国の制作の、どういう番組のどういったシーンの説明で出たものなのかが気になりました。

 また、一つ前のコメントで浦上天主堂のカトリックの方たちが戦争に積極的協力していたことを明らかにし・・とあり、その上の方に“自分たちが犠牲になるべきだった”と発言している方もあるということでしたが、彼ら(全ての人ではないでしょうが)は自分達がしていたことが原爆にも値する罪だと考えている、ということでしょうか?だとしたら、うーん・・・凄い・・・絶句です。

 上の映画にも浦上天主堂の方(僕が貼り付けたYouTube画像の「助けてくれとすがりついてくる人を誰も助けなかったかたですよ・・・」と説明している方)も、中で自らの罪の告白をしていましたが、それは地獄のような状況下での出来事で、私などからすると、それが罪なのか?と思わせられましたが、してしまった当人には永遠に自罰感、罪悪感が残るのだな、とも痛感させられました。

 また、坂口安吾の件は、今回、帰省した僕の感想と似ていて、今、非常に慄いております。 
 

投稿: ナヴィ村 | 2011年8月21日 (日) 07時26分

ナヴィ村さん、気の重くなる話につき合ってくださってありがとう。

米兵の写真を紹介した番組は浦上天主堂再建50周年にあたる2009年11月に放映されたNHK長崎のローカル・ニュース内の15分ほどのドキュメンタリーです。
米兵の記念撮影の部分のナレーションは次の通り。「……しかし、アメリカにとって浦上天主堂の残骸はけっして心を痛める傷痕ではありませんでした。天主堂の残骸をバックにアメリカ兵が笑顔で写真におさまっています。教会の鐘に足をかける兵隊。アメリカは原爆投下によって戦争を早く終わらせたと正当化していました。兵隊にとって天主堂の残骸は原爆の威力を示すものにすぎませんでした」

天主堂の残骸を広島の原爆ドームのように残さなかったのはアメリカが自分たちの破壊したキリスト教会という汚点を残すことを好まなかったからだという説が根強いのですが、番組はこれを否定しています。「アメリカが同じように無差別爆撃をおこなったヨーロッパでは教会の破壊というのはよくあることだったんです」という解説が入っていました。その通りで、教会のある町を攻撃しないなら戦争は成り立ちません。それに、クリスチャンがいなければ原爆を落としてもいいのかという質問を、長崎に原爆を落としたことを悔やむ人に返すこともできるでしょう。

浦上の信者たちは被爆遺構が観光に利用されるのを嫌いました。先祖が踏絵をさせられていた庄屋の跡地を買い取って建てた教会を再建して以前のようにミサをあげたかったのです。

浦上は江戸から明治にかけて大きな迫害を4回受けました。それを「くずれ」と言います。浦上四番崩れでは多くの村人を失いますが、帰ってきた彼らは黙々と荒れ果てた土地を茶碗のかけらで耕し村を建て直します。勇敢な女性たちは生涯独身を誓って、日本で初めての孤児院を作ります。これは今もあり、ぼくの友人も勤めています。
崩れによって村は追いつめられ、そしてそこから一段と強くなっていきます。原爆を彼らは浦上五番崩れと呼びました。この呼び方にすべてがあるように思います。

そりゃ、アメリカに行ってだれかれなく声をかけてヒロシマ・ナガサキを知っているかと聞いても芳しい答えは帰ってこないでしょうが、上の番組に出てくる、天主堂再建に関わったアメリカ人たちの多くは、高齢になった今でもナガサキを生々しく記憶しています。ぼくら以上に浦上を知っている人もいっぱいいます。
ぼくらだって、アジア各地で日本軍が犯した罪をどれぐらい知っているでしょうか。それらの罪と自分たちは無関係ではないと浦上の人たちは考えます。天皇(と、われわれ)の戦争責任を主張して暗殺されかかった本島等・元長崎市長は五島で迫害されたキリシタンの末裔です。

映画で被爆証言をしている人は聖母の騎士修道院のブラザー・小崎登明さんです。著書がアマゾンでも買えますから読んでみるといいと思います。

坂口安吾の「長崎チャンポン」(『安吾新日本地理』)という一文は今となっては賛成しかねるところもありますが、ぼくが長崎に来たころの教科書のひとつでした。長文失礼。

投稿: 集平 | 2011年8月21日 (日) 16時15分

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