約20年ほど前、当時、音楽評論の仕事をしていた友人が一本のビデオテープを貸してくれた。
それは『サージェント・ペパーズから20年』という衛星放送で放映された番組で、ビートルズの最高傑作にしてポピュラーミュージックの金字塔と謳われるアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド』が制作された経緯を追いながら、発表当時の世相を探ろうというもの。アルバムが発表された1968年はカウンター・カルチャームーブメント、ヒッピー・ムーヴメントが華やかなりし頃で、今では故人となったその筋の有名人達が総出演の、それはなかなか見応えのある番組だった。
番組の最後はビートルズの『All need is love(愛こそは全て)』を取り上げて、コメンテータ一人一人に「今でも、愛こそが全てだと思うか?」という質問をしていくというもの。ポール・マッカートニー、アレン・ギンズバーグ、アビー・ホフマン、ピーター・コヨーテなどなど総々たるメンバーが大真面目にそれに答えていたが、意外にもその答えの多くはNO、であった。
で、最後がジョージ・ハリソン。ロックスターと言うよりイギリス紳士然として現れた彼は質問されると即座に「イエス。世界中のあらゆる宗教の書物に記されていて、子供にも分かるシンプルで崇高な概念だ。」と静に、しかしハッキリと言い切った。カッコよかった。
前置きが長くなったが、何が言いたいかというと、つまり、ジョージ・ハリソンとは、そういう男だった、ということ。
今日、昨日から封切りになったマーチン・スコッセジ監督の最新作『ジョージ・ハリソン~リヴィング・イン・ザ・マテリアルワールド』を早速、見てきた。これは彼が73年に発表したアルバムの題名をそのまま冠したものだが、映画はマテリアルワールド(物質世界)に身を置きながらもスピリチャル・ジャーニーを続けたジョージの生涯を追ったドキュメンタリー。
http://gh-movie.jp/
ビートルズ神話というものは今までジョン&ポールの話を軸に語られることがほとんどだったが、この普通NO3と考えられているジョージの視点から見ると神話にいきなり立体感が増し、まずその事に驚く。
映画は4時間近くあって1部と2部に分かれているが、大雑把に言うと1部は生い立ちからビートルズに加入、そして富と名声を得て後LSD体験を経てインドへ、そして名曲『ホァイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』を書くまで。第2部はビートル解散と並行して訪れるアーチストとしてのピーク、ソロ活動、バングラディッシュコンサート、そしてプライベートでの様々な出来事の紹介や映画製作秘話、そしてガンが発覚後、自宅で暴漢に襲われる事件を経て病死するまで、と、見所は盛りだくさんであった。
1部を見終わった直後の感想を率直に言うと、ビートルズに関して未見の写真や映像、音源がまだこんなにあるのか!ということ。ビートルズを聞き始めてもう30年以上になるが、その間、映画、ドキュメンタリー、写真集などはとことん見た筈で、もう目にしていないものはないだろうと密かに自負していたが、本日、脆くも崩れ去った。だいたいキャバーン時代のカラー映像なんて見たことあるはずないだろ。
そして第2部。一つ一つがどれも興味深かったが、やはり一番身を乗り出して(笑)見てしまったのは元妻パティ・ボイドを巡るエリック・クラプトンとの顛末。パティ・ボイドが初めてクラプトンに『愛しのレイラ』を聞かされた時のことを語るところ、そして親友ジョージの妻パティを愛してしまい、その事をジョージに誠実に打ち明け「君の意見を聞きたい」と言ったと言うクラプトン、そしてそれを許るすと一度は言いつつパーティで2人を見るや激怒したと言うジョージ・・・。何か見ているこっちが冷や汗が出た。
☆
さて、この映画に関して私の一番の疑問は何故マーチン・スコッセジはこの時期にこの映画を撮ったのか?ということ。ロックに造詣の深い彼のことだから一度ちゃんとビートルズの映画を撮りたかったということなのかとも思うが、ジョージを中心に据えることで戦後の西洋社会の批評にもなっている。さすが目の付け所が違うな、と思う。
60年代後半、インドのラヴィ・シャンカールの下でシタールの修行をしていたジョージはラヴィに「自分の原点に帰りなさい」と言われ、ティディ・ボーイだった頃、バイクに乗りながらエルビスの「ハートブレイク・ホテル」が聞こえてきた時のことを思い出す。そして、もう一度、ビートルズのギタリストに戻ろうと決意しニューヨークへと向かう。私はこのエピソードが好きだ。
西洋と東洋が出会う。それがカウンターカルチャーの本質の一つだった筈で、一人のギタリストとしてジョージは誠実にそれを音楽にして、生きた。
この男がNO3だったのだ。ビートルズってホント、凄いバンドだ。
最近のコメント