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『わたしを離さないで』~大切なカセット

Photo_4 本日、朝のマクドナルドで読了。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで~Never let me go』。繊細かつ緻密な構成の、静かな、しかし、驚愕すべき作品。今はまだこの物語についてあーだこーだと語る気にはなれないが、一つだけ印象に残った事だけ書き記しておくと、それはカセット・テープのこと。

 何故、青春小説(この小説も特異な環境設定にあるとは言え、やはり青春小説だと思う)にはカセット・テープが似合うのだろう?そう言えば『世界の中心で愛を叫ぶ』にもカセットテープが出てきて、曲は佐野元春の『Someday』だった。

 この小説のカセットに収められているのはジュディ・ブリッジウォーターの『わたしを離さないで~Never let me go』。つまり、この曲名が小説の題名になっている。

 http://youtu.be/tMgyKNr-Vbk

 私がこの小説で最も好きなシーンは主人公のキャシーが数年前、この曲が入ったテープを失くしてしまったことを友人の(後に恋人になる)トミーが覚えていて、雑貨屋のようなところで2人がそれを探すシーン。ネット・ショッピングなんて無かった頃、誰もが同じようなことをした覚えがある筈で、あの頃はそんなことがデートだったりした。

 「昔さ、君がそれを失くした頃な、いろいろなことを想像した。おれが探し出して、君のところへ持っていくんだ。その時、君が何て言うだろうとか、どんな顔をするだろうとか、いろいろとな、」(P267より)

 キャシー自身が見つけ出した時、ちょっとガッカリしながらそう言うトミーが私は好きだ。

 この小説について語ろうとする時、誰もが躊躇するのは、その特異な環境設定について触れて良いのか?ということを“ネタバレ”的な観点から心配するからだが、しかし、この小説世界は本当にそんなに特殊だろうか?と、私は思う。程度の差はあれ、現実の世界だって誰もがなんらかの逃れられない条件(運命と言っても良い)の下に生きていることには変りは無い。そして、どんな青春も本当は悲惨で残酷なものなのだ。

 あの頃は誰もが自分だけの大切なカセットテープがあった。

 ルースとトミーが役割を終えた世界に生きて、その後、キャシーはあのテープを聞いただろうか?読後、私が気になったのはそのことだ。

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映画『ジョージ・ハリソン~リヴィング・イン・ザ・マテリアルワールド』~NO3のスピリチャル・ジャーニー

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 約20年ほど前、当時、音楽評論の仕事をしていた友人が一本のビデオテープを貸してくれた。

 それは『サージェント・ペパーズから20年』という衛星放送で放映された番組で、ビートルズの最高傑作にしてポピュラーミュージックの金字塔と謳われるアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド』が制作された経緯を追いながら、発表当時の世相を探ろうというもの。アルバムが発表された1968年はカウンター・カルチャームーブメント、ヒッピー・ムーヴメントが華やかなりし頃で、今では故人となったその筋の有名人達が総出演の、それはなかなか見応えのある番組だった。

 番組の最後はビートルズの『All need is love(愛こそは全て)』を取り上げて、コメンテータ一人一人に「今でも、愛こそが全てだと思うか?」という質問をしていくというもの。ポール・マッカートニー、アレン・ギンズバーグ、アビー・ホフマン、ピーター・コヨーテなどなど総々たるメンバーが大真面目にそれに答えていたが、意外にもその答えの多くはNO、であった。

 で、最後がジョージ・ハリソン。ロックスターと言うよりイギリス紳士然として現れた彼は質問されると即座に「イエス。世界中のあらゆる宗教の書物に記されていて、子供にも分かるシンプルで崇高な概念だ。」と静に、しかしハッキリと言い切った。カッコよかった。

 前置きが長くなったが、何が言いたいかというと、つまり、ジョージ・ハリソンとは、そういう男だった、ということ。

 今日、昨日から封切りになったマーチン・スコッセジ監督の最新作『ジョージ・ハリソン~リヴィング・イン・ザ・マテリアルワールド』を早速、見てきた。これは彼が73年に発表したアルバムの題名をそのまま冠したものだが、映画はマテリアルワールド(物質世界)に身を置きながらもスピリチャル・ジャーニーを続けたジョージの生涯を追ったドキュメンタリー。

  http://gh-movie.jp/

 ビートルズ神話というものは今までジョン&ポールの話を軸に語られることがほとんどだったが、この普通NO3と考えられているジョージの視点から見ると神話にいきなり立体感が増し、まずその事に驚く。

 映画は4時間近くあって1部と2部に分かれているが、大雑把に言うと1部は生い立ちからビートルズに加入、そして富と名声を得て後LSD体験を経てインドへ、そして名曲『ホァイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス』を書くまで。第2部はビートル解散と並行して訪れるアーチストとしてのピーク、ソロ活動、バングラディッシュコンサート、そしてプライベートでの様々な出来事の紹介や映画製作秘話、そしてガンが発覚後、自宅で暴漢に襲われる事件を経て病死するまで、と、見所は盛りだくさんであった。

 1部を見終わった直後の感想を率直に言うと、ビートルズに関して未見の写真や映像、音源がまだこんなにあるのか!ということ。ビートルズを聞き始めてもう30年以上になるが、その間、映画、ドキュメンタリー、写真集などはとことん見た筈で、もう目にしていないものはないだろうと密かに自負していたが、本日、脆くも崩れ去った。だいたいキャバーン時代のカラー映像なんて見たことあるはずないだろ。

 そして第2部。一つ一つがどれも興味深かったが、やはり一番身を乗り出して(笑)見てしまったのは元妻パティ・ボイドを巡るエリック・クラプトンとの顛末。パティ・ボイドが初めてクラプトンに『愛しのレイラ』を聞かされた時のことを語るところ、そして親友ジョージの妻パティを愛してしまい、その事をジョージに誠実に打ち明け「君の意見を聞きたい」と言ったと言うクラプトン、そしてそれを許るすと一度は言いつつパーティで2人を見るや激怒したと言うジョージ・・・。何か見ているこっちが冷や汗が出た。

              ☆ 

 さて、この映画に関して私の一番の疑問は何故マーチン・スコッセジはこの時期にこの映画を撮ったのか?ということ。ロックに造詣の深い彼のことだから一度ちゃんとビートルズの映画を撮りたかったということなのかとも思うが、ジョージを中心に据えることで戦後の西洋社会の批評にもなっている。さすが目の付け所が違うな、と思う。

 60年代後半、インドのラヴィ・シャンカールの下でシタールの修行をしていたジョージはラヴィに「自分の原点に帰りなさい」と言われ、ティディ・ボーイだった頃、バイクに乗りながらエルビスの「ハートブレイク・ホテル」が聞こえてきた時のことを思い出す。そして、もう一度、ビートルズのギタリストに戻ろうと決意しニューヨークへと向かう。私はこのエピソードが好きだ。

 西洋と東洋が出会う。それがカウンターカルチャーの本質の一つだった筈で、一人のギタリストとしてジョージは誠実にそれを音楽にして、生きた。

 この男がNO3だったのだ。ビートルズってホント、凄いバンドだ。

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映画『ぼくのエリ』~バンパイヤという妖精

 特異なパーソナリティゆえに成就できない愛を描く素材として、バンパイア(吸血鬼)とはなんと魅力的な存在だろう。そして、人は、いつ、その事に気づいたのだろう。

 洋の東西・新旧を問わず、映画なら何でも見ると公言する私だが、一つだけ見ないジャンルがあって、それはホラー映画。しかし、ある時、テレビのバラエティ番組の映画紹介のコーナーを何気に見ていたら“『小さな恋のメロディー』のホラー版”なる言葉で『モールス』という映画が取り上げられていて、これなら見ても良いかも・・・と、少なからず食指を動かされていた。

 先日、その事を職場で話すと「『モールス』はアメリカで作られたリメイク版。オリジナルはスウェーデンの映画で、そちらの方が素晴らしい。」と、教えてくれる人がいて、ついに初ホラーとなった。

Photo

 映画の題名は『ぼくのエリ~200才の少女』。白目を剥いて、泡を吹いて倒れてしまったらどうしよう・・と恐る恐る見たが、これは何と、ホラー映画の形を借りた、詩情豊かなメルヘンであった。ただし血まみれの。

 全編を通してほとんどの場面が雪景色で、その事だけでまるで北欧神話でも見せられているよう。そして、宣伝の文句では“12才の少年と少女の初恋・・・”とあるが、ここに描かれているのは恋と言うよりも、性やモラルが意味を持つ直前の、友情以上の共生感覚のようなもの、だと思う。それは人の一生でほんの一瞬、この時にだけ可能な美しい瞬間でもある。

 見れば分かるように少年オスカーは女の子のようだし、少女エリは男の子ようで、両者とも性の所在が曖昧だ。そして、さっき北欧神話と書いたが、2人ともまさに両性具有の妖精にも見えて、この感覚の有無がアメリカ版の『モールス』とこのオリジナルとを分けている。

 印象的なシーンは沢山あるが、私の脳裏から離れないのはやはりラスト。正に衝撃のラストシーンだが、書くのは止める。ただ、これは映画史上に残る最も子供と一緒に見てはいけない名場面、とでも言っておこう。内なる暴力衝動が満たされると同時に初恋が成就する時のような美しい気持ちにも浸れるという・・・うーん、こんなの初めてだなあ。

 ドキュメンタリーと見まがうほどに北欧の自然とそこに暮らす人々を捕えたカメラ、そしてまだ成長過程にある主人公を演じた少年・少女2人の、この物語るを演じるに相応しい一瞬をとらえた、こちらも正にドキュメンタリー。

 画面いっぱいの雪の白と滴る血の赤が意味するのはイノセンスと約束、だと思った。

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冬の鱒釣り

Photo_3昨日、 朝起きて窓の外を見ると晴れていた。アスファルトは濡れていて、雨上がり特有の匂いがしていて気持ちが良かった。

この一週間はずっとネットの天気予報を気にしていた。週間予報では雨で寒いとされていたのが段々と、曇りのち雨→曇り、となり、最後は曇りのち晴れとなった。そして朝一でPCを見ると時系列予報では午前曇り→午後晴れ、となっているのにもう既に晴れている。そして、気温も20℃近くになるとのこと。いつものこととは言え、我ながらなんという晴れ男ぶり。笑うのを通り越して少し呆れてしまった。

昨日は去年に引き続きの鱒釣りだった。と言っても本格的なものじゃなくて、放流している施設でのこと。竿を借りてバーべキュウしながら遊ぼうという企画。去年やったら大好評でそれで昨日がその第2回目だった。

 外に出ると西の彼方にきれいな富士山が見えた。以前、ラジオの番組で武田百合子の『富士日記』を紹介していて、それに合う曲としてバーズの『イージーライダーのバラッド』が流されて以来、きれいな富士山を見ると頭の中で自然と例の前奏が鳴り始めてしまう。会社から借りたライトエースにはCDを聞くカーステレオが装備されていなかったが、それで良かった。現地に行く途中はずうとロジャー・マッギンの歌声。富士山を見ながら、缶コーヒーを飲みながら、新聞の競馬欄を覗き見しながら、頭の中でロジャー・マッギン。

 http://youtu.be/DNjzzDNIJWw                 

Photo_4  私が参加者に課したルールは去年と同じ。食べ物をなんでも良いから一品持ってきて!というもの。それで集まったのはインド人から教わったというタンドリーチキン、生地から作ったという手作りのピザ、ナスの肉詰め、中華料理屋のご子息直々のチャーシュー等等&ビール&フリー。私は去年のような手をかけて仕込む時間がなくて、それで業務スーパーに行って買ってきた鳥の腿肉をナイフでぶつ切りにして、それをダッヂオーブンを使ってコーラ+醤油で煮る、というのをやった。

放流された鱒は朝の内は空腹なのか当たりが良いが、釣りそこねた回数が増えるごとに、釣れなくなってくる。餌はミミズ、ブドウ虫、イクラと3種類使ったが、時々、餌を変えるとまた釣れる。満腹になってそれで喰わなくなるというより、『違うのをよこせ。』ということなのだった。贅沢な鱒だ。

と、ここで昨日、現場で話題になった“ブドウ虫”のこと。一体、何の幼虫なのだろう?とのことだったが、調べると渓流釣りの釣り餌として売られているのは実は本物のブドウ虫ではなくて”ハチミツガ(ワックスワーム、ハニーワーム)”の幼虫だとのこと。じゃ、本物の正体は?と余計気になってしまうが、それはブドウやエビヅルの枝の中を食い荒らすブドウスカシバというガの幼虫ということで、いずれにしても蛾の幼虫らしい。なあんだ、お前等、そうだったのか。

去年のエントリーを見ると、去年は10人で釣って48匹だった。

http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1920.html

今年は8人。ちゃんと数えなかったが、今年は何匹釣ったろうか。この鱒釣り場は釣ると管理人さんがその場ですぐわたぬき、串打ちをしてくれ、塩をふってくれるので、昨日も豪勢な料理に交えて香草焼きにして食べた。美味かった。

Photo_5

 私は夏に四年間続いた仕事が終わり、直後に体の異変が発覚し、しばらく休んでの後の復帰後はずっと室内の整理作業に従事しているが、昨日のメンバーのほとんどは引き続き現場に立ち続けている面々。ただでさえ男女共に“野生の智恵”が備わっている人達で、比べて、自分は今、その部分がすっかり退化しているような気がした。早く、現場に戻らなければ、と思う。

 今はもう日が短くて、去年は5時ぎりぎりまで遊んでいたが、今はもう真っ暗になってしまうので、3時に片付け始め4時ごろ切り上げた。毎度のことだが、楽しい時はあっという間に過ぎる。

 帰りがけ釣った魚を分けようとなったら、意外と皆いらないということで、それで私が貰うことになった。全部で25匹。どうしたらいいんだよ(笑)。

来年はこのメンバーで泊りがけの本格的な「旅釣り」ができたら、などと話した。とっぷりと暮れていく冬の夕暮れを見ながら、2度に分けて、皆を高尾駅まで送っていった。

 暖かな冬の、良い一日だった。

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Fishermann's Blues

 

明後日の釣りが今から楽しみ。場所は去年と同じ八王子の恩方鱒釣り場というところ。

 

 http://www.geocities.jp/ongata_masu/

 

 去年は競馬スプリンターステイクスの前日の土曜日だったが、今年はエリザベス女王杯の前日の土曜日ということで、つまり一ヶ月遅い。

 日が短くなっていきているので、去年は何だかんだでPM 5:00までいたが今年は少し早く切り上げるようだろう。また去年より確実に寒いと思うけど、そんなことへっちゃらなメンバーばかりなのでそこはあまり心配していない。長期予報では雨だったが、今年も超晴れ男振りを発揮して、とりあえず雨マークは消しといた。

 本当は大勢でワイワイやるというのは苦手なんだけど(嘘つけ、と言う声が聞こえてきそうですが、実は本当です。)、釣りの時は平気。皆、釣り糸垂れてるから静。それで、ゆっくりと、ポツポツ話すというのが好きなんだな、これが。

 ↑は今日一日、口ずさんでいた歌。マイク・スコット率いるウォーターボーイズ。シンクロはやらない。昔、ディランやスプリングスティーンに飽きて、新たな才能を・・と小探ししていた時期があって、その時、知った一人。

 この歌を歌っていると段々と漁師になった気分になってくる。そして、強いウィスキーでそのまま酔っ払って、気がつくとおじいさんになっているというのが・・・今の、理想だな。

 WOO!とか言っちゃってさ。

 例によって歌詞対訳はコメント欄です。

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『ザ・スタンド』~ふう(汗)。。。

The_stand_king_covers_3  

 ふう・・・・。やっと読み終わった。スティーヴン・キングの『ザ・スタンド』。厚めの文庫本にして全五冊。今はどんな本でも読破できそうな気がする。

 軍の施設から致死率99%の殺人インフルエンザ、キャプテントリップスが漏洩し、アメリカがほぼ死滅。そして僅かに生き残った人々が「善」と「悪」の側に分かれて闘うとい黙示録的なお話。

 1、2巻は沢山出てくる登場人物それぞれの紹介と、現実にこれが起こったら国家やコミュニティーは一体どうなるのか?についての予知夢、あるいは克明なシュミレーションのよう。私がこれを知人から借りて読み始めたのが3月11日前後で、時あたかも郷里福島での原発事故があった頃。ちょうど親戚、友人等が逃走、避難の真っ最中だったので、暗澹たる気持ちに拍車がかかり読むのが頓挫していた。それを先日気を取り直して読むのを再開したのだが、聞かされていたよう、正に、後半イッキ、だった。

 物語が無類に面白くなるのは3巻頃からか。生存者達の夢に「善」の側の象徴的な人物マザー・アバゲイルと「悪」の側のそれ、闇の男が現われ、人々がそれぞれに合流し始めるあたりから。それまでは「事故」以前、主要登場人物達がどのような人生を生き、何に悩み、何をトラウマとし・・というところがマルチ・プロットで、キング独特の執拗さで描かれる。疲れるが、これが後半効いてくる。

 文庫あとがきにもあるよう、人々は善悪それぞれの側に分かれるが、どちらの側のキャラクターもそれぞれに魅力的。そして読みながら自らの中でも善と悪が拮抗してることに気づかされる。誰の中にもスチュー・レッドマンがいる一方でハロルド・ローダーが、女性ならフラン・ゴールドスミスがいる一方でナディーン・クロスがいるといった具合に。

 個人的に興味深かったのは圧倒的な兵器を完備していると思しき「悪」に対し、小さな政府のようなものを作って相対しようとする「善」の側のリーダー達に瀕死のマザーが言う言葉。

「神様があんたたちをここにお呼び寄せになったのは、委員会だのコミュニティーだのをつくらせるためじゃあない。」

 そして彼女は彼らをネイティブ・アメリカンたちのイニシエーションの儀式ヴィジョン・クエストのような、聖書のイザヤやヨブのような荒野への旅へと向かわせる。そして、その旅の結末は・・・。

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販売元:パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
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 この本は「アメリカ人が好きな本」というアンケートで過去の様々な古典に混じり、堂々の5位だったとか。そしてキング作品の中で最も映像化して欲しくない一つだということだが、残念ながら?映像化はすでにされていて、それはTV映画のようなものらしい。私も読中・読後のイメージを壊されたくないので見るまいと思っていたが、調べるとフランの役をモーリー・リングォルドがやっている。80年代の映画『プリティ・イン・ピンク』のあの子。わぉ!見てみようかな。

 早く読み終わりたいと思い、その後、どっぷり夢中になって、最後は読み終わりたくなかった。また各章の初めにある歌の歌詞からの引用(ブルース・スプリングスティーンの『ジャングルランド』、ポール・サイモンの『アメリカ』など)や、随所に暗号のように散りばめられている言葉にロック・フリークはニヤリとさせられる。例えば殺人インフルエンザ、キャプテン・トリップスはあのグレイトフルデッドのリーダー、故ジェリー・ガルシアの愛称でもある。

 最後にこの引用。

 「もしかして、われわれがこの子になにがあったのか話してやれば、この子がまた自分の子供達にそれを伝えてくれるかもしれない。警告してくれるかもしれない。愛する子等よ、これらのおもちゃは死につながる。ーこれらは閃光火傷であり、放射線障害であり、窒息死を招く疫病である。これらのおもちゃは危険だ。これらをつくったときは、人間の脳髄のなかに棲む悪魔が、神の手を導いてそうさせたのだから。これらのおもちゃをもてあそんではいけない。いいね。愛する子らよ。けっしてこれらに手を出してはいけない。二度とふたたび・・・どうか、これから教訓を学んでおくれ。この空っぽの世界をして、おまえたちのお手本としておくれ。」(第五巻P469~470から引用 訳 深町眞理子)

 現在、福島第一原発2号機では核分裂が起きている。その一方でのTTP。こんなダークファンタジーをこんなにリアルに、こんなに身につまされて読むことになるとは思わなかった。

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