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絶景ー2011.12.25 to ブエナビスタ

 

     雪を降らせた黒雲を残し
     西の空が紅(くれない)色に染まる夕暮れ時
     芝コースを引かれる君は
     とても静かな足取りだった

     君の走りに想いを重ねたのは人間の勝手だが
     いつしかぼくには 
     君が
     ある使命を帯びて天から使わされた
     妖精か何かに見えていた

     勝った馬も
     負けた馬も
     本当は
     人の想いなど乗せて走ってはいないのに
     自らの思い込みの終わるところを見て
     ぼくらはまた 
     置き去られた寂しさを知る

     一頭の馬が通り過ぎる
     
     黒雲と紅の空と緑の芝コース
     2011年12月25日 中山競馬場
     その 忘れえぬ
     絶景(BuenaVista)

 昨日の競馬、有馬記念のあとブエナビスタ(絶景)の引退式があった。レース直後には雪まで降って凄く寒かったが、スタンドから人は去らなかった。私は最前列にいて、文字通り目の前をブエナが通り過ぎて行くのを、見た。

 一つの時代の終わり。ありがとう、ブエナビスタ。

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リンゴの魂~NO4のイマジン

Photo

 ビートルズ解散後もそれぞれのメンバーのソロワークの後ろでドラムを叩いていたリンゴ・スター。ジョン・レノンが撃たれた時、ヨーコのそばにいて、まだ幼かったショーンの面倒を見ていたリンゴ・スター。

 今年、東京ではジョン、ポール、ジョージそれぞれの映画が上映されていたが、リンゴのは無かった。職場でその話題になると、「彼はいつか“おかしなおかしな石器人2”でもやってくれればそれで良い」なんて言って笑っていたんだけど、そんな事を言ったその日、家に帰ると夕刊に彼の写真が出ていて驚いた。銃身が捻じ曲がっり、Imagineのロゴが入ったピストルの模型の前でピースサインするリンゴ。ジョン・レノン暗殺から31年目にして暴力撲滅運動をするとの記事だった。

 http://www.afpbb.com/article/entertainment/entertainment-others/2844800/8180175#blogbtn

 このブログでは毎年クリスマスに“クリスマス・ソングじゃない曲をクリスマス・ソングとして聞く”みたいなことをやっていて、今年、選んだのリンゴ・スターの『Imagine me there』。2001年発表の彼の最高傑作アルバム『リンゴ・ラマ』の中の1曲で、このアルバム、発売当初、ある音楽雑誌で紹介された時の別称は“リンゴの魂”。

 ジョン・レノンは天国や地獄、所有が無いとイマジンしろ、と言うが、リンゴはそんな事は言わない。彼はただ、ぼくがそばにいることをイマジンして、と言うだけ。そう、ぼくらはジョンにはなれなかったが、リンゴにならなれる(気がする)。それは  With little help my friend という事だ。

 今年は震災と原発事故で大事な人と離れ離れになった人も多い筈。また、そうじゃない人も、例年より周りの人たちとの繋がりを色々と考えさせられた一年だったと思う。

 今年のクリスマスはリンゴ・スター。(動画の最後に出てくるこのスライドショーをUPしたおばちゃんも良い人そう・・)。

 それにしてもこの男がNO4だった。ビートルズって凄いバンドだ。

 皆さん、メリークリスマス。

 

 

               

 

     Imagine me there

 

 

      カーテンが思いがけず風に揺れても

      心配いらないさ

      君はちゃんと守られてるよ

      想像してごらん ぼくがそこにいるって

 

 

      月明かりの中 踊る影を見つけたら

      それは君がぼくの愛を受け取った証拠

      上手いくさ

      像してみて ぼくがそこにいると

      痛みの無い安らかな眠りがずっと続くよう

      想像して 

      決して孤独じゃないと

      そして夢見て

      いつもぼくがそばにいると

 

 

      愛と信頼はいつも君の周りの満ちていて

      そこにぼくはいるよ

      想像して

 

       隣の部屋がまるで遠く中国みたいに思えるときは

       知っていて欲しいんだ

       必ずぼくが君を見つけ出すって

       像してよ ぼくがついてっるて

       痛みの無い安らかな眠りがずっと続くよう

       想像して 

       決して孤独じゃないと

       そして夢見て

       いつもぼくが君のそばにいると

 

       愛と信頼はいつも君の周りの満ちていて

       そこにぼくはいるよ

       想像して

 

       時々 人生が儚い仕事のようで

       不安で気が狂いそうな状況に陥ったとき

       ぼくはいつもきみがそばにいるって想像するんだ

 

       だから君も

       想像して

       いつもぼくがそばにいると。

 

     (意訳 ナヴィ村)

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映画『ジョン・レノンーニューヨーク』~NO1のリアル

Nyuyoku

 今、スーパースターと言うと変装や人体改造・美容整形などして「ちょっと妖怪化」した人、というイメージが無いだろうか?それはマイケル・ジャクソンあたりから顕著になってきたことだが、最近のレディ・ガガ等を見ていてもそんな風に感じる。つまり、地を分からなくすることでプライベートを守り、かつ一般大衆からの区別・差別化を図る、というような感じ。

 1980年12月8日のジョン・レノン暗殺はその後のスターのあり方に大きく影響したのではないか?と、私は考える。ジョン・レノンの評伝を読んだり、映画を見るたび思う事は“こんな人がスーパースターだった”というより、“スーパースターなのにこんな人だった”という事。

 最近、某化粧品のCMで松田聖子と小泉今日子が並んで闊歩しているやつがあるが、聖子ちゃんはキレイだがやはり妖怪化している。キョンキョンは小じわが増え年齢を感じさせるが、自然体で往年のオーラそのまま、なんたってアイドル、で素敵である。その見方でいくとレノンはもろキョンキョン側の人。つまり「地」の人。人生全部がすっぴんの人。

 映画『ジョン・レノンーニューヨーク』は70年代初め、故国イギリスでのヨーコバッシングに嫌気が差した2人の、ニューヨークの小さなアパートに移り住んでからの日々を追ったドキュメンタリー。

 http://youtu.be/dHwGpFmLgRI

 極左の活動家達と接近したため危険人物と見なされ国外退去命令が下り、それはベトナム反戦運動の傍ら永住権を求めての裁判に明け暮れるという、彼の人生の中でも最も過激かつ憂鬱な日々でもある。そして、死後、すっかり“愛と平和の人”という言葉にに閉じ込められてしまった彼のイメージを払拭するに十分なエピソードが満載の日々でもある。

 平たく言うとこの映画の最大の見所は彼のダメ男ぶり。特に写真家ボブ・グルーエンが撮影し、今回の映画で初公開されたジョンがヨーコに土下座している写真はアニー・リボビッツが撮った素っ裸になって胎児のようにヨーコにしがみついている例のやつより衝撃的だった(笑)。

 http://img.yaplog.jp/img/09/pc/k/e/n/kenlennon/3/3563.jpg

 ニクソン大統領が再選した夜、エレファント・メモリーバンドのメンバー達とヤケクソパーティーのようなことをして、その時、でん酔した彼は女の子を一人連れ帰ってなんとヨーコがいる場でセックスし始めてしまう。バンドの一人が慌ててボブ・ディランのレコードの音を大きくしてごまかそうとした、なんて言っているけど後の祭り。その後、シラフに戻り強烈な自己嫌悪にかられて上の写真のような土下座となるのだが、今までイマイチ良く分からなかったその後の“失われた週末”と言われる日々への理由がこれでハッキリした。分かり易いじゃないか、ヨーコ。

 で、その“失われた週末”と言われる、ヨーコに追い出され単身ロスアンジェルスで過ごしている日々がまた、酷い。あんまり酷くて書きたくない。つまり、ヨーコに会いたくて、会えなくて、死にたくて大酒をかっくらい人の迷惑も顧みず大声で下品に騒いでいる酔っ払いのオッサン、それがこの頃のジョン・レノン。

 女子トイレに入り、おでこに生理用ナプキンをつけて現われ、周りは引いているのに本人はウケていると思って踊っているという、その場に一緒に居合わせた当時の愛人メイ・パンのその時を振り返る口調は今でも怒っていた。そりゃ、そうだろう・・・な。

 この当時のエピソードで私が一番驚いたのはジョンが飲んでいるクラブの周辺に元ビートルズがいるということでもの凄い数の群集が集まり、その中にジョン自身が突っ込んで行ったというもの。酔っ払った彼は「一体、オレの何が欲しいってんだ!」と怒って、そうしたらしいけど、一緒にいて救出したメンバーの一人は「本当に恐かった、まるで餌に群がるイナゴの大群のようだった」と言っていた。私はリチャード・バックの小説『イリュージョン』の主人公が死ぬ最後のシーンを思い出した。

 その後、ヨーコと無事よりを戻してからの日々は今や誰もが知るところである。ショーンが生まれ、育児にいそしみ、パンを焼くジョン・レノン。後に『ダブル・ファンタジー』のプロデューサーとなるボブ・グルーエンはこの頃、街で偶然ジョンと出合った時のことを語っていた。「姿形、歩き方も喋り方も何もかもが変っていた。何かあったら電話してくれ、と番号を貰ったがこちらからはかけなかった。ジョンは何かを見つけたのだと思った。」・・・彼はメタモフォーゼしたかのようなジョンを見て、彼が心を平安を得たのだと知り、そっとしておいてやろうと思ったのだ。そして、その頃は昔を知る人たちの間で彼はもう、そういう存在になっていたみたい。

 しかし、電話はジョンの方からかかってきた。

 この映画を見ると、ジョン・レノンの偉大さというものの正体が垣間見れる。彼は何も『イマジン』や『ギブ・ピース・ア・チャンス』を書き、ベッド・インをやったから偉いのではない。彼は愛や平和だけでなく、情けない自分、ダメな自分をも包み隠さず、その自己嫌悪や愛を失う恐怖、謝罪までもを歌にした。それも素晴らしくリアルな胸に迫る歌に。これが僕らのジョン・レノン、スーパースターなのにスッピン・・・・でも、こんな人はやはり殺されてしまうのだろうな・・・。

 この映画はレコーディング中のコンソールルームからミュージシャンに指示を出すジョンの声で構成されている。中にこんな言葉があって大笑いしてしまった。「そのベースライン、いいね、僕の人生で最も欠けていたのは良いベースなんだ。」

 この男がNO1だった・・・ビートルズっで凄いバンドだ。

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映画『ポール・マッカートニー~THE LOVE WE MAKE』~NO2の確信

Photo_2  

 3月に原発事故が起きてすぐの斉藤和義の例の歌が問題になった後、私が一番思ったのは“この手の歌をもっと多くのロックシンガーが唄うんじゃないの?”と思っていたがそうじゃなかった、ってこと。これは何かのインタヴューで斉藤自身も言っていた。

社会を揺るがすような大事件が起きた時、音楽家がどのように行動すべきなんて勿論個々の判断で良いと思うが、ことロックに関しては「反抗」とか「自由」とかをその本質に抱えるジャンルだったりするので、メディアの自粛とか規制の中に絡めとられた状況を見るとやはり「夢」が挫折したような印象を受ける。

 ジョン・レノンに比べるとポール・マッカートニーは社会的な問題に対して直接的な発言や行動が少ない。言ったら傷だらけになってしまうと分かっていてもあえて口にして、予想通りボロボロになってしまうジョンの脇にいて、理知的な発言でサポートするという、ビートルズの中で彼はそういう役回りだった。「利」の人で決して損な事はしない、そういうイメージ。

今月9日に公開の映画『THE LOVE WE MAKE』はそのポール・マッカートニーが9.11直後に行なった『コンサート フォー ニューヨーク』の舞台裏を捉えたドキュメンタリーである。

 http://youtu.be/QrdGNo7VrCI

 このコンサートに関してはライブ盤のCDで聴いていて、当時あまり良い印象を持たなかった。スーパースターと言われるアーチストが多数出演していたが9.11の事件が起きた本質的な理由からすると的外れな選曲が多くて、「まあ、ポールがやるとこういう風になってしまうのだろうなあ」なあんて思っていた。ロックセレブ達の自己満足的なパーティーに見えた。

 しかし、今、原発事故後の状況から9.11直後のアメリカを推し量るに、あの時も同様な事が起きていたことを改めて思い出す。『イマジン』や『明日に架ける橋』など、今では信じられないような多くの名曲が放送禁止になり、右翼的な内容のカントリーがヒットしたりしていた。そして、そこにも当時の事情なりの経済主導の「利」が絡んでいた。だから、そうした状況の中で一つの態度を表明するのは、それなりに勇気のいることだったんだろうな、と、今は思う。

 私はこの映画を見ても「でも、やはりポールは凄い・・」みたいな気分にはきっとならないだろう。ただビートルズの中で、夢想家、あるいは荒唐無稽なイメージで語られるジョンやジョージの行動が案外具体的だったに比べ、実務的な利の人ポールの社会的なアプローチがこうした的外れとも思えるドリーミーなものだったのを考えると、ハタとある答えに行き着く。

それはメンバーの中の誰よりも 彼は音楽の力を信じている、ということ。

それは歴史を揺るがすような大事件を前にすれば吹けば飛ぶような確信である。だがそれは彼が書く曲のように美しい確信だ、と思う。

私はこの映画にそれを見に行く。

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