友の命日
昨日は友人の命日だった。そんな事を漠然と思いながら早朝メールのチェックをしていると、全く予期せぬところから生前の彼が私について言っていたと言う言葉が届いていて、不覚にも涙が出てしまった。
亡くなって5年が経つ。5年もたってまだ泣けるというのはどういうことだろうか?一つに「友達」ということを考えた。皆、“友達、友達”と言うけれど身の回りの人間関係を見直してみて、どの辺りからの人のことを「友達」と言うのだろうか?先日の鎌倉の時のように、20年近く会っていなくても友達と言える人もいれば、もう何年も毎日顔を突き合わせていても他人行儀な関係もある。
彼は良くも悪くも会うたびに体温が伝わる人であった。嫌な思いも一杯したし、させた、と思う。しかし、それが20世紀の友情だった。藤原新也がジョン・レノンを殺したのはマイケル・ジャクソンだ、と言ったのと同じ意味で、私は彼を殺したのは携帯・PCメールだと思う。
私も最後までデジタルなコミュニケーションを拒否していた一人であるが、今はブログもTwiiterもFace bookもやっている。やるからにはちゃんとやろうと思ってやっているが、ここが本心を吐露する場所なのか、日常をカムフラージュする場所なのか、時々分からなくなる。
彼はこんなボクを凄い、と言ってくれていたらしい。
彼はボクの友達だった。
(写真は1989年夏、マサチューセッツ州ロウエルのジャック・ケルアックの墓の前で。右端と左端でブルーハーツのマーシーからもらったケルアックTシャツを着ているのが私と彼。偶然、ジャックの奥さんステラ・ケルアックに会って記念撮影したもの。)
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