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『はせがわくんきらいや』と『小さなよっつの雪だるま』

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 長谷川集平、という人を誰かに紹介しようとする時、ボクは最近、“ロッカー”と言うことにしている。それは集平さんが絵本作家・児童文学作家であると同時にミュージシャンであって、そのミュージシャンの部分をもっと知ってもらいたい、とかそういうことじゃなく、その全部を含めてロッカー。ロックンローラーじゃなくてロッカー。

 集平さんは1976年『はせがわくんきらいや』でデヴューしたが、時はあたかもロンドンでパンクロックの火の手が上がろうとする時代。だからボクはセックス・ピストルズが『Never mind』で、クラッシュが『White Riot』でデヴューしたというのと同じ地平で考える。集平さんはその時、日本で『はせがわくんきらいや』でデヴューしたんだな・・と。

『はせがわくんきらいや』という作品を知らない人に一言言っておくと、これは衝撃の作品だ。

 http://www.hico.jp/sakuhinn/7ma/ma03.htm

 ボクは当時のことは知らないが、今見ても比喩でもなんでもなく日本の絵本界にあってこれはパンクロックに匹敵する衝撃だったんじゃないかと想像する。今年の夏、ボクは上野の国際児童図書館で何年かぶりにこの絵本を見たのだけど、世界中の絵本が立ち並ぶ中にあってそれは未だに衝撃作だった。ロックだった。

Photo_2  さっき上でピストルズやクラッシュの名を挙げたけど、久々に見た『はせがわくんきらいや』の印象はポリスやエルビス・コステロやU2。青春の、刹那的なエネルギーと見紛うが、そこには世界に一撃くらわせてやる!という野心とプロテストの意志と同時に、若き集平さんの戦略を感じた。あたかも知性と技術を兼ね備えたコステロやスティングがパンクムーブメントの嵐の中から現れたような。

そして原発事故による放射性物質の飛散により食の安全が問われ騒然としていた今年の夏に(今だって騒然としていてしかるべきと思うが)これを読んでボクはため息が出てしまった。「集平さんって、これがデヴューなんだよな・・・」って。ホントにオドロキ。絶句。                   

 最初の画像で紹介する絵本『小さなよっつ雪だるま』はそんなデヴュー作を持った集平さんの最新作。30年のキャリアを持つ作家のデヴュー作と最近作を並べてものを語るというのも大変失礼のような気もするが、夏に『はせがわくんきらいや』を再読し、冬にこの『小さなよっつのゆきだるま』を手にしてボクは幸福だった。

 本の帯びには“生きていることの幸せや、命をつないでいくことの尊さをやさしく静に語る、長谷川集平の新境地。”とあるが、ボクは新境地というよりも深化、だと思った。『はせがわくんきらいや』にある怒りは、このような世界に対する愛を基本にしている、していた。そう思うと泣けてくる。

今、東京で原発事故や放射性物質による内部被爆について語ると、「もう、自分はいつ死んだって良い・・・」という声を凄く多く聞く。話が少し脱線するがこの前テレビで映画『悪人』を見たが、その中で娘を殺され、そのキッカケを作った男が何の良心の呵責もなくヘラヘラしているのを見て、父親演じる柄本明が憤ってこんなセリフを言う。「今は大事だと思える人がいないという人間が多すぎる」と。実際もそんななのかな?

 もし、自分が死んで魂だけの存在になりながらもずうと地上にいて、自分の子供や子孫、またそうじゃなくとも、その後の世界の人々が泣き苦しむ姿をずっと見続けねばならないとしたら、それを地獄というのではないだろうか?ボクなら嫌だ。

 ボクが見ていたいのはこの絵本にあるような世界。それはボクらがずっと繰り返してきた世界。実際、この本の中の入院しているお母さんが赤ちゃんを抱いて笑っている絵は、数年前、今は亡き母がこのような状態だったので忘れられない一枚となった。ボクはいつまでもこのような世界の一部でいたい。

 ボクのような東北人で東京在住の人間からすると長崎は暖かい南国というイメージが未だ強いが、そこからの雪景色の贈り物。集平さんはティン・ホイッスルも吹くので、それを知っていると長崎がアイルランドにもなる。

 昨日が仕事納めで、例年ならすぐに実家のいわきに帰って兄弟親戚と過ごすというのが常だったが、今年は原発事故の影響を考えずっと東京にいることになった。ボクもこれからこの本の主人公のように心の中でゆっくり自らの絵本を紡いで過ごそうと思うが、その本を悲しい結末で終わらせるわけにはいかないと思う。

 ボクの好きなロッカーの一人はニール・ヤング。だけど彼の『ヘイヘイ、マイ、マイ』の中の“錆びてしまうよりは燃え尽きてしまったほうがいい”というあの言葉は嫌い。実際、その言葉を遺言のようにしてカート・コバーンが自死して以降、ニールはこの歌を唄うのを封印しているとか。いつまでも錆びないで静に燃え続けている方が良い。ボクならそう思う。集平さんのように。そして、もう、ロックには聞くものが無くなった・・という友人に今度会ったら言ってやろう。長谷川集平を聞けよ(読めよ)って・・ネ。 

 PS このブログ、今年はこれで終わりです。また来年。みなさん、良いお年を。

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