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映画『近松物語』~香川京子という至福

Tikamatsu_main_2 先週の国立劇場に続き、今月二度目の近松。

 文楽の為に書かれた本(戯曲)は文楽で見るのが一番という気持ちがある一方で、他の様々なジャンルに移されたものの中にも名作・傑作があるのも重々承知。で、今日、東京国立近代フィルムセンターで見てきた溝口健二監督の『近松物語』はその代表であろう。ゴダール等にも影響を与えたと言われる正に世界映画史に残る一本。

 この映画、昔、とある映画狂の人に「見たら他の映画を見るのが馬鹿らしくなるから決して早くから見てはいけない」と言われたことがあった。無論、その言を守っていたわけではないが、どうせ見るならビデオやDVDではなく映画館のスクリーンでと思っていて、本日、ついに実現した次第。

 近松門左衛門と言うと、世話物、心中物ということになるのだが、これも一種の心中物なのだろう。原作は『大経師昔暦』。しかし、これは『曽根崎心中』や『心中天網島』などとは一線を画す。

 心中とはこの世で一緒になれない二人がせめてあの世で結ばれようとする浄土思想に裏打ちされた行為だと思うが、この映画の茂兵衛(長谷川和夫)とおせん(香川京子)は自分達の手では死なない。死のうとする最後の瞬間に、タナトス(死への欲動)がエロス(生への欲動)へと変転し、この世にいながらにして固く結ばれてしまうのだ(この辺りは大島渚の『愛のコリーダ』とはベクトルが逆)。言わば思いがけずにこの世で浄土が実現されてしまう。↓は正にそのシーン。

 http://youtu.be/UsDReXBPoD4

 映画はこれ以降、前半、登場人物たちの立場や心理を説明するような静かな展開だったのが一転して、後半、茂兵衛とおせんの暴走気味な、激愛の物語へと化す。

 映像はモノクロの映像美の極みとも言うべきシーンの連続で、私は特に二人が隠れる茂兵衛の故郷の納屋の中のシーンの、まるで竹細工のような光と陰のコントラストに惚れ惚れした。

 それと香川京子。私は後世にこの香川を残してくれた溝口にありがとうと言いたい。この映画での香川京子を見ることは映画を見ることの至福の一つと言っていい。美しい。

 スクリーンの中で茂兵衛とおせんは貪るように抱き合っていて、離れたシーンになっても互いを求め合ってすぐに一つになる。まるで離して置いておいても磁力が強くてくっついてしまう磁石のように。そして、二人の激愛ぶりによって周囲の者たちが慌て、みるみる崩壊していく様が心地よかった。茂兵衛・おせん以外、この映画の人々はことごとく悪人ばかりだから。

 それにしても日本映画の1950年代というのはなんと凄い時代なのだろう?。ジョン・フォードを意識し、結局、スピルバーグやルーカス等に影響を与えるようになった黒澤のような人もいれば、ヨーローッパ映画のその後を決定付けたとも言える小津やこの溝口のような人もいる。

 今回のフィルムセンターでの『香川京子特集』では溝口の映画は他に『山椒大夫』もやっていたが、見れなかった。悔しい。

 溝口の映画をもっと見たいと思った。

 この映画についてとても良く説明されているブログを見つけた。是非、参照の程を。

 『近松物語』という完璧な映画について 

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