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東京美人と山形ガールズとスカーレット・オハラ

Vivien1  先日、今、東京に美人が少なくなった、という番組を見た。司会久米宏。

 本当の番組のコンセプトは『東京に暮らしていて幸せか?』という、都市一極集中の是非を問うもので、家賃、通勤時間、子育てなどなどのデータを地方と比べて、どちらが豊かな暮らしかを比較するという内容だった。その中に女性のお洒落度、美人度という項目もあった。

 最近の地方の女の子達は都会に出たいという意欲がほとんど無いらしい。大きなショッピングモールが方々に出来て買い物は便利。本場のブランド物の洋服やなんやかんやもネット通販で手に入る。地元を見直そうとする本格的な雑誌なども今はあって、皆、東京の文化など無視で、自然のロケーションやゆったりした時間、人との繋がりを大事に生きていた。

 大体、東京の人には田舎は不便、という印象がある。が、番組では赤坂にあった本社を福岡に移転した会社の従業員の暮らしをレポートして、それまで家賃14万で暮らしていたマンションよりさらに広い間取りでもっとキレイな所をその半額以下で借りられ、通勤に50分かかっていたのが、徒歩で15分となり、今の方が良い、と言う夫婦が取り上げられていた。東京にいる時より今の方が都心にいる、とも言っていた。

 さて、問題の美人度だが番組の中でこんな実験があった。東京と地方、道行く女性達を無作為に選び、なんの先入観も与えずに自画像を2分間で描いて下さいと、色紙とペンを渡すというもの。

 地方の女性達のそれは多くが笑顔だったのに対し、東京の女性のそれは圧倒的に無表情、もっと言うと故意にしかめっ面か、疲れているいるような表情を描いた(これには番組のコンセプトに添うような作為をやや感じたが)。

 つまり、美人が少なくなった、というのは皆、疲れている、と言うことなのだった。ブス、というのはブスっとしている、ということだった。番組制作者サイドの言として地方の女性は声をかけると面白がってやって来て、わいわいと描いてくれるが、東京の女性はほとんど無視・素通りなので苦労したとも言っていて、そこでも何か分かれる感じがした。

 一言で言うと、東京は大きな自閉空間なのだ、とこれは私の個人的な意見。人が多すぎて、人を看板か空缶のようなモノと感じなければ生きられないというところまで来ているが、それが自然なことのようになっていて誰も気付かない。かく言う私も若い頃、電車ではすぐケンカしてしまい、そのため今は耳にイヤホーンで音楽をがぶ飲みし、不快な事が目に入らぬよう常に本を読んでいる。確かに不幸だな・・・これは。

                   ☆

 原発事故で福島を離れ、山形で避難生活をしている弟がついに帰農した。Facebookで毎日、作っている野菜や作業の様子を写真っでアップして見せてくれているが、その中に“山形ガールズ”というのが紹介されていた。これは山形で農業に従事している若い女性のグループらしくて、見ると、皆、可愛い(おせじじゃなく)。早速、友達リクエストを出した。へへ。

     http://www.kf831.com/girls/

 東京と地方を比べ、そのある一面だけを拡大解釈してものを論じるのは危険だ。だが、番組で紹介されていた様々なデータは事実として受け止めたいと思った。また、コマツの会長が言っていた、アジアを視野に入れた場合、首都は九州あたりにあったほうが自然・・という意見は正しいと思う。故網野善彦の著作にあった日本海を北向きにした日本地図を思い出した。

 さて、最後に美人に対する私の意見だが、別に意見と言うほどのものは無くて、ただ紹介したい一文があるだけ。それは『風と共に去りぬ』の冒頭の文章。

 “スカーレット・オハラは美人ではなかったが、彼女の魅力に捕まった男はたいていそのことに気づかなかった。”

 ガンバローぜ、東京。 

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