映画『ジョン・レノンーニューヨーク』~NO1のリアル
今、スーパースターと言うと変装や人体改造・美容整形などして「ちょっと妖怪化」した人、というイメージが無いだろうか?それはマイケル・ジャクソンあたりから顕著になってきたことだが、最近のレディ・ガガ等を見ていてもそんな風に感じる。つまり、地を分からなくすることでプライベートを守り、かつ一般大衆からの区別・差別化を図る、というような感じ。
1980年12月8日のジョン・レノン暗殺はその後のスターのあり方に大きく影響したのではないか?と、私は考える。ジョン・レノンの評伝を読んだり、映画を見るたび思う事は“こんな人がスーパースターだった”というより、“スーパースターなのにこんな人だった”という事。
最近、某化粧品のCMで松田聖子と小泉今日子が並んで闊歩しているやつがあるが、聖子ちゃんはキレイだがやはり妖怪化している。キョンキョンは小じわが増え年齢を感じさせるが、自然体で往年のオーラそのまま、なんたってアイドル、で素敵である。その見方でいくとレノンはもろキョンキョン側の人。つまり「地」の人。人生全部がすっぴんの人。
映画『ジョン・レノンーニューヨーク』は70年代初め、故国イギリスでのヨーコバッシングに嫌気が差した2人の、ニューヨークの小さなアパートに移り住んでからの日々を追ったドキュメンタリー。
極左の活動家達と接近したため危険人物と見なされ国外退去命令が下り、それはベトナム反戦運動の傍ら永住権を求めての裁判に明け暮れるという、彼の人生の中でも最も過激かつ憂鬱な日々でもある。そして、死後、すっかり“愛と平和の人”という言葉にに閉じ込められてしまった彼のイメージを払拭するに十分なエピソードが満載の日々でもある。
平たく言うとこの映画の最大の見所は彼のダメ男ぶり。特に写真家ボブ・グルーエンが撮影し、今回の映画で初公開されたジョンがヨーコに土下座している写真はアニー・リボビッツが撮った素っ裸になって胎児のようにヨーコにしがみついている例のやつより衝撃的だった(笑)。
http://img.yaplog.jp/img/09/pc/k/e/n/kenlennon/3/3563.jpg
ニクソン大統領が再選した夜、エレファント・メモリーバンドのメンバー達とヤケクソパーティーのようなことをして、その時、でん酔した彼は女の子を一人連れ帰ってなんとヨーコがいる場でセックスし始めてしまう。バンドの一人が慌ててボブ・ディランのレコードの音を大きくしてごまかそうとした、なんて言っているけど後の祭り。その後、シラフに戻り強烈な自己嫌悪にかられて上の写真のような土下座となるのだが、今までイマイチ良く分からなかったその後の“失われた週末”と言われる日々への理由がこれでハッキリした。分かり易いじゃないか、ヨーコ。
で、その“失われた週末”と言われる、ヨーコに追い出され単身ロスアンジェルスで過ごしている日々がまた、酷い。あんまり酷くて書きたくない。つまり、ヨーコに会いたくて、会えなくて、死にたくて大酒をかっくらい人の迷惑も顧みず大声で下品に騒いでいる酔っ払いのオッサン、それがこの頃のジョン・レノン。
女子トイレに入り、おでこに生理用ナプキンをつけて現われ、周りは引いているのに本人はウケていると思って踊っているという、その場に一緒に居合わせた当時の愛人メイ・パンのその時を振り返る口調は今でも怒っていた。そりゃ、そうだろう・・・な。
この当時のエピソードで私が一番驚いたのはジョンが飲んでいるクラブの周辺に元ビートルズがいるということでもの凄い数の群集が集まり、その中にジョン自身が突っ込んで行ったというもの。酔っ払った彼は「一体、オレの何が欲しいってんだ!」と怒って、そうしたらしいけど、一緒にいて救出したメンバーの一人は「本当に恐かった、まるで餌に群がるイナゴの大群のようだった」と言っていた。私はリチャード・バックの小説『イリュージョン』の主人公が死ぬ最後のシーンを思い出した。
その後、ヨーコと無事よりを戻してからの日々は今や誰もが知るところである。ショーンが生まれ、育児にいそしみ、パンを焼くジョン・レノン。後に『ダブル・ファンタジー』のプロデューサーとなるボブ・グルーエンはこの頃、街で偶然ジョンと出合った時のことを語っていた。「姿形、歩き方も喋り方も何もかもが変っていた。何かあったら電話してくれ、と番号を貰ったがこちらからはかけなかった。ジョンは何かを見つけたのだと思った。」・・・彼はメタモフォーゼしたかのようなジョンを見て、彼が心を平安を得たのだと知り、そっとしておいてやろうと思ったのだ。そして、その頃は昔を知る人たちの間で彼はもう、そういう存在になっていたみたい。
しかし、電話はジョンの方からかかってきた。
この映画を見ると、ジョン・レノンの偉大さというものの正体が垣間見れる。彼は何も『イマジン』や『ギブ・ピース・ア・チャンス』を書き、ベッド・インをやったから偉いのではない。彼は愛や平和だけでなく、情けない自分、ダメな自分をも包み隠さず、その自己嫌悪や愛を失う恐怖、謝罪までもを歌にした。それも素晴らしくリアルな胸に迫る歌に。これが僕らのジョン・レノン、スーパースターなのにスッピン・・・・でも、こんな人はやはり殺されてしまうのだろうな・・・。
この映画はレコーディング中のコンソールルームからミュージシャンに指示を出すジョンの声で構成されている。中にこんな言葉があって大笑いしてしまった。「そのベースライン、いいね、僕の人生で最も欠けていたのは良いベーシストなんだ。」
この男がNO1だった・・・ビートルズっで凄いバンドだ。
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