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映画『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』と苫米地サトロの『満月』

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 先週末の金曜日、東中野のポレポレ座に『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』という映画を見に行った。しかし、「見た」と書けないのは映画の上映はPM5:00からで、私の仕事の作業終了時もPM5:00。映画は2時間だから急いで駆けつければ後半だけは・・・と願って出掛けたが、総武線の人身事故の影響で新宿のホームで足止めとなり、残念だが見れなかった。

 映画『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』は第85回2011年度キネマ旬報ベストテンの文化映画部門で1位だった『大丈夫。-小児科医細谷亮太のコトバー』を撮った伊勢真一監督の最新作。

 http://www2.odn.ne.jp/ise-film/

 映画には3月11日に宮城県亘理町で被災した友人のシンガーソングライター苫米地サトロの周辺と彼の歌が大きく取り上げられており、私はサトロさんから招待されて行ったのだけど、上のようなことで、結局、上映後のパーティーにだけ参加した。

 私が到着した時はすでに宴たけなわという感じで、ノンフィクション作家の柳田邦男氏他、様々な人々がスピーチしているところだった。私はサトロさんが歌うのを聞ければ、と思っていたがそのコーナーも既に終わったと言う。しかし、本人に聞くと一番最後にもう1曲歌うというので、安堵してワイン、その他の料理をパクついた。

Photo  で、サトロさんが最後に歌ったのは『満月』という曲。私自身はもう十年以上聞き続けている名曲だが、歌う前にサトロさんはこの曲が出来た時の状況の話をした。それは亘理町の吉田浜の海に満月が見えた年の大晦日の夜のことで、後年、伊勢監督と出会い、彼の映画にその年の大晦日のシーンがあるのを見つけ、同じ年の同じ時刻に何かを思い、何かを創作していたということの縁を感じた、という話だった。

この歌の最後は“君は泣いているだろうか 僕は泣けるようになったよ”という言葉。

会場の壁には映画『大丈夫。-小児科医細谷亮太のコトバー』のポスターが貼られていて、歌を聞きながらふと目をやると、そこに“私は泣けなくなったら医師をやめなければいけないと思っています。”という細谷医師の言葉が書かれていた。私の中で、映画の言葉と歌の言葉が共振するようだった。

 パーティーの後の二次会にも参加することになって、そこで伊勢監督を紹介された。監督の印象は自分の考えを押し付けない、人の話を良く聞く人、という感じ。約2時間の映画『大丈夫。』のために彼は細谷医師の十年以上にわたる膨大なインタヴューを撮影しているという。そこに彼の人柄を見るようだと思った。

 そして、映画『傍(かたわら)~3月11日からの旅~』の撮影に関った多くのスタッフたち。年齢は私と同じ位か、もしくはもっと若い人たちばかりだったが、中に、映画の撮影と称して被災地に入って行く時の罪悪感のようなものを素直に吐露し、泣いている女性がいた。皆、真剣で熱い人たちだった。

サトロさんはその夜、我が家に泊まることになっていて、いざ帰ろうとすると何と!帰りも人身事故による足止め。しかし、駅や車中での時間、色々と話ができた。

この日は試写パーティーだったが、映画は2月14日、18日になかのゼロで、26日に神奈川県大倉山記念館で公開される。絶対、見なければ。

 http://www2.odn.ne.jp/ise-film/ise2/jyouei/jyouei_new.htm

 

 

 PS 写真は2007年クリスマスの早朝、東京日野市の満月。

 

 

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森と図書館

 

一枚の木の葉に秘められた真理を
読み解く森の人
その木からできた紙に書かれた知識を
持て余す街の人

図書館の本を全部読んだ人と
森の賢者の
どちらの人生が立派なのか
僕には分からない


「木」という文字でしか木を
知らぬことで起こる悲劇と
「木」を自然科学的に理解することを
知らずに起こる悲劇の

    
どちらの悲惨が大きいのか
計れないのと同じように

アルファベットも
『マルテの手記』も
1+1も
E=mc²も
ぼくらが初めて目にした時
それらは木に記されていた
本という木に

<図書館が好きな人のからだには、太古の昔、
森で暮らしていた頃のDNAが色濃く残っている、と
以前、ラジオで聞いたことがある。確かに森と図書館は
似ていると思う。>

森が死ぬと
地球という街角から図書館が一つ消える
だが
白紙の頁に秘められた真理を
君が読み解く時

森は甦る

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24度目の歌舞伎~新橋演舞場・寿初春大歌舞伎

Photo  昨日、七草明けの日曜日、正月気分のダメ押しに歌舞伎を見に行ってきた。新橋演舞場・寿初春大歌舞伎。

一体、こうして何度歌舞伎を見に出掛けたことだろうか?久しぶりにこのブログのカテゴリー「いろは歌舞伎」をクリックしてみると、そうか、24度目の歌舞伎。

シネマ歌舞伎『わが心の歌舞伎座』について書いた時、私は“黄金時代”と書いたが、その直後、中村富十郎が亡くなり、勘三郎が病気に倒れ、十月には芝翫、暮れには岩井半四郎とが続いて亡くなった。なんだかディス・ノートならぬディス・ブログの主になったような気分だが、あの歌舞伎座が無くなった事は一つの時代の変わり目だったのだなあ、とつくづく思う。

見たのは午前の部で演目は『相生獅子(あいおいじし)』、『祇園祭礼信仰記~金閣寺』、そして『加賀鳶(かがとび)』の3本。

『相生獅子』は歌舞伎舞踊として能の「石橋」を題材にした「石橋もの」の最古の曲とか。紅白のそれぞれの振袖を着た姫二人による華麗な舞踊だが、姫は魁春と芝雀。私は意外と舞踊好きで、久しぶりの歌舞伎の最初が舞踊で良かった。二人の踊りは良い意味で軽くて、見ていて肩の力が抜けた。すんなりと入っていけた。

『祇園祭礼信仰記~金閣寺』は松永大膳に三津五郎、雪姫に菊之助、真柴久吉に梅玉。典型的な“国崩し”の三津五郎=大膳が良かった。見得がすっきりしっていて、小柄な彼が大きく見えた。見ていて歌舞伎的な醍醐味があった。

 菊之助の雪姫は意外にも初役らしいが、悔しがる演技と驚く演技の区別が曖昧で、ややめりはりに欠けた。しかし、さすが気品がある美しい雪姫で、例の「爪先鼠」の場面では足先を少し出す仕草も可愛く、色っぽかった。私は歌舞伎の三大花魁、夕霧、揚巻、八橋を全て玉三郎で見たが、この菊之助の雪姫が初役と知って、歌舞伎の三姫と言われるあとの“本朝廿四孝”の八重垣姫と“鎌倉三代記”の時姫も全て菊之助で見たいと思った。またもう一度この雪姫も。ひいきの役者が演じる役とともに成長するのを見続けられたら、それこそが贅沢というものだろう。

梅玉の、知勇をたたえ颯爽とした武者ぶりの真柴久吉は良かったが、此下東吉との演技の落差がもう少しあっても良かった気もする。しかし、やりすぎでも品が損なわれる。これは難しい役なのだ。

で、最後の『加賀鳶』。これは吉衛門の松蔵につきる。愛嬌のある小悪党、道玄を演じる菊五郎もそつがなく良かったが、この松蔵相手では分が悪い。三幕目第二場、竹町質見世の場での、例の河竹黙阿弥の七五調のセリフ回しといい、貫禄、余裕、存在感といい、いずれも申し分がない松蔵だった。見ていて気分が良かった。 

                 ☆

 昨日、新橋演舞場に行く途中、現在、建設中の歌舞伎座を見た。歌舞伎座、と言ってもまだ、そんな風情は微塵も無くて、ただ建築現場というだけであったが。Kabukiza_3

去年は震災と原発事故があり、今年同様、正月に一度見たきりで、すっかり歌舞伎から遠ざかってしまった。6月に見る予定にしていた国立劇場での仁左衛門の『絵本合邦辻』は中止になった。

今年は二月に勘太郎が勘九郎を襲名する。六月には亀次郎が猿之助になる。あらゆる面で時代の変わり目にあるこの国だが、拙くとも若い力がさらに大きな舞台に出て行く様は、見ているこちらも力を得るようである。

もっと彼らの芸に頻繁に触れるには、やはり歌舞伎座の幕見しかないと思うのだが、しかし、完成するまで待ちきれない。

今年こそは一杯歌舞伎を見ようと思う。さて、どんな風に見ようか。

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