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小説『悪人』~教会のような灯台

Photo_4  去年見た中で、私には忘れがたい映画が三本ある。それは東京近代フィルムセンターで見た『裁かるるジャンヌ』(1929仏 カール・テオドール・ドライエル)と『近松物語』(1954日 溝口健二)、それとテレビで見た『悪人』(2010日 李相日)の三本である。

 特に悪人はたまたま娘が見ていたものをそばで見るでもなく眺めていて、段々と目が離せなくなってきて、結局、釘付けになって見た。そして、見終わった後、ビックリして、しばし娘と顔を見合わせてしまった。直後に二人で色々と話したが、結論は「凄く感動しているのに、その感動の理由が分からない」、ということで、その日は寝た。

 以後、物語の内容やセリフ、あらゆるシーンが事あるごとに思い出されるようで、ずっと気になる映画のままだった。

 昨日、知人とのメールによる私信のやりとりで、この物語が長崎の、抑圧されている人々の物語であると教えられ、驚き、今日、一日かけて原作を読んだ。

  http://publications.asahi.com/akunin/

 そうした視点を得た後に読むと、映画を見たときとはまた違った様相が物語に帯び、目からウロコだった。そして普通こうした原作があるものを映画化した場合、どちらが良いか?のような話になるが、これはどちらも良いという、稀有な例だと思った。

 映画に、私にはどうしても気になる点があったが、原作を読んでもそれは解消されなかった。しかし、解消されないその部分こそがこの物語のテーマであり、それは見た者それぞれが自分で背負っていくべきものだ。不可解さ=人間の深遠さ、とでも言うべきか。

Photo_6  映画化され脚光を浴びて以降、上下巻に分かれる文庫本の装丁は上巻が妻夫木聡 の、下巻が深津絵里の写真になってしまったが、私が古書店で買い求めたのはそれ以前の灯台のイラストのもの。今、ネット上で探したが無かった。主人公二人が最後に隠れる灯台だが、イメージとして私は個人的に灯台が教会のように見える。

 映画化された時のキャッチコピーに“ほんとうの「悪人」は誰か”と、あるが、映画を見た直後、私も娘とそんな会話をした。二人とも答えは全員、だった。

 が、今日、原作を読んでその全員には自分も含まれると思った。私もあなたも。これはそういう物語。で、最初、分からなかった感動の理由はそこに、あった。 

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コメント

それは原罪ということ?

投稿: ほぴ村 | 2012年1月 8日 (日) 00時20分

 まず、映画か本を手にとって見てください。率直な感想を聞きたいんので。子供が小さいと居間で堂々と見るにははばかれると思いますが(ボクは中学生の娘と見たが)。本でも良いです。

 エントリーにも書きましたが、これは映画も本も傑作です。

投稿: ナヴィ村 | 2012年1月 8日 (日) 07時24分

わたしも読もうと思ってた本です。映画の舞台になった五島列島の出身の友達がいます。読んだら五島にいこうとおもってます。よかったらいっしょに、どうですか?

投稿: mimi | 2012年1月 8日 (日) 19時18分

 mimiさん、相談しましょう。

投稿: ナヴィ村 | 2012年1月 9日 (月) 07時53分

>上巻が妻夫木聡 の、下巻が深津絵里の写真になってしまった……

ぼくが手に入れたのはそれでした。でもね、あれはカバー全体を覆う幅広の帯でした。めくると灯台のカバー。なんだかホッとしました。早よ仕事を終えて読もうっと。

投稿: 集平 | 2012年1月11日 (水) 21時48分

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