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24度目の歌舞伎~新橋演舞場・寿初春大歌舞伎

Photo  昨日、七草明けの日曜日、正月気分のダメ押しに歌舞伎を見に行ってきた。新橋演舞場・寿初春大歌舞伎。

一体、こうして何度歌舞伎を見に出掛けたことだろうか?久しぶりにこのブログのカテゴリー「いろは歌舞伎」をクリックしてみると、そうか、24度目の歌舞伎。

シネマ歌舞伎『わが心の歌舞伎座』について書いた時、私は“黄金時代”と書いたが、その直後、中村富十郎が亡くなり、勘三郎が病気に倒れ、十月には芝翫、暮れには岩井半四郎とが続いて亡くなった。なんだかディス・ノートならぬディス・ブログの主になったような気分だが、あの歌舞伎座が無くなった事は一つの時代の変わり目だったのだなあ、とつくづく思う。

見たのは午前の部で演目は『相生獅子(あいおいじし)』、『祇園祭礼信仰記~金閣寺』、そして『加賀鳶(かがとび)』の3本。

『相生獅子』は歌舞伎舞踊として能の「石橋」を題材にした「石橋もの」の最古の曲とか。紅白のそれぞれの振袖を着た姫二人による華麗な舞踊だが、姫は魁春と芝雀。私は意外と舞踊好きで、久しぶりの歌舞伎の最初が舞踊で良かった。二人の踊りは良い意味で軽くて、見ていて肩の力が抜けた。すんなりと入っていけた。

『祇園祭礼信仰記~金閣寺』は松永大膳に三津五郎、雪姫に菊之助、真柴久吉に梅玉。典型的な“国崩し”の三津五郎=大膳が良かった。見得がすっきりしっていて、小柄な彼が大きく見えた。見ていて歌舞伎的な醍醐味があった。

 菊之助の雪姫は意外にも初役らしいが、悔しがる演技と驚く演技の区別が曖昧で、ややめりはりに欠けた。しかし、さすが気品がある美しい雪姫で、例の「爪先鼠」の場面では足先を少し出す仕草も可愛く、色っぽかった。私は歌舞伎の三大花魁、夕霧、揚巻、八橋を全て玉三郎で見たが、この菊之助の雪姫が初役と知って、歌舞伎の三姫と言われるあとの“本朝廿四孝”の八重垣姫と“鎌倉三代記”の時姫も全て菊之助で見たいと思った。またもう一度この雪姫も。ひいきの役者が演じる役とともに成長するのを見続けられたら、それこそが贅沢というものだろう。

梅玉の、知勇をたたえ颯爽とした武者ぶりの真柴久吉は良かったが、此下東吉との演技の落差がもう少しあっても良かった気もする。しかし、やりすぎでも品が損なわれる。これは難しい役なのだ。

で、最後の『加賀鳶』。これは吉衛門の松蔵につきる。愛嬌のある小悪党、道玄を演じる菊五郎もそつがなく良かったが、この松蔵相手では分が悪い。三幕目第二場、竹町質見世の場での、例の河竹黙阿弥の七五調のセリフ回しといい、貫禄、余裕、存在感といい、いずれも申し分がない松蔵だった。見ていて気分が良かった。 

                 ☆

 昨日、新橋演舞場に行く途中、現在、建設中の歌舞伎座を見た。歌舞伎座、と言ってもまだ、そんな風情は微塵も無くて、ただ建築現場というだけであったが。Kabukiza_3

去年は震災と原発事故があり、今年同様、正月に一度見たきりで、すっかり歌舞伎から遠ざかってしまった。6月に見る予定にしていた国立劇場での仁左衛門の『絵本合邦辻』は中止になった。

今年は二月に勘太郎が勘九郎を襲名する。六月には亀次郎が猿之助になる。あらゆる面で時代の変わり目にあるこの国だが、拙くとも若い力がさらに大きな舞台に出て行く様は、見ているこちらも力を得るようである。

もっと彼らの芸に頻繁に触れるには、やはり歌舞伎座の幕見しかないと思うのだが、しかし、完成するまで待ちきれない。

今年こそは一杯歌舞伎を見ようと思う。さて、どんな風に見ようか。

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