25度目の歌舞伎~「通し狂言 絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」
近松門左衛門の世話物・心中物には浄土教的な思想がベースにあると思われる。杉森信盛という本名を近松門左衛門としたのは一説には彼が三井寺の別院、近松(ごんじょうじ)に身を寄せていたことがあるからとかで、その時、彼が出家していたのか俗人だったのかは不明と言う。が、その事が彼の書く芝居に大きく影響を与えたのは間違いない。
大南北、四世鶴屋南北はどうだろうか。救いが無いと思われる芝居にしても近松の場合上のようなことを分かっているとそこに一条に光が差すような思いもするが、南北の芝居にはない。南北の芝居を見ると過去の人が人倫が高く立派で、時代が下がるにつれ乱れていくというような意見がいかに大嘘なのかが分かる。
良縁を持ちかけられた男は妻を疎んじ死にいたらしめ(『東海道四谷怪談』)、暗闇でレイプされた良家の姫はその男の味が忘れられず遊女に身を落とし我が子を殺しても平気(『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』)、世に誉めそやされる赤穂の義士の一人は裏では猟奇殺人を犯していたりで(『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』)・・・それはこれでもかと言うほど人間の醜さ・愚かさがひしめいている世界だ。江戸時代も、世も末だと思わずにいられないニュースに溢れた現在もさして変わらない。南北の芝居を見るといつも人間はこれまでもこうで、これからもきっとこうだ・・・という感想を持つ。そして自分の中にもある「悪」に気づかされ、慄然とする。
今日、見た「通し狂言 絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」はその極めつけとでも言うべきもの。最初から最後まで仁左衛門演じる悪党は殺す、殺す、殺す。子供も老女も自分の妻も、まるで近代理性とかヒューマニズムなどをあざ笑うかのように殺しまくる。それはこれで芝居にオチがつくのか?と最後には心配なるほどで、実際、最後は取ってつけたようだった。
あだ討ち狂言なので最後に悪は討たれることになっているのだが、南北は本当はこの悪を討たせたくなかったのではないか?パンフレットの中で奈河彰輔氏も書いているが、これは「あだ討ち狂言」と言うより、「返り討ち狂言」と言った方がふさわしく、それほど仁左衛門演じる大学之助と立て場の太平次(2役)は冷酷で強かった。で、個人的な感想を言わせてもらうと、大学之助は討たれなくても良いと思った。圧倒的な極悪さを誇示したまま幕が下りても。あたかも「スター・ウォーズ」でダース・ベイダーが生き残ったまま物語が終わるように。でも、それじゃ歌舞伎にならんか。
印象的な場面は多々あるが、私が一番良かったのは第二幕第三場「妙覚寺裏手の場」。うんざりお松(時蔵)を太平次が殺すところ。井戸に落ちていくお松までが絵になっていた。
私の周囲の女性で片岡仁左衛門が嫌いと言う人はいない。テレビでインタヴューを受けているところなどを見ると、美男子で物腰が柔らかで優しそうで品があって・・・良く分かる。歌舞伎を全然知らない人でも仁左衛門と聞くとお目目がハートマークになる。が、当代仁左衛門はあの『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』の与兵衛が当たり役だったという人だけあって、本来実悪を演じると異様に光る人。この芝居でそれは最高潮に達していると思う。『女殺~』の与兵衛は甘やかされて育った小悪党であったが、『絵本合法衢』でのそれは本物の極悪人で、悪はグレードアップした。そしてそれはそのまま仁左衛門の魅力も、ということ。
残虐劇なので見ている内に陰陰滅滅としてしまうかと思いきや、花を感じさせるのはさすが仁左衛門と言ったところ。
私が初めて見た歌舞伎はやはり南北の『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』で、その時も薩摩源五兵衛を仁左衛門が演じていた 。片岡仁左衛門が演じる南北の実悪。私を歌舞伎にはめたのはきっとこれだ。
ここ2ヶ月、休みらしい休みも取れずにいたが、電話するとチケットがまだあると言うので、矢も盾もたまらず行ってきた。この芝居は本当は去年の3月見る筈だったが震災で公演が中止になった。一年ぶりの再演だが、ネットでは前回より演出はさらに練られて良くなっているとあって、本当なら待った甲斐があったというもの。今までで多分一番良い席で、至近距離の仁左衛門だった。
女性の皆さん、ドSの仁左さま、たまりませんよ。
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