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逃げろ、ビート、逃げろ! 2012年 春 天皇賞 

Photo_4   

 逃げる、と言う言葉は、普段、あまり良い意味では使われない。ただし何かの戦略とか戦法として考えると少しニュアンスが違ってくる。80年代の浅田彰の著書に『逃走論』というのがあったし、矢沢永吉の『逃亡者』はとてもポジティブな歌だ。

 競馬をやらない人に「逃げ馬」と言っても意味は分からないか。最初から飛ばしていって最後まで逃げ切るという走りを得意とする馬。スタミナと持久力が武器だが、昔は自爆覚悟でスポンサーや馬名を覚えて貰おうとそんな走りを馬にさせる騎手がいたらしい。が、大概は途中で力尽き抜かれてしまう。

 今日の天皇賞はオルフェーブルの絶対一強が確実視されたような雰囲気だった。前回の阪神大賞典での“世紀の逸走”はかえってオルフェーブルのただものじゃなさを世に知らしめたようでもあって、新聞各紙はオルフェーブルを軸に流すのが正しい馬券買いのような意見がほとんどだった。

 ホントか?しかし、こういうのは面白くもなんとも無い。それで私が選んだ方法は相変わらず、ただ、好きで思い入れのある馬の応援馬券を買うという、ただそれだけ。私が買ったのは⑬フェイトフルウォーの複勝と①ビートブラックの応援馬券。

 フェイトフルウォーは以前、放馬後に勝利するのを目の前で見て以来好きになり、その後、何度か馬券を買ったがこの馬とは相性が悪いのか、私が買ったレースは走らず買わないとくると言うことが何度かあって、それで今回は複勝にした。ビートブラックはこれも以前、ビートジェネレーションがらみのイヴェントに出演した翌日の菊花賞で、馬名からの発想で買ったら複勝を取って、以来、何かと気にしていた馬。菊花賞は3000mなので今回の距離適正は一番良いような印象があった。

で、結果はビートブラックの先行逃げ切り。

  http://youtu.be/_-nu7bYaAXU

 生で馬が走るのを見ないとおれない体になってしまった私は、今日、わざわざ東京競馬場に出かけていって、東京のレースはただ眺めるだけにしてターフビジョンで京都での天皇賞を見た。最初、冷静に見ていたが、意外な展開に周囲がどよめくと共に力が入ってきて、最後の直線ではやはり叫んでしまった。逃げろ、ビート、逃げろ!

 レースが終わった瞬間、オルフェがこなかったという失望から東京競馬場にも大きなため息が漏れたが私は密かにガッツポーズ。単勝オッズ15960円、複勝3720円、大勝だった。

 競馬をやっていると時々、走っている馬の姿に色んな物事や人の姿が重なって見えることがある。今日のビートブラックもそうだった。あの馬は私。いや私たちだ。

 逃げろ、ビート、逃げろ。

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レヴォン・へルム氏死去~「オフェリア」

 レヴォン・へルム氏死去。The Bandのドラマーでマンドリン奏者でボーカリスト。一昨日、新聞を読んでいた息子が教えてくれた。リチャード・マニュエル、リック・ダンコに続き、ついにレヴォンも・・・という気がするが、これでThe Bandのボーカリスト三人全員が故人となった。後はロビーとガースだけ。

 評伝などを読むと、昔、良くThe Bandの真のボーカルは誰か?と言う議論があったそうだが、私はやはり誰ということはなく3人で良いと思う。名曲『The Weight』などで各箇所ごとにボーカルが入れ替わる様は、それだけでこのバンドの層の厚さ、音楽的な豊かさを伝えているようで壮観だった。ただ、私は個人的に、粘っこく、無骨なレヴォンの声が好きだった。

 先日、映画『マネー・ボール』を見ていて、ふとアメリカ男の「顔」について考えた。私の子供の頃、アメリカ人の男というと、それはスティーブ・マックィーンであり、ジェームス・コバーンであり、チャールズ・ブロンソンなどなどであった。今の基準からして、皆、とても美形とは言い難いが、皆、カッコ良かった。味があって、男が惚れる男、と言った感じ。

Photo  レヴォン・へルムはそういった男の顔をしている。そう言えば彼は映画にも出ていて、一本は80年の、カントリーの大御所ロレッタ・リンの生涯を描いた映画『歌え、ロレッタ、愛のために』(原題は『Coal Miner daughter』)で、鉱夫で主人公の父親役を、もう一本が83年の『ライトスタッフ』でサム・シェパード演じる音速を越えた飛行機乗り、チャック・イェーガーの相棒役を演じていた。両者とも寡黙なアメリカの男。好演だったと思う。

彼の死を聞いて、昨日、YouTubeで様々な映像を見たが、中に彼がアメリカのTVショーに出てインタヴューを受けているものがあった。中で自分の人生をダイジェストに語っていたが、エルビスを聞いて音楽にのめり込み、様々な経験の後、カナディアン・ボーイをかき集めてバンドを作った・・・みたいな事を言って笑いを誘っていた。The Bandは4人がカナダ人でレヴォン一人がアメリカ人。私が読んだThe Bandの評伝(『流れ者のブルース』バニー・ホーキンス著 大栄出版)は彼らの名曲『アケイディアの流木』そのままに、カナダの少年たちが音楽に出会いそのままアメリカ音楽の旅を経た後、The Bandを結成する・・と言った物語だったが、一人アメリカ人のレヴォン・へルムには、きっとTVショーで語ったような感じだったのだろう。

映画『ラスト・ワルツ』以降のThe Bandに期待してロビーのソロを買うたびに肩透かしを食った。しかし、ロビー抜きのThe BandはThe Bandのままで、それはひとえにレヴォン・へルムの「声」に負うところが大きかったと思う。

↑の動画は多分、彼の最晩年のドラム&歌と思われる『オフェリア』。時の流れと言うのは残酷に感じることが多い中で、これは例外的に美しい。

 さよならレヴォン・へルム。涙。Thank you for Good musicu.

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だいじょうぶマイフレンド

1  今日の昼休み、癌の治療で入院していた同僚が一時退院を許されてひょっこり会社を訪ねてきた。彼と私は大学の頃からの友人でもある。「仕事をください・・・」と玄関で声がするから行ってみると彼で、あっという間に社内一同が集まって再会を喜んだ。会社で飼っている猫まで出迎えた。

 その後、彼と私と社長の3人で近くの蕎麦屋で昼食をとった。転移のため片方の目を摘出し抗癌剤の影響でスキンヘッドなため、「道を歩いていると皆、よける・・・」と自分で言って笑っていたが、私にはヤクザと言うよりも彼が出家僧のように見えた。ただでさえ細いのにさらに痩せている。

 そして、そばを頼み、来るのを待ち、それを食べ終わるまでの間、彼が話してくれたことは本当に、解脱した、あるいは悟りを開いた宗教者のような内容で、彼はさらりと凄いことを一杯言った。私とまだ若い女性の社長はただただ圧倒され、その一言一言に聞き入るだけだった。彼は自分がこの世界からいなくなることを(つまり死を)リアルに、現実に進行しつつあることだと想像し、その時、どう思ったかを話してくれた。「怖いとは思わなかった。ただ、もう友達皆と会って話ができないのかと思うとずっと涙が止まらなかった。」と彼は言って、聞いていて私の方がもらい泣きしそうだった。

彼が語ったのは献身的な看病をしてくれる奥さんとその家族への感謝と、いかに健康が大事かということ。そして、原発事故によって自分と同様の病気が今後増えることについて心配していた。特に小さな子供たちについて。

 退院したばかりなので奥さんが運転の車で来たのかと思ったら、陽気がいいので電車と歩きで来たと言い、「今、色んな花が咲いていてそれが凄くキレイなんだよ。」と嬉しそうだった。

 彼はFaceBookの私の日記を読んでくれていて、娘が高校に受かったとか、豆餅をストーブで焼いて食べたとか、そんな当たり前のことがとてつもなく羨ましかった、と言った。そして今の自分の最大の目標は普通に暮らすことだ、とも。

 ゴールデン・ウィーク明けにまた入院するが、それまでは自宅療養するとのこと。そのように段階を経て入退院を何度かして治療は完了する。今のところ経過は良好だとのことで安心した、と言うより、かえって元気を貰ってしまった。まったく何やってんだか。

 http://youtu.be/3uE_NboRhmk

 ↑は村上龍の83年の超駄作映画『だいじょうぶマイフレンド』からその主題歌。良くも悪くもあの軽薄な80年代の子供である僕らにはお似合いの曲だが、今聞くとそんなに悪くない。 

 彼が元気になったら今度は一緒に何をやろうか。

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25度目の歌舞伎~「通し狂言 絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」

Photo_2  近松門左衛門の世話物・心中物には浄土教的な思想がベースにあると思われる。杉森信盛という本名を近松門左衛門としたのは一説には彼が三井寺の別院、近松(ごんじょうじ)に身を寄せていたことがあるからとかで、その時、彼が出家していたのか俗人だったのかは不明と言う。が、その事が彼の書く芝居に大きく影響を与えたのは間違いない。

大南北、四世鶴屋南北はどうだろうか。救いが無いと思われる芝居にしても近松の場合上のようなことを分かっているとそこに一条に光が差すような思いもするが、南北の芝居にはない。南北の芝居を見ると過去の人が人倫が高く立派で、時代が下がるにつれ乱れていくというような意見がいかに大嘘なのかが分かる。

 良縁を持ちかけられた男は妻を疎んじ死にいたらしめ(『東海道四谷怪談』)、暗闇でレイプされた良家の姫はその男の味が忘れられず遊女に身を落とし我が子を殺しても平気(『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』)、世に誉めそやされる赤穂の義士の一人は裏では猟奇殺人を犯していたりで(『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』)・・・それはこれでもかと言うほど人間の醜さ・愚かさがひしめいている世界だ。江戸時代も、世も末だと思わずにいられないニュースに溢れた現在もさして変わらない。南北の芝居を見るといつも人間はこれまでもこうで、これからもきっとこうだ・・・という感想を持つ。そして自分の中にもある「悪」に気づかされ、慄然とする。

 今日、見た「通し狂言 絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」はその極めつけとでも言うべきもの。最初から最後まで仁左衛門演じる悪党は殺す、殺す、殺す。子供も老女も自分の妻も、まるで近代理性とかヒューマニズムなどをあざ笑うかのように殺しまくる。それはこれで芝居にオチがつくのか?と最後には心配なるほどで、実際、最後は取ってつけたようだった。

Photo_5  あだ討ち狂言なので最後に悪は討たれることになっているのだが、南北は本当はこの悪を討たせたくなかったのではないか?パンフレットの中で奈河彰輔氏も書いているが、これは「あだ討ち狂言」と言うより、「返り討ち狂言」と言った方がふさわしく、それほど仁左衛門演じる大学之助と立て場の太平次(2役)は冷酷で強かった。で、個人的な感想を言わせてもらうと、大学之助は討たれなくても良いと思った。圧倒的な極悪さを誇示したまま幕が下りても。あたかも「スター・ウォーズ」でダース・ベイダーが生き残ったまま物語が終わるように。でも、それじゃ歌舞伎にならんか。

印象的な場面は多々あるが、私が一番良かったのは第二幕第三場「妙覚寺裏手の場」。うんざりお松(時蔵)を太平次が殺すところ。井戸に落ちていくお松までが絵になっていた。

私の周囲の女性で片岡仁左衛門が嫌いと言う人はいない。テレビでインタヴューを受けているところなどを見ると、美男子で物腰が柔らかで優しそうで品があって・・・良く分かる。歌舞伎を全然知らない人でも仁左衛門と聞くとお目目がハートマークになる。が、当代仁左衛門はあの『女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)』の与兵衛が当たり役だったという人だけあって、本来実悪を演じると異様に光る人。この芝居でそれは最高潮に達していると思う。『女殺~』の与兵衛は甘やかされて育った小悪党であったが、『絵本合法衢』でのそれは本物の極悪人で、悪はグレードアップした。そしてそれはそのまま仁左衛門の魅力も、ということ。

残虐劇なので見ている内に陰陰滅滅としてしまうかと思いきや、花を感じさせるのはさすが仁左衛門と言ったところ。

私が初めて見た歌舞伎はやはり南北の『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』で、その時も薩摩源五兵衛を仁左衛門が演じていた 。片岡仁左衛門が演じる南北の実悪。私を歌舞伎にはめたのはきっとこれだ。

ここ2ヶ月、休みらしい休みも取れずにいたが、電話するとチケットがまだあると言うので、矢も盾もたまらず行ってきた。この芝居は本当は去年の3月見る筈だったが震災で公演が中止になった。一年ぶりの再演だが、ネットでは前回より演出はさらに練られて良くなっているとあって、本当なら待った甲斐があったというもの。今までで多分一番良い席で、至近距離の仁左衛門だった。

女性の皆さん、ドSの仁左さま、たまりませんよ。

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