« 2012年4月 | トップページ | 2012年9月 »

『旅をする木』~春のナヌーク

Photo_2 宮沢賢治の童話「なめとこ山の熊」を読むたび、私が思い出すのは写真家・故星野道夫のことだ。童話の中で猟師小十郎は熊に殺されるが、最後の時、彼は熊のこんな声を聞く。「小十郎、お前を殺すつもりはなかった」。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1939_18755.html

 「旅をする木」はアラスカやその他の素晴らしい写真を撮り続けた星野道夫のエッセイ集だが、中に写真が一枚も無いところがいい。そして圧倒的な静寂をくぐり抜けた彼の言葉は謙虚でわかりやすく、それはあたかも目の前で繰り広げられる自然の営為を言い表すことなどそもそも人間には不可能なのだと悟っているようでもある。

 本の題名の意味を調べていただければ分かると思うが、このエッセイの主役は「時間」だと思った。例えば、

 「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい。」

 「全ての生命に平等な時間が流れている」とかの言葉。

 それは自然の中に身を置くことで導き出された言葉であると同時に、そうして生きることの先輩ともいえる先住民たちに影響されたものだと思う。プルトニュウムやセシウムの半減期の、その途方も無い年月を思う時、私達現代人はただ立ちすくむだけになってしまうが、彼らには時間に対して、さらにその上をいく思想がある。

 1996年8月8日、ロシア・カムチャッカ半島で星野道夫は熊の襲撃にあい死ぬが、本書のあとがきで作家池澤夏樹はその死を嘆かないことにしている、と言う。“彼の人生があの時点でクマとの遭遇によって終ったについては、たぶん自然の側に、霊的な世界の側に、なにか大きな理由があったのだ”と。

 童話「なめとこ山の熊」は熊たちが小十郎の死骸の周りに集まって祈りを捧げるところで終わる。賢治の文章では「回教徒(フィフィ)のように」となっているがこれはアイヌの熊送りの儀式イオマンテの逆バージョンだろう。

 この本を読み、また、星野道夫が残した写真の数々を見るたび、私は池澤の言う“霊的な世界の側の、なにか大きな理由”とは何かを考える。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

一つ to T.O

 

      会話の中に挟まれた
      漢詩の一行

      憑かれたように写生した
      北京の風景

      半島の土に学んだ
      白磁の碗

      それらをもたらす霊感の総体を
      あなたは
      「一つ」と言った

      愚かな行為に耽ることができる一方で
      なんと美しいものを
      作り出すのだろう
      人間の手は
      (それは はじめ 握手のために
      差し出された手だった。)

      その
      慎ましやかなものたちを生み出すための
      決して歴史には記述されない
      友情と
      時間

      「美しいモノとともに生きれば
      美しく死ぬことができる」by 岡倉天心

      あれ以来
      大陸の
      どの街角にも
      あなたの姿を見たという
      人はいない

      よく晴れた 休日の東京
      飾られた扁壺(つぼ)の中で
      夢は
      実現している
      というのにー

 

 今日、東京国立近代美術館工芸館に『越境する日本人~工芸家が夢見たアジア1910s-1945』を見に行きました。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

猫語

     

     猫は長くないので
     とぐろを巻くというのはヘンな表現だが
     ヒーターの前で
     いつも気持ち良さそうに寝ているその猫は
     確かに 
     とぐろを巻いている
     ように見える

     今度生まれ変わったら猫がいいと
     昔、ジョン・レノンは言ったというが
     ぼくなら
     優しい主人がいる家の
     (できればきれいな女性が主人の家の)
      と いう条件を付けるな

     昨日 雨の中
     痩せて殺気だった目の
     敗残兵のような猫に
     コンビのおにぎりをあげようとして
     手を引っ掻かれた

     猫にもいろいろあるのだ

     最近、気がついた事は
     女性はすべて
     猫語を解する ということ
     暑いのか
     寒いのか
     何を いつ
     どう食べたいのか
     皆 分かる
     男が何を考えているか
     さっぱり分からないと言うくせに
     そのことを妻に言うと
     「だって男は犬だから」
     と一言

     なあるほど
     ぼくも早く
     猫語が解るようになりたいにゃあ    

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年9月 »