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夕焼けのリレー

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 台風一過の今週水曜日の夕焼けを携帯で撮って、FaceBookにアップしたら結構反響があった。

 友人・知人が次々と自分の住む町の、あるいは取って置きの夕焼けの写真をアーチのように次々とアップしてくれたのだ。嬉しい。その日、カルメン・マキのTwitterを見ていたら、同様に彼女の元に多くの夕焼けの写真が送られてくるとのツィートがあったので、あの日の夕焼を写真に撮った人はきっとたくさんいたのだろう。

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 自分の見ている夕焼けが何処かの国の朝日になっている・・・私はいつも夕焼けを見ながらそんなことを感じる。谷川俊太郎の詩「朝のリレー」的な発想だが、実際、自分でもそのアイデアで幾つか詩を書いている。

http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-8c01.html#comments

http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/__8278.html

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 最近、あるブログで観賞(enjoy)と観照(medetaition)、観察(observe)の違いを読んだ。「美」というものに触れた時の人の態度を説明した文章だったが、平たく言うと観賞と観察は自我の働きによるもので、観照はその自我を超えたところで知覚するものだと言う。だから仕事で煮詰まっている人にある上司が「お前、富士山でも見て来い。」というのはあながち間違ったアドヴァイスではない・・・ということだった。超絶的に美しい自然の前では、一瞬、自我が消える。

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 思想家・柳宗悦の著書『南無阿弥陀仏』の中に「美とはものの成仏した姿のことである。」という言葉があり、長く私はその意味が分からないでいた。いや、今もいる。

 だが、上の説明を照らして考えると、それは自我が消えてしまえば世界は元々美しい、ということではないか、と思ったりする。無心に焼かれた無辜な職人の手による器が、時にえもいわれぬ美を放つのはそのせいだ、と、柳は言っているのか。

・・・ しかし、自我を捨てる、と簡単に言うが、それができれば・・・という思いもまたあって、日々の悩みはまた堂々巡りとなる。が、夕焼けのような美しい風景に身を浸すことはインスタントな事とはいえ、一瞬、悟りを得たような経験ではある。

   もちろん、夕焼けはすぐ夜になってしまうが。

 実際、私達の身の回りは美しいことに満ちている。しかし、それに気づくのはとても難しい。

(写真は一番上が東京都日野市の我が家の居間の窓から撮った夕焼け。次は鎌倉長谷・U野くんの夕焼け。3番目が福島浅川町・M野君の夕焼け、4番目が山形・長井市、フラワー長井線・義姉よりの夕焼け、です。情報は“拡散”できるが、思いは拡散できない、しない。手渡したいんだよ、きれいなものや大事なことは、やはり。)

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