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日記 2012.夏  8/14~8/18 いわきー山形

 8/14(火) 雨のち曇り

Photo_5  AM5:00頃起床。外は小雨が降っていた。昨夜、例によって蒸し暑かったが、雨になったせいか目覚めは涼しくて快適。コーヒーとパンだけの朝食。AM6:00頃、いわきに向けて出発する。息子は大学受験のための塾の夏期講習、娘は部活、妻はその世話があるので、この夏も一人の帰省。車中、言い合いしたり、車酔いの心配をしたりの家族四人の旅行は段々と昔のことになりつつある。

 運転中のBGMはジョン・コルトレーン。だがすぐに飽きてチャイコフスキーの交響曲5番。指揮レナード・バーンスタイン。エネルギッシュなバーンスタインは嫌いではないが、やりすぎると時に格闘技のようだ。ハードロックのような演奏。

 道路は空いていてAM9:30頃到着。首都高1時間半、常磐道2時間。ほぼ予定通り。どこのサービスエリアにも寄らずに一気に来てしまった。

 いわき湯本インターを降りてすぐ、早速、去年と真逆な現象に気づく。車がとても多いのだ。去年は震災と原発事故の影響で、閑散としていた。一年でこんなに変わるとかえって拍子抜けする。そう言えばいわき七浜の内、勿来海水浴場が海開きしたというが、例年数万人の客が来るところを今年は750人前後しか来ず打ち切ったとあった。そのためスパリゾートハワイアンに皆泳ぎに来るのだろう、きっと。分散してある駐車場はどこも満車だった。

Photo_8  一年ぶりの実家はしかし、去年よりさらに荒廃した印象。手入れされていない植木と雑草の緑に埋没している。玄関先にクモの巣。弟には今年は草取りはやらない、とあらかじめ言ってあり、彼もそれでいいと言ってくれていたが、やっぱりやる。AM10;30からPM1:00頃まで。なんとか人間の居場所らしくなる。

 シャワーを浴び、横になるといつの間にか寝てしまい、目覚めるとPM3:00過ぎ。腹が空いたが何も無いので、食べに出かける。車でやや行ったところの回転寿司屋。入るとカウンターは無人で、テーブル席は家族連れで満席。レーンには全く寿司が回っていず、職人さんはテーブル席の注文をこなすのに手いっぱいという感じだった。今、いわきは相馬や浪江、広野町等からの移住者で人口が増えているのだ。ま、ただでさえお盆だし。

 私が座ったカウンターの席は女性の職人さんの目の前だったが、見ると大変な美人。レーンに寿司が流れていないので一々注文したが、それが差し向かえのマンツーマンのようになって、彼女を放さないようにタイミング良く注文すると、回転寿司屋じゃないようになった。得した気分。満腹。

3_2  いわき平のアンティークショップ、「グリニッジ・ビレッジ」へ行く。Zに会うのも一年ぶり。しばらく雑談しているとSさんもやってくる。Sさんはいわきと水戸でライブハウスを経営している。家業は葬儀屋で、大昔、私のバンドでギターを弾いてくれていた。後に自分のバンドを結成し、故下村誠プロデュースでCDも一枚出している。自分の店でじゃんがらをライブレコーディングし販売したりもしていて、7月に銀座で行われた世界無形文化祭のじゃんがらの日に私を招待してくれたのも彼。反原発に関しても市内の事情を良く知っていて、様々な話を聞く。先日、Yahooのトップニュースにもなった湯本のホタルプロジェクト事件の実情などを聞く。

 と、話していると突然、激しい太鼓の音。Zの店から少し行ったところで新盆のところがあり、そこにじゃんがらが来たのだ。Sさんと見に行く。Sさんはじゃんがら好きが昂じて太鼓を三つ作ったとか。一個10万で計30万。奥さんが怒っていると言う。今度、来た時、見せて貰おう。

 PM7:00頃、内郷の「回転やぐら」を尻目に帰宅。辺りはすっかり暗くなってしまったが、一人、迎え火を焚く。皆さん、お帰りなさい。そばを煮ようと思ったが、どうしてもガスレンジに火がつかず諦める。夕方食べ過ぎたのでそんなに腹も空いていないし、まあいいや。

 テレビをつけるとBSで「昭和の青春~ハワイと青春」なる番組がやっていて、思わず見てしまう。司会関口宏、早見優、露口茂。戦後のハワイブームの歴史と流れからスパ・リゾートハワイアンも取り上げられていた。分かり易くて面白い番組だった。

 PM10:00頃、就寝。田んぼからカエルの鳴き声。深夜、お隣の家が新盆なので、じゃんがらが来る。銀座の「世界無形文化祭」の時、郷土史家の方が北茨城から浪江までの一帯を“じゃんがらの国”と言っていた。ここはじゃんがらの国で草野心平のカエルの国だ。

 ずっと鐘と太鼓の音と、カエルの声を聞いていた。

 

 8/15(水) 曇り時々雨

Photo_10 昨夜、蒸し暑かったため窓を開け寝たのだが、朝方は肌寒かった。夕べ雨予報が出ていたと思い、AM7:00頃、早々と墓参りに行く。真言宗智山派法海寺。帰宅後、もう一度ガスレンジに挑戦するがどうしても点火できず、仕方なく吉野家に行く。早朝だと言うのに、店内は作業服の男達が多くいて、駐車場の車は品川、足立、千葉ナンバーが多し。朝定を食べる。

 植田の「安寿と厨子王の里」に行く。この地に何故これがあるかというと、今から約千年ほど前、奥州討伐に武勲があった平正氏(たいらのまさうじ)なる者が岩木判官としてこの地を与えれたことに始まる。安寿と厨子王は、小説・映画等ではその正氏の子、史実においてはその孫ということで、いずれにしてもこのいわきの地が物語の発祥の地であるらしい。以前、溝口健二作の映画「山椒大夫」について調べている過程でその事を知って、一度、訪れたいと思っていた。

 私が興味があるのは2点。何故、正氏が失脚・左遷されたのか、と言う事と、安寿の遺品を埋めたとされる「姫塚」は本物か、ということ。

 「安寿と厨子王の里」にある案内看板によると正氏はこの地において神社を再興したり、砂鉄が取れるのを知ると産業を興したりと、名将として語られている。なのに突然、「朝廷の仕事に怠りがあり・・・」の一言で一転、筑紫の国に流された・・・とある。不可解なり。映画や小説にあるように朝廷の命に背き、仏の慈悲による政(まつりごと)をしたため・・・ということなのだろうか?

 それと「姫塚」。偉くなった厨子王は山椒大夫を倒し、人身売買を禁じ、奴隷を解放する。そして伝承では姉安寿の遺品を故郷であるこの地に持ち帰り埋めたのが「姫塚」ということなのだが、全国にいくつかある「安寿の墓」の中でここの由来はやや具体的だ。何が埋まっているのだろう?考古学とは本来墓暴きで、私はそれを生業とする者。なのでどうしても悪い癖が出る。

 塚そのものを見ればそれが何かを秘めたものかどうか勘で分かるような気がしたのだが、しかし、今回、かなり探したが私はこの「姫塚」を見つけられなかった。案内看板にはあるのに。正氏ゆかりの泉諏訪神社(滝尻城址)に参拝後、関係者の方に聞くと、通りを挟んだガソリンスタンドの裏に小さな塚がある・・・とのことだったが、そこは農地で夏草が伸びているせいか見つけられなかった。そして、聞き取りをしても、近隣の人は誰も知らなかった。

 念のため「いわき考古資料館」に行ってこの「姫塚」が考古学的に調査された事があるかと聞くと、無い、との答え。地元の人がそう言っているだけで調査の対象となるものではないとのことだった。次回必ず見たいと思った。 

              ☆  

 昼、「とんかつすえ広亭」で昼食後、いわき平の菩提院に参拝。その後、山形県長井市に向けて出発する。磐越道ー東北道ー国道13号線のルート。とくに渋滞もなく3時間で到着。弟と一年ぶりに再会する。彼が始めた「福幸ファーム」の、五つあるという畑・田を見せてもらう。今、作っているのはモロヘイヤ、ツルムラサキ、人参、米など。車のBGMはドン・ヘンリー。風景に合う。 

 “うの花湯”で風呂に入った後、弟家族が住む避難者住宅で食事。義妹のお父さんから「夢の江戸歌舞伎」という絵本を頂く。服部幸雄文、一ノ関圭絵。嬉しい。そして長兄の家へ。何故か若い男女がいっぱいいて、聞くと甥が飲みすぎて倒れ、皆、心配して見に来た者や介抱している者たちだとのこと。山形は今日が成人式で、兄の店で今夜宴会があったのだ。深夜に兄が帰宅して、初め不愉快そうだったが、若い女の子達がいると知ると?2次会に行こうと言い出し、皆を引き連れてまた出かけてしまった。私も誘われたが断る。

 AM1:00頃、就寝。

 

 8/16(木) 曇り時々晴れ

Photo_6 AM4:00頃、目が覚める。長井の美しい朝焼けにつられ犬のカンスケと散歩。 その後AM5:30より弟の畑で収穫作業を手伝う。ツルムラサキとモロヘイヤ。旅の途上で農作業をするとはケルアックの『路上』的気分。まあ、今回、それが目的で来たのだが。いつも弟と一緒に仕事をしているEさんを紹介される。Eさんは弟家族と同じ避難者を迎え入れている雇用者促進住宅にいる。南相馬からの避難者。3・11後、あらゆる避難形態を経験した後、流れ流れて長井に来たとのこと。野馬追い太鼓の名手、元は庭師という人で、「剪定ゴミが金になるという・・・・素晴らしい世界です。」と、モロヘイヤを摘んでいた。悪いが大笑いする。

 東京を出発する前の日、弟に電話で「“歳三の血”ってワインあったろう?あれ買ってきて!」と頼まれたが、それはこのEさんのためのものだった。無かったのだが。大の新撰組ファン・・・・と言うより、司馬遼太郎の熱心な読者で歴史に詳しく、話していて面白かった。そして、避難時の状況を詳しく教えてくれた。本来、無口の方だが、体験者が語らなければ風化してしまうとの想いから話すようにしているとも。聞きながら作業しているとあっという間に朝の収穫の時間が終わる。一度、弟宅に戻り朝食の後、再び畑へ。その後、午前中いっぱいを収穫作業。採る、採る、採る・・・ひたすら採る。

 午後、私が来たということで弟夫婦が休みをとって周辺を案内してくれた。昼食は隣の白鷹町でそば、その後は朝日町のワイナリーで試飲三昧。甥、姪が可愛い。

 夜は兄の店で兄弟で飲む。私と兄夫婦、弟夫婦、姪、甥、そして従業員のCさん。Cさんは霊感が強く、彼女が写真を撮ると必ず何か映るというので、デジカメで兄弟3人を撮ってもらう。と、兄にシャツに異様な模様が・・・・大騒ぎとなる。楽しかった。

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 その後、兄を除いた7人で黒獅子祭りを見に巨四王神社に行く。「黒獅子祭り」とは山形のこの地域にある伝統文化で、分かり易く言うと、獅子舞と神輿が合わさったようなもの。11の神社にそれぞれ姿形が違う獅子がいて、一年のこの時期、数人の警護を従い練り歩き、暴れまわる。

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 由来は様々あるが、私が聞いたのは昔、この地に攻めてきた八万太郎義家に恋をした卯の花姫が、味方の情報を漏らしてしまい敗北の原因となり、それを悔やんだ姫が身を投げ、大蛇となり神に奉られたというもの。大蛇が川を流れる姿が獅子の姿だとか。諸説あり。

 http://blogs.yahoo.co.jp/shinshi001jp/63326604.html

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 夜、PM9:00頃、神社に着き境内で待つこと約1時間半、PM10:30頃、獅子登場。で、暴れまわる姿は予想以上の迫力。警護が神社の中に獅子を戻そうとするが中々戻らない。祭りを見ている人も簡単に祭りを終えたくないので獅子を応援し、その度に盛り上がる。警護役は何人かいるが、皆、男前で、地域のちょっとした憧れの存在だ。獅子と警護の攻防は歌舞伎的な趣があり、まるで“荒事”。面白かった。

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 深夜12時頃、兄の家に帰宅。兄は息子(甥)と二人で「稲川淳二のコワイ話」を見ていた。シャワーを浴び、ベットに横になるとそのまま爆睡。

 

 8/17(金) 曇り時々晴れ

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 お盆からの帰りと言うと大渋滞という印象が強くて、早朝5:00にいわきに向けて発とうと思っていたが、もう、今日は空いている、と兄に言われ思い直す。確かに今日は17日だし。

 考えを変え、本日も弟の畑の朝採りの作業を手伝う。始業AM5:30。昨日、丁寧な挨拶をして別れたEさんとまた会う。引き続きモロヘイヤの収穫作業。その後、また弟宅に行き、朝食をいただく。そして朝の連ドラを見た後に出発。義妹のお母さんからミニトマト、トウモロコシ、枝豆を頂く。弟から本、『山形ガールズ農場』、『チェ・ゲバラ~最後の日々』を貰う。そのせいか、最後に「革命か、死を」と挨拶。もちろん冗談。とにかく、バイ・ア・コンディオス・ソルジャー、じゃなかった、ファーマー。

 米沢の上杉神社に行く。上杉謙信は数年前の大河ドラマでGactがやっていた。ビジョアル系の顔をして、琵琶をギターのようにかき鳴らし、「我は毘沙門天の化身なり!」と叫ぶありえない謙信だったが、面白かった。また、ここにはもう一つ上杉家の中興の祖である上杉鷹山を祀る松崎神社もある。缶コーヒーを飲みながら休んでいると、隣の女の子が友達と待ち合わせの確認をしているらしく「謙信公の像じゃない!鷹山公の方!」とか言っている。ちゃんと「公」を付けている。偉い。この二人が後の山形県人に与えた影響は想像以上に大きいのではと、そんな事を考える。ここで今回の旅で初めて御朱印を貰う。個性的な筆跡だが達筆。

 来た時と違って帰りは東北道を通らない、喜多方から会津若松に抜け磐越道に直接乗るルートを行く。会津磐梯山がきれいだった。

Photo_13  PM2:00頃、再びいわきの実家に来る。少し寝て起き、テレビをつけると大林宣彦監督の映画「異人たちの夏」をやっていてそのまま見てしまう。最後のウナギ屋のシーンに見入る。このお盆の時期にぴったりの映画。見終わってすぐ、遅い送り火を焚く。夏が終わる。皆さん、また来年会いましょう。

 例によってガスレンジが使えないので、外に夕食を食べに行く。近くのチェーン展開されているラーメン屋に行くが超満員。列が出来ている。なんでもいいと思い他の店に行くと何処も混んでいて、ひとしきりまた車を走らせてしまう。結局、また初めに行ったラーメン屋に戻る。

 そう言えば来た初日、Zの店でSさんが、いわきは今、景気が良くて外食の店は何処も満員、従業員募集に人が集まらなくて、儲かってもさばききれずに廃業というケースが多発していると言っていた。多少、誇張していると思っていたが多分事実だろう。私が入った店も、店員が皆憔悴したような雰囲気で、本当は餃子を追加で頼みたかったが、いたたまれずに止める。これが復興ということなのだろうか?

 帰宅してNHK「芸能百花繚乱」で、円朝作「怪談牡丹灯篭」を見る。林家正雀。

 12時半就寝。

 翌日、18日(土)、東京に帰る。

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2012 関谷記念 (GⅢ)

 久しぶりに競馬をやろうと思い予想を立てたのは新潟11Rの関屋記念。しばらくやっていなので全く知らない馬ばかり。直感で選んだのは③エーシンリターンズと⑨スピリタス、それと一番人気の⑭ドナウブルー。3連複と3連単⑭-③-⑨、⑭-⑨-③と家にあるマークシートにしっかりと書き込む。

 午後、娘を部活に送りがてら妻とドライブしようということになるが、何処に行くアイディアも無くて、結局、立川に寄り馬券を買って帰ろうということになる。僕はネットでは買わないので。だが、途中、何故か急に気乗りしなくなって、それもせず帰ることにする。どうせ、久しぶりにやったところで当たるはずもないだろうと。

 で、昼寝後、PM3:00からのまおみチャンの競馬中継を見ると、レースは全く僕が予想した展開。まさか当たったら後悔がでかくなると思い、途中から外れろ、外れろ、と願っていたが、ウソのように、絵に描いたように、最後の直線、本当にピッタリ予想通りになって、うわうわうわ・・・僕の網膜の中で馬が ⑭・・・③・・・⑨・・・の順番でゴール板を駆け抜けていった。絶句。クラクラクラ・・・めまい(安物のアニメで体五体がくるくる回って奈落に落ちていくあの感じ)、マジで・・・初3連単ゲットだったのに・・・・3連複もゲットだったのに・・・・。オッズは3連単24190円、3連複は6650円。つまり約3万円をみすみす棒に振ったことになる。

 これで儲けてしまうと僕が競馬にはまってしまうと思って、神様がそういうことにしたのだろうと、妻(何をどう買ったか全部知っていたので彼女を一番落胆させてしまったかも。ごめんね)。今、手元にあるマークシート表が哀しい。

 しかし、ひとしきり悔しさが去った後で、振り返り、今は普段、何かに覆い隠されているとても深いサインを垣間見たような気になっている。つまり今日はそういう一日だったということ。これを運命論者は運命というのだろうな。

 今日、勝負には勝利したが金はもたらされなかった。きっと、この前、WINE5を全て当てたのに買わなかったまおみちゃんは凄い悟りを得ているだろう。(妙な連帯感)。

 夜、写経。色即是空、空即是色・・ヒュー、夜風にはすでに秋の気配。

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