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山田洋次監督、『小さいおうち』を映画化。

  映画、音楽、小説、演劇・・・何につけ、何らかの表現に触れる時、3・11以前と以降とではその見方が大きく変わってしまったという人は結構多い。

 かく言う私もその一人。以前は面白いと思っていたものが急に馬鹿馬鹿しく思え、逆にそれまで無縁だと思っていた作品や理解できなかったものが大切に思えるようになった。

 この秋、私は意外にも多くの本を読んだが、↓に紹介する本もその一つ。中島京子の『小さいおうち』。

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 何の予備知識も無く妻が図書館で借りてきたものを気まぐれに手に取ったのだが、あっという間に引き込まれ一気に読んでしまった。私はこの本を3・11以後の今を表現しているものだと思って読んだが、読中、調べると発表されたのは2010年。その年の直木賞受賞作品だった。知らなかった。

 物語は昭和の、戦前・戦中に東京郊外の中流の家で、女中奉公をしていたおタキさんという老婆の回想録の形を取っている。老婆は当時を細かに思い出して回想録を書いているが、それを時々盗み見し、内容が学校で習った昭和史と違うと難癖つけるその甥が、最後に物語を現在にまで繋ぐことになる。

 今日、新聞を見ていたら、この小説を山田洋次監督が来年映画化することになったとあった。監督は一読して原作にべた惚れになったとのこと。物語には重要な役どころとしてオタキさんが奉公する家の息子が出てくるが、山田監督は「僕みたいな男の子も登場する。これは僕の物語かもしれない。」と言い、そして「当時、体験した東京郊外の様子が実に正確に描かれている・・・。」とコメントしているというから、その映画化の想いには多分にノスタルジーが含まれていると思われる。

 私は逆だ。前述した通り、変なセンサーの上がり方をしている私はこれを3・11を絡めて読んだ。読めた。叔母の回想録を盗み見する甥と同様、私も昭和史のその時期というと、教科書に在るとおり、日本が段々と世界の中で孤立し、戦争の足音が少しずつ響いてきて、やがて軍国主義一色に染められていく暗い時代・・・というステレオタイプのイメージが強いが、この小説の中で人々は、どこそこの何が美味しいと言ってはオタキに買いに行かせ、また銀座三越で着物を新調し、芝居や映画を楽しんでいる。オタキさんは奉公先の家族に愛され、生涯独身であった彼女も後年、自分の人生で最も愛した場所はその家とその家族であった、と回想するほで、羨ましいほどに日々はのんびりと流れる。

 これが。これが今の東京に似ている・・・と私は思った。こうしたのんびりした日々がある一方で、確かに日本は南京を陥落し、戦渦を拡大し、その後、南方で次々と敗れるも大本営は勝利を連呼する。そして人々もそのニュースの真偽はなんだか怪しいと薄薄感じ始めるも、日々を淡々と、また懸命に生きている。

 意識しつつも悲劇が遠く、自らはその渦中にない、というこの感覚。それは原発事故以降の今に似ていると思った。また主人公のおタキさんは東京大空襲の時も、年季明けを言い渡され東北の田舎で疎開児童の世話をしており渦中に不在だが、情報の無い中で離れた東京の様子を案ずる彼女の思いは、津波や原発事故で通信が麻痺し、祈るように現地を案ずるしかなかったあの時の多くと同じだと思った。

 小説にはおタキさんが奉公する家の美しい奥方と芸術家肌の若者との不倫の恋のようなものも描かれており、そのことで今日の新聞には「山田監督、初の本格恋愛映画」なる文字が踊っていたが勿論、これはそれのみに終始する物語ではない。しかし、全てが失われた後(それが空襲であれ津波であれ原発事故であれ)、時間の経過と共に人々が積極的に過去を忘れようとする中にあっても、ひっそりと未来に忍び込むようにして昔の人々の想いが今に痕跡を留めていることがある。それに気づき、それを探し、記憶し続けること。それを愛と言うなら、これは愛の物語なのだろう。ミステリーではないが物語の最後で私たちはどんでん返しを食らわされたような思いをする。

 新聞には主要出演者は来年になって発表されるとあった。小説は一度イメージがつくとそれに引きずられてしか読めなくなってしまうことがあるので、この小説、読むなら今のうちという気がする。

 実はこれを読んだ時、私がイメージしていたのは、偶然二人とも山田監督の近作に出演している女優であった。

 まあ、誰かは言わないでおきましょう。

 どんな映画になるか期待したい。

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コメント

山田監督の最新作は観てませんが、男はつらいよ、家族など、最近観るとしっくりくるのです。facebookでおもしろいのは、ささやかな記事なのです。男はつらいよとは、恋の映画であり、何故あれほどまでに、あんなに人気があったのかと言えば、多くの男たちが人生のなかで失恋したのであり、ブルース・スプリングスティーンのボーン・イン・ザ・USAの共感と似ている気がします。

投稿: じゃみん | 2012年11月23日 (金) 11時04分

 じゃみんさん、コメントありがとうございます。そう、Facebookで面白いのは確かにそうした記事ですね。

 先日、日曜美術館でしたか、ルオーの、キリストの肖像画についての番組の時、ナヴィゲーターの人が「小さな日常が世界である、ということをルオーによるキリストの肖像画を観ると感じる・・・」というようなこと言っていて、僕はその時、武田百合子の「富士日記」を読んだ時に感じたことを思い出しました。

 小津安二郎は「世界」ですが、山田洋次はどうでしょうかね?正月に小津の「東京物語」の山田版、「東京家族」が封切られますが、ちょっと興味があります。その出来いかんで、「小さいおうち」は見ようと思っています。

投稿: ナヴィ村 | 2012年11月23日 (金) 23時28分

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