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ロバート・ジョンソンという鍵、あるいは呪い

Photo_4  去年の暮れにボブ・ディランの自伝を再読して、私が一番興味深かったのはジョン・ハモンドが彼にロバート・ジョンソンを聞かせる件だ。第4章「氷の川」に書かれている。

 念のためジョン・ハモンドがどういう人か知らない人のために言っておくと、彼はアメリカ・ポピュラーミュージック界のゴットファーザーのような存在。

 ジョン・ハモンドがスカウトし世に出した人はディランの他に、例えばベッシー・スミス、ビリー・ホリデー、チャーリー・クリスチャン、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、ピート・シガー、ジョージ・ベンソン、レナード・コーエン、アレサ・フランクリン、スティービー・レイボーン、ブルース・スプリングスティーン等等で、その個々の人々の後世への影響を考えれば、現在の音楽シーンは文字通りこの人の審美眼を礎にして作られたと言っても過言ではない。

 このジョン・ハモンドがディランにロバート・ジョンソンを聞かせた。そして、その事をキッカケとしてボブ・ディランはボブ・ディランになる。僕らが知っているあのボブ・ディランになるのだ。どういうことかと言うと、何もフォークからブルースへとそのスタイルを変えたとかいうことではなく、ディランはロバート・ジョンソンを聞くことによって詩人!になった。蛇足ながら現在のディランはミュージシャンながらノーベル文学賞の最有力候補。最小限の助言で最大の結果を残すのがコーチングの極意とするならば、これほどの成果も他にない。

 当時からもうディランは才能溢れるミュージシャンだったのは誰もが認めるところだが、そのレパートリーは古いトラディショナルやフォークソングで、そのスタイルはウディ・ガスリーやランブリング・ジャック・エリオットの物真似と見る向きもあるほどだった。唯一のオリジナルは「ウディに捧げる歌」のみ。だが、そのたった1曲のオリジナルソングを聴いただけでジョン・ハモンドはこの若者の中に眠っている才能に気づく。そして、君は絶対にこれを聞くべきだ、と言ってロバート・ジョンソンのレコードを渡す。渡したレコードは「キング・オブ・デルタブルースシンガーズ」。

Photo_5 以下、ロバート・ジョンソンを初めて聞いたときのことについて自伝から抜粋。

 「それをレコードプレイヤーの上に載せた。最初の一音から、スピーカーが放つ振動がわたしの髪を逆立たせた。<中略>「カインド・ハーテッド・ウーマン」「トラヴェリング・リバーサイド・ブルース」「カモン・イン・マイ・キッチン」~回転するアセテート版の表面から、人間の炎が燃え上がる。」(P350より)

「続く数週間、私はレコードプレイヤーをにらみつけ、ジョンソンの曲を一曲、また一曲と繰り返し聞いた。それを聞いているときは、恐ろしい幽霊が部屋にいるような気がした。」(P352より)

「どうしてジョンソンの心があんなに自由に、たくさんの場所に出たり入ったりできるのか、わたしには分からなかった」。」(P355より)

 ボブ・ディランという人の中に自分でも気づかない詩の言葉を収納する大きな倉庫があり、しかし、それは普通なら絶対に開かない。ロバート・ジョンソンの歌声こそはその扉を開く呪文、鍵だったのかもしれない。

 ディランはロバート・ジョンソンの歌の歌詞を子供がプラモデルを分解するようにして眺め回し、やがて彼に憧れ、自身の言葉を書き、歌い始める。この辺りの展開はこの自伝の中の白眉だ。ジョンソンの詩への想いを語りながら、それはまるで「ボブ・ディラン」誕生の瞬間を回想しているよう。ジョン・ハモンドはこんなことになることを果たして予期していたのだろうか?予期していたのだろうな、彼ほどの人ならば。

 「あの時、ロバート・ジョンソンを聞かなかったら、大量の詩の言葉がわたしの中に閉じ込められたままだった。わたしはきっと、それを文字にする自由と勇気を持てなかっただろう。」(「ボブ・ディラン自伝」P357から抜粋)

 この自伝のこの件を読んだ後、去年出たディラン・デヴュー50年目の新作「テンペスト」を聞くと、私はある妄想に囚われる。それはディランと言う人はジョン・ハモンドにロバート・ジョンソンの歌を通して呪いをかけられた人なのでは?という妄想だ。凄い曲を書き続け、歌い続けなければいけないという呪い。死ぬまで踊り続ける舞踏病の、シンガーソングライティング・バージョンのような。

 ジョンソン自身も地獄の猟犬に追われ、十字路で悪魔と取引したとの逸話のあるブルースマンだが、彼の歌に魅せられて歌を書き、歌い続けて50年目のディランは、もはや自身がストーンズの「悪魔を憐れむ歌」の悪魔のようになって、沈むタイタニック号の現場にいてそれをレポートするかのように歌う。きっと彼はヒンデンブルグ号の爆発や9・11の歌だって同じように歌える筈だ。幽霊のように時間も場所も無く、何処にでもいける死者の目。彼の自伝が時系列になっていなかった時に気づくべきだった。

                 ☆

 去年、このロバート・ジョンソンについては自分的に大きかった事件?が二つあって、一つはYouTubeで動いている彼を見たこと。印象はやはり以前YouTubeで動いているウディ・ガスリーを初めて見た時と似ていた。この映像に関してはディランの自伝にもある。ディランは絶対に彼だと言っているが、真偽については様々な意見があるようだ。

 http://www.youtube.com/watch?v=ZSV69BO2Uak

 もう一つは私達が聞いていたロバート・ジョンソンの音源は実は回転数が早いものだったという話。「戦前ブルース音楽研究所」というところが正しい回転数に直す事に成功し、ここで本当のロバジョンの声が聞ける。集平さんのTwitterで知り、私もログ・インして聞いてみた。聞いたのは「カモン・イン・マイ・キッチン」他。

 http://www.pan-records.com/index.php?option=com_content&view=article&id=155

 ロバート・ジョンソンというと昔から声がなんとなく甲高い印象だったが、これを聞くと随分違う。ディランのロバジョンの映像への感想ではないが、とても地獄の猟犬に追われている男の声とは思えない。とても身近な人に感じる。

 もし、ディランがこの回転数が修正されたロバート・ジョンソンの歌声を聴いたらどんな感想をもつだろうか。

 本日 大寒 次候。水沢腹堅(きわみずこおりつめる)。

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音楽コラム(89)」カテゴリの記事

コメント

これと、これに先立つツイートを読んで、一言書きたかったんだけど、絵本を描いてたもんで後回しにしてました。一息ついたんで、一言。

自伝はたいていフィクションだと考えた方がいいと思う。記憶は嘘をつくし、ディランなら詩的に脚色するなんてお手のもんだから。
彼がデビューする前にヴィクトリア・スピーヴィーのバックでハーモニカを吹いている録音はマニアの間でよく知られているけれど、彼はウディより前にブルースをよく知っていたはずだ。流行りに敏感な若者だった。

ファースト・アルバムのプロデュースはジョン・ハモンドだけれど(彼がゴッドファーザー? 初耳だなあ)じゃ、なぜあれだけ多様なブルースをカバーしながら、それも死に関する歌ばかりなのに、ロバート・ジョンソンのカバーがひとつもないのか。そしてセカンド以降、カバーをやめてしまったのはなぜか?

ジョン・ハモンドの息子、ジョン・ハモンドJr.はぼくのヒーローだけど、彼はロバート・ジョンソンをフォークウェイズのオムニバスLPで初めて聴いたと言い、若いころから今に至るまで繰り返しロバートの歌を歌い、たぶん他のだれよりも真に迫る解釈をしている。

それに比べて、ボブ・ディランにロバート・ジョンソンの影響や、まして呪いなんて感じたことは、すくなくともぼくはないです。ロバートのような女たらしの歌はないし。たぶん、多くの人がこの自伝を読んで「え? そうだったの?」と感じたはずで、ぼくらが知っている若いころのディラン像を、むしろ裏切って本人はほくそ笑んでるような気がします。

あの映像がロバート本人だと断言するディランもディランだね。生前の彼を最もよく知るひとり、ロバート・ジュニア・ロックウッドですら首をかしげてる。ロバート・ジョンソンがあんな凡庸な男だっただろうか。ハーモニカ・ホルダーも似合わない。ディランはロバート・ジョンソンをそんなに好きでもないくせにビッグネームを出してきて自伝を粉飾してるだけなんじゃないだろうか。キース・リチャーズのロバート好きとは大きな差を感じる。

ロバート・ジョンソンが詩人だという考えは胡散臭いし、その影響下にディランがあるという考えも、いかにもスノッブ受け狙いの作り話だ。映画「ドント・ルック・バック」の楽屋でハンク・ウィリアムズの歌をメドレーで歌うディラン、あっちの方が彼らしいと思う。

最新作「テンペスト」には悪魔的なものはないと思う。「テンペスト」という歌が驚くほどアイルランド的なのに、むしろぼくはショックを受けた。他の事件ではなくタイタニックだからこそ、彼は歌ったのに違いない。彼は今、きわめてカトリック的だ。それがなぜかはわからない。

早回しの指摘にはぼくも一瞬驚いたが、うちのカミサンが「変わんないよ、ロバート・ジョンソンは。遅くしても」と言うんだ。正しいと思う。

投稿: 集平 | 2013年2月 9日 (土) 14時40分

追記:「タイタニック レクイエム」というCDがあります。 http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dpopular&field-keywords=%83%5E%83C%83%5E%83j%83b%83N%81%40%83%8C%83N%83C%83G%83%80 事件当時からタイタニックを歌った歌はいっぱいあります。印象的なのは後年になってレッドベリーが事件を黒人の立場からレポートした「ザ・タイタニック」という歌ですが、ボブ・ディランはこれらの伝統にのっとってあの歌を作っています。「彼はヒンデンブルグ号の爆発や9・11の歌だって同じように歌える筈だ」というのは、いかにも村田君の何でも並列にしてしまう傾向を示した言葉だと思いますが、これはたぶんあり得ないです。
「もはや自身がストーンズの『悪魔を憐れむ歌』の悪魔のようになって、沈むタイタニック号の現場にいてそれをレポートするかのように歌う」という指摘もぼくには理解不能です。なぜなら、ストーンズは悪魔の立場を借りて暴力を告発しているのに対して、ディランはバラッドの伝統を踏まえて事件を韻を踏んで、あくまでニュートラルに歌っているからです。おのれを悪魔に例えたロック的なストーンズよりもニュースの役割を果たした明治・大正の演歌に近い、ディランはフォークの人だとと思います。この歌はディランの自己再確認かもしれないとぼくは思います。彼の本質はロックではないです。フォークです。
念のために書いておきますが、ロバート・ジョンソンはロックでもフォークでもない、ブルースの人です。

投稿: 集平 | 2013年2月11日 (月) 04時24分

僕は、ボブ・ディランその人の音楽は、とても好きですが、昔からディランシンパのようなフィーリングを持った人間に不快感を抱いてました。批判は許さないと。平和を叫ぶ人間が、必ずしも平和な優しさの方とは限らないように。ボブ・ディランとはどんな方なのか、僕の答は、何事に対しても好奇心があり、言いたいことを言える度胸もありますが、決して1つの何かに溺れなかった人ではないかと感じます。ロバート・ジョンソンにもウディ・ガスリーにもエルビス・プレスリーにも、彼は影響を受けてあのデビューに至ったのだと感じます。そしてケネディ時代のフィーリングに彼はフォーク・ソングのスタイルを借りて登場したのだと感じるのです。

投稿: じゃみん | 2013年2月11日 (月) 09時41分

 集平さん、コメントありがとうございます。自伝はたいていフィクション・・・という点、またそうしてことにディランが全く長けている人、と言う事、知っていたつもりですが、真に受けて書いてしまいました。思えば長い間、ずっと彼のそうした術中にはまったままのようです。

 あの自伝を僕に薦めてくれた人は世間で言われている「フォークからロックへの転向」というのは、自伝を読むと本人的には「ウディ的なものからロバート・ジョンソン的」なものに変わった、ということみたいだ、と言っていて、で、その辺りに興味があって読んだという経緯があり、そうした先入観もずっとあったままでした。

 自伝でその件を読むと、少し回りくどい書き方をしています。そこが今までのディラン像を裏切る「新発見」的な部分の一つですが、もう少し身構えながら読むべきでした。

 ゴッドファーザー、呪い、気分で妄言してしまうところ、なんでも並列にしてしまうところ等・・・Twitterで言ってくれたことも含め、昨日一日、内容以上に重く受け止めました。

 紹介して下さった「タイタニック・レクイエム」、機会があったら聞いてみます。が、今の僕に必要なのは色んなものに触れてみるということではないという気がします。

 ありがとうございました。

投稿: ナヴィ村 | 2013年2月11日 (月) 10時14分

ごめんなさい。じゃみんさんの書いていること、何も事実に即していないし、意味不明です。

投稿: 集平 | 2013年2月11日 (月) 15時51分

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