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角田光代の「曽根崎心中」を読んだ。

Photo_2   最後に初が、“徳兵衛が嘘をついていたとしたら、徳兵衛が九平次をだまそうとしていたなら・・・(P161より抜粋)と、疑念を抱くところが新しいと思った。300年の間、浄瑠璃、歌舞伎、映画等、様々なジャンルで繰り返し上演されてきた話だが、そのような視点を持つだけでいきなり物語は新たな奥行きを増す。そして遊女たちを取り巻く闇がいっそう深くなる気する。

 しかし、その闇を踏み越えてもなお先へ急げと二人を導くのは哀しい運命を辿った幾多の遊女達の霊=魂である。角田光代はこの小説で過去のそうした女性たちの無念をはらそうとしているかのようだ。

 こっちや、もっと奥深く。もっと奥にお入り。早く、早く、早く、早く。離すんやない、はぐれるんやない。(P164より抜粋)。

 近松の心中ものでは男達は誰も皆呆れるほどのダメ男だ。『冥途の飛脚』の忠兵衛、然り、『心中天の網島』の紙屋治兵衛、然り。そしてこの『曽根崎心中』の徳兵衛もそう。

 だが、それに相対する女達は誰もが賢く、義理固く、健気で、強い。この女が一緒に死ぬに、果たしてこの男で釣り合うのか?と、どれを観ても思うのだが、この小説ではそんな気にならなかった。それは初の独白という形で当時の遊女の置かれた悲惨な環境と心理が細かに描かれるからで、こんな事は勿論、小説でなければ出来ない。

 2時間ちょっとで一気に読んでしまって、これは文楽や歌舞伎でこの物語を見るのと丁度同じくらいの時間ではないだろうか。

 私が読んだ角田光代の小説は他に『対岸の彼女』と『八日目の蝉』の二つだが、偶然、二つとも「逃げる」話だった。で、今回のこの『曽根崎心中』も。詳しくは知らないがこの人は何か「逃亡者」というものに特別な想いがあるのでは?と思っていたら全く違う文脈をテーマにした古い雑誌の特集に彼女のそれに似た体験談を見つけ(逃亡者だったというのではない)。腑に落ちた。で、こうした話、こうした古典のリライトを彼女でもっと読みたいと思った。

 いちいち引用しないがこの小説には「恋」についての定義のようなセリフが様々に出てきて、自分がどれに一番共感できるか考えてみるのも面白い。

 近松は中の、どれに大きく手を打つだろうか? 

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