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2013 猛暑 夏・日帰りで墓参りに行ってきた。

 娘の中学の時の担任が子供の頃の日記を見つけ、読むと、「今日は28℃で暑い」と書かれていたと言う。妻曰く、昭和40年代のことが書かれた武田百合子の「富士日記」には「今日は30℃でうだるような暑さ・・・」とあるとのこと。昨日の毎日新聞朝刊の一面は「四万十 41.0℃ 国内観測史上最高」で、今朝PCを立ち上げて最初に目に飛び込んできたのは「東南アジア以上の暑さ」との文字。温暖化、温暖化、と毎夏言われてきたが、事ここに至れり。来年はどうなるのだろう?

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 そんな暑さの中、昨日、息子、娘と連れたって日帰りでいわきへ墓参りに行ってきた。子供達は震災、原発事故以降初めてで、2年8ヶ月振り。実家は弟夫婦が山形に移住してしまい、現在は復興事業に携わる某会社の宿泊所・飯場のようになっている。子供達はなつかしさが強くこみ上げてくるのに比例して、まだ表札はそのままになっているのに入っては行けない家を前にして「本来なら・・・」と悔しそうだった。

 本来なら入盆には迎え火を焚く。3・11以降、空き家のようになってしまった実家だが、それでも去年までは私が単身泊り込んで庭の草むしりをし、迎い火を焚き、数日を過ごし送り火を焚いていた。今年はそれができない。父と母の霊が帰ってきても何処へも行けず彷徨ってしまうようで心苦しさが残った。

 叔母の家で山形からくる弟夫婦と待ち合わせ、一緒に墓参りに行ったのだが、その後、久しぶりに会ったのだから何処かで食事でもしようという話になって、弟が最初に提案したのははうなぎ。とても美味い店があると言う。それで私が突然思い出してしまったのが、去年、実家で過ごした最後の日に偶然テレビで見た「異人たちとの夏(1988)大林宣彦監督」という映画のこと。

Photo  子供の頃、事故で死んだはずの両親に会い、二人のもとに通い続ける男の話。

 男、風間杜夫、父、片岡鶴太郎、母、秋吉久美子。中年になった男と若いままの父と母は名残惜しいがいつまでもこうはしておれないと、最後に揃ってうなぎを食べに行く。そして、その父と母の霊はうなぎを食べながら段々と消えてしまうのだ。去年私は、その映画を見た後に一人送り火を焚いたのだった(と・・・、ここまで書いて気になって調べると映画の中で風間杜夫が美味そうにうなぎを食べるシーンは確かにあるが、別れのシーンで食べるのはすき焼きであった。混同していた。失礼。)

結局、うなぎは食べなかった。

 福島第一原発で汚染水が大量に海に放出されたニュースがあるのと同時に、いわきの海は今年3年ぶりに海開きをした。何故、誰もそのことの異常さを口にしないのだろう?「経済」と言うと多くがしたり顔の、しょうがないというムードにすぐなるが、そうだろうか?これは命と引き換えの話なのに。福島の、夏に帰る場所を失くし彷徨う霊たちはこれを見て何と思うだろうか。それももう「自己判断」ということなのか。

 福島県にしてからがこの有様なら、この国で正気を保つのは本当に難しい、と思った。今回の短い帰省で考えたのはそんな事。で、この場合、狂わせているのは暑さではない。明日は儀父母と友人の墓参りに行く予定。

PS↑の写真は妻が仕事で作っているハムと物々交換のようにして貰った山形のスイカ「ひめまくら」。美味。 

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映画「冒険者たち」~フォール・ボワイヤール

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 「あの後、ローランはあの要塞島を本当にホテルにしたのだろうか?」1967年の映画「冒険者たち(Les Aventuriers)監督ロベール・アンリコ」のあの切ないラストを見てそう思った人は結構いる筈だ。

2_3   ライセンスを取り消された飛行気乗りマヌー(アラン・ドロン)と、レーシングカーの最新エンジンを開発しようとして失敗した自動車技師ローラン(リノ・ヴァンチュラ)、そして個展を開くも酷評され、傷ついた前衛彫刻家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)。

 恋に発展するのを寸止めしたようなトライアングルな友情で結ばれた彼らは、それぞれの夢が挫折したのを機に起死回生を果たすべくある冒険に旅立つ。コンゴ動乱(1960~1965)の時、財宝を乗せたセスナが海に墜落し、それを見事引き上げたら保険会社と折半で良いという話がもたらされ、それにのったのだった。

 で、最初の設問は宝探しに明け暮れる船上でマヌーが「分け前は一人1億以上だ。その金をどうする?」との質問にレテシアが答えた言葉に端を発している。

 彼女曰く、「海に浮かぶ家を買うわ。ラロシエル市よ。子供の頃からの夢なの。家というより海に囲まれた昔の要塞よ。それを改装するの。<中略>波の中にいる気分で創作するわ。もう発表しない。」

 その後、悲劇が起きるもマヌーとローランは大金を手にし、ローランはレテェシアが夢見た“海に浮かぶ家=昔の要塞”を買う。要塞とはフランスのシャトラント地方、港町ラロシエル市の洋上に聳えるフォール・ボワイヤールの事だ。

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 調べるとフォール・ボワイヤールは1802年にナポレオンが対イギリス用に建設を始めたが失脚し中断。その後1860年に完成するが、一度も使われることのないまま1920年までフランス軍が管理した。一時、ナチスの手に渡ったり刑務所になったりしたが、1958年にあるベルギー人がホテルにするために買い取った以降は放置されたままになり、この映画のロケが行われていた頃は廃墟になっていた。その後は1988年にテレビ製作会社が買い取り、今は体力を競うゲームのバラエティ番組(SASUKEみたいなものか?)の舞台になっているという。

 この映画を最初に見たのがいつだったか全く覚えていない。東京に出てきたばかりの19の頃だろうか。ただ他の人と同様にほぼこの1作で世界中の映画ファンの「永遠の恋人」となったジョアンナ・シムカスに強烈に魅せられたという以外はあまり覚えていない。最後の舞台となったフォール・ボワイヤールの事など考えもしなかった。

Photo_15  ビデオで持っているにも拘らず、今日、TOHOの「午前10時の映画祭 いつみてもすごい50本」でこれが上映されているのを知って見に行ったが、デジタル処理された映像とドルビーサウンドの音で全然違う体験だった。ローランもマヌーもレテシアも皆、新しく?なったように見えて、昔、洒落た大人に見えていた彼らが今日は若々しくて眩しかった。当たり前だが日々見るこちらばかりが年をとっていく。

 映画の中で「要塞」を買ったローランはここを改装してレストラン件ホテルにし、硬化ガラスを使って送迎用のヘリポートを作る・・・と、壮大な構想をマヌーに打ち明けるが、直後、彼らが手にした大金目当てのギャングの襲撃を受け、あえなくマヌーが命を落とす。

 ローラン 「マヌー、レティシアは言っていたぞ、お前と暮らしたいってな」
 マヌー   「この嘘つきめ・・・・」

 フランス映画はハッピーエンドじゃないのが良い。この後、マヌーの亡骸を前に頭を抱えるローランからカメラは引いていき、上空からの俯瞰撮影になってフォール・ボワイヤールをいつまでも映し続けて映画は終わる。愛した女の、文字通り「夢」の中で死んでいくマヌーと、その中で今後一人で生きていかなくてはならないローランと、一体どちらが幸せなのだろう?

 現実のフォール・ボワイヤールがバラエティ番組の舞台になってしまったのを残念という声の中には、映画の通りホテルにすれば世界中の映画ファンが来て儲かるのでは、という声もあるようだが、私はやはり廃墟のままであって欲しかった。この映画をこんなにも長い間青春映画の代表作とした位置を不動のものにしているのは、そこにその季節特有の愛しさ、愚かさ、嘘、などが余さず描かれているからで、廃墟のままの「要塞」はその残酷さを象徴しているように思えるから。

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 国内盤DVD『冒険者たち 40周年アニヴァーサリーエディション・プレミアム』には、レティシア役を演じたジョアンナ・シムカス(1943~)の2006年カンヌ映画祭におけるインタビュー映像が収録されているらしい。

 63才(現在70才!)になった彼女を見たくないという声も良く分かるが、私は機会があれば是非見てみたいと思う。

 だって私が愛しているのはジョアンナ本人ではなくレテシア。

 彼女は今も碧い海にいる。 

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イヴェント告知~NAKED SONGS Vol.5+小山卓治の「ひまわり」

 暑中お見舞い申し上げます。

 梅雨明け直後の殺人的な暑さを生き延びた後はもう普通の猛暑(って変な言葉だけど)はへっちゃら・・・と思っていたが、今日は久々に暑かった。温度より湿度の高さがコタエタ。夕方、汗が引くと二の腕に塩がふいていてザラザラしていた。

 帰宅するとイヴェントプロデューサーのWさんからDMが届いていた。「NAKED SONGS Vol.5」。

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 このシリーズを始める時、私はWさんから相談を受けた。あの時も夏の暑い日で武蔵小金井駅前のサイゼリヤ!で男二人で色々話したことを思い出す。故下村誠の意思を継いで、彼が80~90年代初頭、都内のライブハウスで展開していたようなライブを今度は自分が企画していきたいということだった。それで私はそのVol.1のパンフレットの文章を書き、

http://ameblo.jp/naked-songs/entry-11573293244.html

Vol.2とこの6月のスピンオフ企画では出演者にもなって自分の詩を読んだ。

 で、次回が5回目。今度は小山卓治が出る。私と同じ世代のロックファンで知らない人はいないと思うが、今では知る人ぞ知る、という存在だろうか。前回、Wさんに会った時、「良く出てくれたねぇ・・・」と言うとFaceBookから行って頼んだら快諾してくれたとのこと。Wさんの熱が伝わったのだろう。

 この8月、私はある仕事に志願して中旬から草津に行く。今日、簡単な打ち合わせをすると長くすると9月の半ばまでかかるかもしれないとのこと。だからこのイヴェントは全てから開放されたあとの良いご褒美になると思う。9月21日、下北沢 Laguna 楽しみに待っていよう。

 小山卓治は好きな曲がいっぱいあるが私が一番好きなのは↓。私が小さかった頃見た炭鉱住宅の景色とそこで暮らしていた大人たちを思い出す。

 

 

 週明けからまた一段と暑くなるとのこと。皆さん、ご自愛ください。

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