花便り~東京に帰ってきた。
30年に一度の猛暑とか言われる夏の最中に草津に出かけ、帰ってくると周囲には秋の気配が漂っていた。しかし夏の間も標高千メートルの草津は涼しく、実際、全てが終わって帰る頃には山の木々は薄っすらと紅葉し始めていたので、今東京に戻って晩夏から秋にかけての季節をもう一度やり直しているような奇妙な感覚の中にいる。
群馬県草津にあるハンセン病施設・栗生(くりう)楽泉園にある「重監房跡」の発掘調査については、新聞各紙、NHKのニュースにも取り上げられていたのでここでは詳しく触れない(というか書けない)。ただ、この調査については大手新聞では特集記事を、NHKでも特集番組を組むと言っていたので、その時どういう取り上げ方をされるのか今後ともメディアを注視していたいと思う。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0600O_W3A800C1CR0000/
車で行くと栗生楽泉園は草津の宿場を抜け、葬儀場、火葬場、墓場を通り過ぎたさらに奥にある。そのあまりのあからさまな在り方に初め面食らったが、それは“草津メロディライン”という時速40㎞で走ると車の振動音が草津節に聞こえるように設計された道路の先のことで、自分はもう草津節を今までのようには聞けなくなってしまった。
ブランキー・ジェットシティの「悪い人たち」の歌詞さながらの草津のダーク・ヒストリーの部分にピンポイントに直行したようだったので、その点で居心地の悪さを感じた一方、その影の部分を含めても草津の町は妙に郷愁を誘うものでもあった。
硫黄の匂いと宿の調理場の匂いが混じりあった夜の中、浴衣姿の人々が下駄を響かせて闊歩する路地。それは、自分が育ったいわき湯本の町にまだ活気が漲っていた頃を思い出させた。
仕事期間中、夜は作業日誌を書き、その日撮影した写真を整理する以外は本を読んでいた。安宿の部屋で、また、ぶらりと湯畑に行って足湯したりしながら。
↓はその時、読んでいたものの一冊。
60年間、栗生楽泉園で隔離の生活を強いられた詩人桜井哲夫(本名長峰利造)と在日三世の筆者・金正美(キム・チョンミ)の8年に渡る交流のドキュメント。
短大のゼミの交流会イベントで療養所の詩の朗読会を訪ねた19才のチョンミはそこで詩人に出会い、初め大きな戸惑いと葛藤を抱えながらも、ハラホジ(韓国語で尊父)と孫になろうという「条約」を交わし、やがて互いの故郷に一緒に旅に出る。津軽と韓国。
ぼくは知らなかったが、この時、チョンミに伴われて詩人が故郷青森に帰る様子はNHKのドキュメンタリー「津軽・ふるさとの光へ」という番組にもなり大きな反響があったと言う。自分は本書に収められた哲っちゃん(と、チョンミは詩人を呼ぶ)の数ある作品の中で「花便り」という詩が好きだ。
http://blog.livedoor.jp/rurudonoizumi/archives/52129562.html
草津にいたひと夏、甲子園では前橋育英が優勝した。東京オリンピックの招致が決まり(クソッ!)、福島原発では汚染水が漏れ続けていた。私は多くの人たちと出会い、農家の作業員さんが収穫してきてくれる美味しいトマトとトウモロコシを毎日たくさん食べた。
赤松、ぬるで、ナナカマド、楢、山あじさい・・・楽泉園の中では木々ばかり見ていたが花は見なかった。盲目の詩人が舌に乗せ優しさを読んだ紫の花とは何の花だろう。仕事が全て終わりほっとして、最後に楽泉園を去る時、考えたのはそのこと。そして東京にいても盲導鈴の、童謡を奏でるピアノの音が耳の中でずっと鳴っていて消えない。きっと大きな経験をしたのだろうがまだそのことの意味が分からないでいる、今はそんな状態だ。また草津に来よう。楽泉園にも。
で、とにかく東京に帰ってきた。
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