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ワキとシテ

 会社で購入したチケットが余っていると言うので、台風がようやく去った昨夜、能・狂言を見に行ってきた。市制施行50周年記念第9回ひの薪能。演目は「猩々(しょうじょう)」と「清水(しみず)」。

 私は能を見るのは昨夜が初めて。それでここのところ予習と思い、本、ネット等で能に関するものを様々読んでいたが、中で一番興味深かったのは「The 能.com」での安田登氏の連載エッセイ「能を旅する」というやつ。

 http://www.the-noh.com/jp/people/essay/travel/index.html

 ワキ=旅人、シテ=幽霊・精霊という視点から能の世界を分かりやすく説明してあって読み応えがあった。全て読んで、私が2011年の久ノ浜の海岸で、またこの夏、草津の森の中で過ごした時間は多分に「能」的だったと気づかされた。

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 昨夜見た「猩々(しょうじょう)」はめでたい演目。中国の揚子の里に住む親孝行の高風が夢で「市で酒を売れば富貴の身になれる」とのお告げを聞いて売っていると、「猩々」が現れ、心が素直な高風に汲めども尽きぬ酒の壺を与えると言うお話。

 いわきから山形に避難・移住した弟が今、米づくりから酒造りまでを同じ境遇の仲間達とやっていて、先日、今年の酒造りの予定を電話で聞いたところだった。見るにタイムリーな演目な気がした。高風が夢から覚めても酒壺は残される。そんな風であれば良いと願う。

 上で安田氏のエッセイからワキ=旅人、シテ=幽霊・精霊、と、引用して書いたが、本文をさらに読んでいくとワキ=「分からせる人」(決して脇役の略ではない)、つまり、不可視なシテを観客に見せる人、分からせる人と、説明がある。

 弟との電話はいつもどうしたって福島第一原発の話になるが、先日はその後、11月の核燃料棒引き抜き作業の話になった。連日の汚染水漏れのニュースを聞けば東電に当事者能力が無いのは明らかだが、これはさらに危険で高度な作業。本当に大丈夫なのだろうか?

 原発事故=不可視な放射能は怨霊そのもののようだが、福島の事故について、ずっと「Under cntorol」と言い張る首相にはシテが見えていない。ワキがいない。

 猩々の面というと赤ら顔でやや微笑んでいるようなものが常と思っていたら、昨夜の面は赤くはなかった。が、色はともかくも素人鑑賞者の私には微笑んでいる面も、ある瞬間には怒っているようにも見えた。

 もっと能を見たい、と思った。

 昨夜は一つ個人的なサプライズがあって、それは予め配られていたチラシにはシテの演者の名はあったが、ワキの名は無かった。気にもしていなかったが、なんとワキは安田登氏だった。全く知らずに彼のエッセイを読んでいたので、そこにも目に見えない何かを感じた。さすがワキ。  

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新しい「いせや」に行ってきた。

Photo  焼き鳥屋の場所が一万五千年前も焼き鳥場だった、という話を教えてくれたのは3月に他界した友人である。吉祥寺の老舗焼き鳥店「いせや」の店舗改築に伴う発掘調査をしたら、旧石器時代の調理場である礫群・集石遺構が出てきて新聞にそんな風に書いてあったとのことだった。

 http://www.asahi.com/national/update/0110/TKY201301090780.html

 http://matome.naver.jp/odai/2135784048757452201

 互いの仕事柄、調査した中に共通の知人がいてそんな話になった。若い頃から一緒に何度も行った店なので、元気になったらまた行こうと、病室での最後の日々も、私達はそんな話をしていたのだった。

 昨日、リニューアルした「いせや」に行った。東京都武蔵野市吉祥寺の「いせや」は井の頭通り沿いの総本店と公園口の店舗と2店ある。(この公園店改築中に仮店舗として北口に出していた店も継続して営業していくとのことだから、これからは3店か)。総本店の方は数年前にすでに改築されているが、新しくなってから私は一度も行ったことがない。件の“創業一万五千年?”と言われたのは公園口の方。

 昨日、一緒に行ったのも旧い友人だ。2年前に20年振りに会って「いせや」で飲んだのだが、その時も公園店の方だったので、それで今回も、ということになった。上述のようなこともあるし、聞くところによるとこの9/11にリニューアルオープンしたばかりだというので、どんな風か興味もあった。

 昼に待ち合わせ。以前は店外に流れる煙に燻されるようにして勝手に入っていって席に着くという感じだったが、新しい「いせや」は整列して、順番ずつ席を割り振られる。入ると公園側に面した方はガラス張りになっていて、外の緑が良く見え、吉祥寺、と言うよりは何処かの避暑地の店のようだった。友人とは再会して開口一番、“一万五千年前から・・・”と、野趣あふれる気分でいたところだったので、予想以上に小綺麗になった店内は少し肩透かしを食ったようだった。店員のお姉さんは発掘の件は知らなかった。

 しかし、違和感を覚えたのはここまで。焼き鳥が出てくるといつもの、一本80円のいせやの焼き鳥。私はここのタンを塩で、ハツをタレで食べるのが好き。そして、焼き鳥と同じくらいに(もしかしたらそれ以上に)、ここのシューマイが好きだ。酔ううちに串打ちされた肉がなんだかギャートルズの漫画に出てくるそれにも思えてきて、大いに語り、大いに喰った。昼に入ったのに、あっという間に夕方になってしまった。楽しかった。

 私達が話したのは、中々上手くいかない互いの近況のことと、次の一万五千年後のことだ。

 飲みすぎた。

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あまロス

Photo_7  今日初めて新しい朝ドラ「ごちそうさん」を見たが、私はやはりまだ“あまロス”。あまちゃんロス症候群。

 「あまちゃん」についてはもう色んなところで散々言われているので特に付け加えることもないのだけれど、私が個人的に何が画期的と思ったかというと、それは朝から全編を通して全開の東北弁が聞けたこと。

“ふるさとの訛りなつかし朝ドラの「あまちゃん」の中にそを聞きにいく”

 初回か2回目だったか忘れたが、東北人の宮藤官九郎(宮城県)の自虐ネタなのか画面に字幕が付いていて笑った。ドラマの中に「ずっと東北弁で通して良いのはあき竹城さんだけよ!」というのも確かあって、それも笑った。東京編はさすがにそうでもなかったが、それでも主人公のアキはずっとズーズー弁で通していた。嬉しかった。

 方言については関西の人が惚れ惚れするほど堂々としているのに比べ、東北弁はやはり昔からコンプレックスの種でしかなかった。昔、実家で浪人中、一足先に東京に出て行った友人達は、あー言ったら笑われた、とか、こー言ったら恥をかいたと、いちいち電話をかけてきて、小学生の頃、千葉の標準語圏内から福島に越して、散々「気取ってる」「カッコつけてる」と逆にからかわれていた私は、やっと気づいたか!と、いつも笑ってやっていた。

 しかし、数年後、東北出身の出稼ぎ労働者の飯場に暮らしていた時、その息苦しいまでのコンプレックスは見ていて滑稽を通り越し、強烈に悲しかった。

Photo_5_2  東北出身以外の人は“東北弁”って、どれも同じに聞こえるのかもしれないが、ドラマの中でほとんどの人が北三陸のことばで話しているのに一人ばりばりの“いわき弁”で話している人がいて、それが潜水土木課の先生“いっそー”。

 私はすぐに分かった。役名も「磯野心平」で、それプラス会話の端々に“何々してケローッ”と言うのは我がいわき出身の蛙の詩人草野心平をネタにしているのは明らかだ。このドラマはそんなところにも小ネタが効いていた。演じた皆川猿時がいわき出身ということでそうしたのかと思うが、他県の人が信じようが信じまいが、いわきには実際にああいう“いっそー”のようなキャラの人が多い。

 最終回、私は娘とオープニングナンバーが流れる中、お座敷列車が北三陸の海沿いを走る様を空撮して終わるだろうと、ちょっと予想を立てていたが、実際はアキがいつも一人で防波堤を駆けていくところを、ユイと二人で走っていくのを空撮するエンディングだった。予想を超えていた。暗いトンネルを二人の少女がペンライトを持ってはしゃいで走るり抜けるシーンも良かった。

 東京にいると方言で喋れない。ちょっとやってみてと時々言われたりすることがあるが出来ない。恥ずかしいとか言うのじゃなく、本当に出てこないのだ。しかし、このドラマの放送期間中、私は家ではずっと東北弁で喋っていた。杏は嫌いではないが「ごちそうさん」だとそうはいかない。それが淋しい。

 とにかく初回から欠かさず全部見た朝ドラは初めて。それで“あまロス”。

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