去る16日に小野田寛郎さんが亡くなったニュースを聞いて私が真っ先に思ったのは、1974年にフィリピンのルバング島から帰国した時、氏はお幾つだったのかということ。調べると小野田さんは1922年生まれなので、つまり帰国した時、52才だった。
読んだ記事には「人生を3度生き直す」とあって、1度目はもちろん軍人として、2度目はブラジルで牧場経営者として、そして3度目は子供達のための自然塾の主催者としてだ。長寿という条件があるにしても現在48才のわが身を省みて、可能性としてまだ2度もステージがあるのかと想像すると気が遠くなる思いがする。
30年間のジャングルでの生活中、小野田さんは野生の牛を撃って捕らえ、後は椰子の実等を食べていたそうで、投降を呼びかける調査団が故意に置いていった新聞や雑誌の記事で皇太子(現天皇)の御成婚も64年の東京オリンピックも知っていたという。
そして当時の政府をアメリカの傀儡だと思っていたらしい。上述したが彼が投降したのは74年で、その僅か2年前の72年にはフィリピン警察と戦闘もして、そこで長年行動を共にした戦友を失っている。つまり、彼は30年間、本当に、ずっと戦闘中だった。戦前の軍国教育が徹底していたとはいえ、その歳月の長さを考える時、彼の中で持続していたものの強さに改めて驚嘆する。そして帰国して戦後の日本を経験しての亡くなる直前、現在の日本が果たしてどんな風に見えていたのか、聞いてみたかった気がする。
30年の過酷な年月を生きた人というと最近のニュースの中ではもう一人ネルソン・マンデラ氏がいる。彼が亡くなった日は例の特定秘密保護法案が強行採決された日で、メディアでもそのことと絡めて彼の死が語られる場面が多かった。
私も何人かの知人とそんな話をしたが、中で彼のような人間がその信念の源にしているものとは何だろう?と言う人がいて、私が思い出したのはクリント・イーストウッドが監督した『インビクタス~負けざる者たち』という映画。
http://www.youtube.com/watch?v=SWLm16Kip-w
アパルトヘイト撤廃直後、まだ白人と黒人で国が二分している状況下での大統領マンデラと南ア・ラグビーチームの魂の交流を描いた実話。中にモーガン・フリーマン演じるマンデラがチームのキャプテン、フランソワ(マット・デーモン)に牢獄の中で絶望の淵にあった時、常に自分にインスピレーションを与えてくれたものだとして一つの詩を渡す場面がある。それはこんな詩。
インビクタス -負けざる者たち-
私を覆う漆黒の闇
鉄格子にひそむ奈落の闇
私は あらゆる神に感謝する
我が魂が征服されぬことを
無惨な状況においてさえ
私は ひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ 血を流しても
決して屈服しない
激しい怒りと涙の彼方に
恐ろしい死が浮かび上がる
だが 長きにわたる 脅しを受けてなお
私は何ひとつ 恐れはしない
門が いかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官
これは英国のウイリアム・アーネスト・ヘンリーという詩人の詩。映画では特に最後の“私が我が運命の支配者 私が我が魂の指揮官”というフレーズがつぶやかれるが、独善的にも解釈し得る言葉とは裏腹に、映画で描かれるマンデラ氏は肌の色を問わず周囲に気遣い、誰の言葉にも耳を傾ける人間味溢れる人物だった。それでいて自分の意思を通そうとする時にはまさに優雅な「支配者」にして「指揮官」。映画の最後に「この国に誇りをもたらしてくれてありがとう」と語りかけるマンデラと「いえ。誇りを持てる国してくれてありがとうございます。」と答えるフランソワとのやり取りを眩しく見たのを思い出す。
小野田さんがジャングルに、マンデラ氏が監獄にいたのは30年。(マンデラ氏の場合、正確には27年)。投げかけられている意味は全く違う人生だが、長い困難に直面し暗澹たる気持ちになる時、大きな示唆に富む人生だったことは共通していると思う。彼らは何に負けなかったのか、お二人の訃報を耳にして私はそんなことを考えた。
過去は捨てることはできない。現在は止めることができない。しかし、未来は決めることができる。-小野田 寛郎
私は生き残ったのではない。準備をしていたのだ。-ネルソン・マンデラ
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