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ピート・シガー氏死去~Pay me my money down

8dee30b9s ピート・シガー氏死去。

http://www.asahi.com/articles/ASG1X5RXSG1XUHBI027.html

 「客間の音楽、教会の音楽、酒場の音楽、貧民街の音楽さ。ほとんど直感的な繋がりを、そして歌い継がれなくてはならない或るものを感じたね。(中略)どうしてカーター・ファミリーやジョニー・キャッシュ、スタンリー・ブラザースじゃなくって、ピート・シガーの曲を選んだかって?だってピートの曲のライブラリーはあまりに広がりがあって、この国の歴史のすべてがそこにあるから。他の誰かのレコードに向かう必要がないと感じたんだ。すごく幅広い。かれはあらゆるものに耳を傾け、あらゆるものを収集し、あらゆるものに手を加えた。俺の望むすべてのもが、そこで見つけられたんだ。」

 (ブルース・スプリングスティーン談。アルバム「ウィ・シャル・オーヴァーカム:ザ・シガー・セッション」のライナーノーツより。)

 

 “すぐにあの船が港を出て行く/俺の金を払え/彼はマストで俺を殴り倒した/俺の金を払え/払え、払え、払え、俺の金を払え/払うか、刑務所に入るか/俺の金を払え”(対訳 三浦 久)

 Pay me my money down (ジョージア州とサウスカロライナ州の港の黒人沖仲士たちのプロテストソング。無法な船長達はよく労働者に賃金を払わずに出航した。)

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新選組の今

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 散歩がてら、新選組ふるさと記念館に行ってきた。入るのは十年ぶりくらいか。“描かれた「新選組」~映画・アニメから見た新撰組のイメージとファン~”なる企画展が催されている最中だった。 http://www1.hinocatv.ne.jp/shinsenr/tenji/index3.html

 初め芝居や読み物の中に登場した時の新選組は鞍馬天狗などを見れば分かるように悪役で、近藤、土方、沖田らのイメージも今のようには固まっていなかったとか。展示されていた昔の紙芝居「鞍馬天狗 暗殺人別帳」(街頭芝居 志滋海社中所蔵)の絵を見ると、描かれている沖田総司はまだ薄命の美少年ではなくて、やさぐれた雰囲気の中年の浪人だ。

Photo_3  以後、子母澤寛の「新選組始末記」があり、その映画化、ドラマ化があっったが、決定的だったのはやはり司馬遼太郎の「燃えよ剣」と「新選組血風録」。

 これによって現在の隊士それぞれのイメージは固まった。が、司馬遼太郎の例の、まるでその場にいたかのような文章によって史実ない交ぜのまま理解される風潮がそのままになってまった、と、展示は強調しているようだった。そして2002年の大河ドラマ「新選組!」によるブームだが、それ以降、新選組は歴史的学的に理解される存在ではなくイメージの中で繰り返し語られる文化になった、という意味の解説があった。

Photo_4  気づかなかったが去年平成25年(2013年)は新選組結成150年目の年だったのこと。そのため10本以上の「新選組漫画」が掲載、出版されたのだとか。それに今ではゲームにもなっているらしい。知らなかった。注目される隊士も今では様々で、ある漫画の影響で現在は斉藤一が一番の人気なのだとか。そう言えば去年の大河「八重の桜」で斉藤一をDragon Ashの降谷健志が演じていて重要な役どころだったっけ。そうか、そういうこともあるのか。

 中に近藤、土方、沖田などの武術の流派・天然理心流の技を解説するコーナーがあって、展示解説の人が他の来館者に、この天然理心流を継承しようと現在でも道場で教えている、と言っていたので、道場がどこにあるのかと聞くと、なんと我が家の至近であった。灯台下暗し。

 上の写真はJR日野駅近くの日野八坂神社で販売されている絵葉書。安政5年(1858年)、八坂神社に奉納された天然理心流の奉納額。武芸上達を祈願したもので、中に近藤周介、井上松五郎、佐藤彦五郎、井上源三郎、沖田惣次郎(総司)、嶋崎(近藤)勇、などの名前が見える。土方の名はまだない(安政6年入門)。

 イメージの中の新選組と史実の新選組。そして彼らのその結成から顛末までを様々に見ていく時、福島出身の自分が今日野にいることに改めて縁を感じた。

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窓の外ではリンゴ売り

 少し前の事になってしまったが、去年末NHK・BSプレミアム「井上陽水ドキュメント“氷の世界40年”日本初ミリオンセラーアルバムの衝撃とその時代」という番組を見た。面白かった。

 http://www.telecomstaff.co.jp/blog/nowmaking/002301.php

 名曲「氷の世界」のあのイントロがスティービーワンダーの「迷信」から着想されたこと、オープニングナンバー「あかずの踏み切り」は初め恐ろしく暗い弾き語りの曲だったこと、「心もよう」の歌詞は初め紅茶をいつもの店で買ってきて飲んだら美味しかった・・・という単純な詞だったこと、そして当時その「心もよう」と「帰れない二人」のどちらをシングルカットするかでプロデューサーと陽水はじめ若き録音スタッフとの間で確執があったこと、などなど・・・当時関わった人々の証言は録音音源を前にすると忘れていた記憶が様々に呼び起こされるのか、興味深い話ばかりだった。

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 何故、あんなに売れたのか?学生運動の終焉、オイルショック・・・色んな人が色々に語っていたが、結局は分からない。発売日、レコード屋の前に朝から行列ができていて、店頭に陳列する間もなくダンボール箱を破って直接手渡しして売ったとか、当時の店員さんの話が生々しかった。

 中で「“氷の世界”からこっち、世の中はずっと氷の世界のまま・・・」と言っている人がいた。どういうことだろう?世の中の動きなど関係ないところで自己完結した孤独を生きる人々に、この「氷の世界」は市民権を与えたということか。そしてそれから40年経った今、そうした人はむしろ当たり前になってしまったということか。

 “窓の外ではリンゴ売り/声を枯らしてリンゴ売り/きっと誰かがふざけて/リンゴ売りの真似をしているだけなんだろう” 「氷の世界」の有名な冒頭の一行だが、この詩に関して良く質問されるというが陽水自身「どこからでてきたのかと言われてもんねぇ・・・」みたいに困っていた。そりゃ困るだろう。

 “震えているの寒さのせいだろ/恐いんじゃないさ/Oh 毎日、吹雪、吹雪 氷の世界(井上陽水「氷の世界」より)”

 大寒初侯 もうすぐ都知事選。東京は今日も寒かった。

  http://www.youtube.com/watch?v=hg6KlrHvfVI

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負けざる者

Photo  去る16日に小野田寛郎さんが亡くなったニュースを聞いて私が真っ先に思ったのは、1974年にフィリピンのルバング島から帰国した時、氏はお幾つだったのかということ。調べると小野田さんは1922年生まれなので、つまり帰国した時、52才だった。

 読んだ記事には「人生を3度生き直す」とあって、1度目はもちろん軍人として、2度目はブラジルで牧場経営者として、そして3度目は子供達のための自然塾の主催者としてだ。長寿という条件があるにしても現在48才のわが身を省みて、可能性としてまだ2度もステージがあるのかと想像すると気が遠くなる思いがする。

 30年間のジャングルでの生活中、小野田さんは野生の牛を撃って捕らえ、後は椰子の実等を食べていたそうで、投降を呼びかける調査団が故意に置いていった新聞や雑誌の記事で皇太子(現天皇)の御成婚も64年の東京オリンピックも知っていたという。

 そして当時の政府をアメリカの傀儡だと思っていたらしい。上述したが彼が投降したのは74年で、その僅か2年前の72年にはフィリピン警察と戦闘もして、そこで長年行動を共にした戦友を失っている。つまり、彼は30年間、本当に、ずっと戦闘中だった。戦前の軍国教育が徹底していたとはいえ、その歳月の長さを考える時、彼の中で持続していたものの強さに改めて驚嘆する。そして帰国して戦後の日本を経験しての亡くなる直前、現在の日本が果たしてどんな風に見えていたのか、聞いてみたかった気がする。

 30年の過酷な年月を生きた人というと最近のニュースの中ではもう一人ネルソン・マンデラ氏がいる。彼が亡くなった日は例の特定秘密保護法案が強行採決された日で、メディアでもそのことと絡めて彼の死が語られる場面が多かった。

 私も何人かの知人とそんな話をしたが、中で彼のような人間がその信念の源にしているものとは何だろう?と言う人がいて、私が思い出したのはクリント・イーストウッドが監督した『インビクタス~負けざる者たち』という映画。

 http://www.youtube.com/watch?v=SWLm16Kip-w

 アパルトヘイト撤廃直後、まだ白人と黒人で国が二分している状況下での大統領マンデラと南ア・ラグビーチームの魂の交流を描いた実話。中にモーガン・フリーマン演じるマンデラがチームのキャプテン、フランソワ(マット・デーモン)に牢獄の中で絶望の淵にあった時、常に自分にインスピレーションを与えてくれたものだとして一つの詩を渡す場面がある。それはこんな詩。

  

  インビクタス -負けざる者たち-

  私を覆う漆黒の闇
  鉄格子にひそむ奈落の闇
  私は あらゆる神に感謝する
  我が魂が征服されぬことを

  無惨な状況においてさえ
  私は ひるみも叫びもしなかった
  運命に打ちのめされ 血を流しても
  決して屈服しない

  激しい怒りと涙の彼方に
  恐ろしい死が浮かび上がる
  だが 長きにわたる 脅しを受けてなお
  私は何ひとつ 恐れはしない

  門が いかに狭かろうと
  いかなる罰に苦しめられようと
  私が我が運命の支配者
  私が我が魂の指揮官

 

 これは英国のウイリアム・アーネスト・ヘンリーという詩人の詩。映画では特に最後の“私が我が運命の支配者 私が我が魂の指揮官”というフレーズがつぶやかれるが、独善的にも解釈し得る言葉とは裏腹に、映画で描かれるマンデラ氏は肌の色を問わず周囲に気遣い、誰の言葉にも耳を傾ける人間味溢れる人物だった。それでいて自分の意思を通そうとする時にはまさに優雅な「支配者」にして「指揮官」。映画の最後に「この国に誇りをもたらしてくれてありがとう」と語りかけるマンデラと「いえ。誇りを持てる国してくれてありがとうございます。」と答えるフランソワとのやり取りを眩しく見たのを思い出す。

小野田さんがジャングルに、マンデラ氏が監獄にいたのは30年。(マンデラ氏の場合、正確には27年)。投げかけられている意味は全く違う人生だが、長い困難に直面し暗澹たる気持ちになる時、大きな示唆に富む人生だったことは共通していると思う。彼らは何に負けなかったのか、お二人の訃報を耳にして私はそんなことを考えた。

 

 過去は捨てることはできない。現在は止めることができない。しかし、未来は決めることができる。-小野田 寛郎

 私は生き残ったのではない。準備をしていたのだ。-ネルソン・マンデラ

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相馬焼・新ブランド「KACHI-UMA」

Katiuma_3  去年の11月24日に「Jビレッジと相馬焼」なる文章をこのブログに書いた後、

 http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-e9a7.html

 結局、私は東京駅八重洲口の福島県のアンテナショップに行って、走り駒が描かれた二重焼きで青ひびの、典型的な湯のみを1個買ったのだった。昔は古臭くしか感じなかったものが今は懐かしく、また熱湯を注いでも持って熱くないので、その機能性も相まって愛用している。

 今日1/6の東京新聞夕刊一面にこの相馬焼に関する記事があった。なんでも原発事故で存続が危ぶまれる「大堀相馬焼」が、今年の干支「馬」にあやかった新ブランド「KACHI-UMA(かちうま)」を立ち上げるとのこと。↓はその記事。

 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014010602000204.html

Photo_3  昔ながらの湯飲みを愛用しつつ、“もし、デザインを刷新したものを作ったら、せっかく午年なのだから、もっと売れるだろうに”と勝手に考えていたので、ちょっと吃驚。どんなデザインのものがあるのか早速、調べてしまった。

http://www.kachi-uma.jp/

 記事にもあるが旧相馬藩の御神馬を描いた「走り駒」は皆、左を向いていて、それは「右に出るものはいない」という縁起をかついだものだとか。私はいつも「これだと中山かな」などと阿呆のように見ていたが。そして、去年末見た映画『祭りの馬』の主人公ミラーズクエストを思い出したりしていた。

 新デザインの馬たちはどうか。こいつぁ春から・・・もう一つ欲しくなった。

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映画『利休にたずねよ』~槿花一日(きんかいちじつ)

Photo_3  師走に仕事で痛めた腰が思いの他ひどくて、この休みはずっと家にいた。なにせ9連休なので、その何処かで郷里のいわきに日帰りでも行く予定にしていたが、妻の体調も良くないということで結局、取りやめにした。

 TVも歌舞伎関係の番組以外はほとんど見なかった。それで前にこのブログで書いていた通り、船橋聖一の『新・忠臣蔵』をひたすらに読んでいた。全八巻。現在、六巻に突入で継続中だが、後世に散々に尾ひれがついたこの物語の細部のそれぞれを、筆者は集めた膨大な資料と協調しつつ筆を進めている。この大事件についてあまり詳しく知らなかった当方としては随分勉強になった。かえって充実した休みになった。

 なのでここ数日は完全に引きこもり状態だった。が、本日、休みの最終日、さすがにこれでは・・・と思い、映画を見に行ってきた。見たのは『利休にたずねよ』。こちらは完全なフィクション。

http://www.rikyu-movie.jp/

以前に原作を面白く読んだので映画化と聞いて見たいと思っていたが、ネットで映画評、感想のようなものを見るとハッキリと賛否両論。実際のところどうなのかと余計に興味をそそられた。亡き團十郎と海老蔵の最後の競演というのも歌舞伎好きとしては見ておきたいと思った。

 感想は色々あるが原作はミステリー仕立てだったのに対し、映画は茶の湯の世界の「美」を映像化しようというところに重きが置かれていたように思う。ただ、私はそちらの方は全くの門外漢なのでそれが成功しているのかどうかは分からない。分かったのは海老蔵の演技が重厚過ぎて他のキャストとの差が目立ったこと。あと気になったのは大森南朋の秀吉。秀吉は嫌いだが、あんな人だろうか。もっと複雑な人だったと思うけど。

 この映画で利休の美を表す象徴的な小道具として槿(むくげ)の花が出てくる。そして物語の重要な場面にはこんな言葉が使われる。

  「槿花一日(きんかいちじつ)」

 http://www.kokin.rr-livelife.net/koto/koto_ki/koto_ki_8.html

 韓国語ではムグンファ。息子が小さい時、動物園に行ったらキリンを指差して何故か“ムグンファ、ムグンファ!”と言っていた。意味も分からずその言葉の響きが気に入って自分のメールアドレスに使うことにして、以来そのままだが、後年、花の名前だと知った。しかし、それが槿(むくげ)のことだとは知らなかった。ここでもまた一つお勉強。

 東京で過ごす正月は今年で3年目。いつもいわきの実家に帰って過ごしていたが、それができなくなって、それでも去年まではかえって人の少ない東京に珍しさを覚えるようにして出かけていたが、今年はそれもしなかった。完全に家族四人水入らずのお正月。だが静かで良い正月だった。

 緑の粉末を器に入れてかき回して飲んでいるが、私の場合は抹茶ではなく青汁。酒もほとんど飲まなくてお陰で体調は良い。後はこの腰痛だけ。で、明日から仕事、仕事。

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2014年 あけましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

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 http://youtu.be/oQjpUro8sys

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