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夏の地図

Photo  去年末は江戸時代にいたが最近は縄文時代にいる。場所は三鷹市。

 東京に出てきて初めて暮らしたのが三鷹なので思い入れは深いが今いる場所は初めて。早稲田大学の学生達を数名引き受けることになっが、年を聞くと息子と同じで、またぼくが三鷹にいた頃と同じ年頃でもあるので感慨深かった。

 三鷹にいた頃の記憶は何故か夏の記憶ばかり。狭いアパートだったが、田舎から一緒に出てきた友達と東京で知り合った友達が渾然一体となってたまり場のようになっていた。皆、何かに一生懸命だったが筈だが何に一生懸命だったかは思い出せない。ただ暑くて、愚かなことをいっぱいして、また情けない思いをいっぱいした。

 “すべての季節が過ぎ去ってもぼくは夏のまま”。ザ・ハイロウズ、『夏の地図』の一行。

 http://j-lyric.net/artist/a00f6d1/l010ef3.html

 甲本ヒロトの詩は既成の作家や詩人の影響がない。彼の生身の体から発せられている真にオリジナルなことばの礫だ、と思う。この前、図書館で“甲本ヒロト全詞集”を読んだらその本の中でもステージ同様、彼は裸んぼのままだった。笑って、そして読む前より少し元気になった。元気にされた。

 “6月と9月にはさまれたのが夏じゃない/宝物の地図 胸のポケットに入ったなら”。

 学生さんたちは考古研なので一様に考古学というものに真摯な情熱を秘めていて、ぼくのように穴を掘ったらお金をくれるところがあると連れられていってそのまま仕事になってしまった人間からすると少し眩しい。まだ拙い情熱だけどそれに触れるとぼくもヒロトのうたを聞いたように少し元気になる。この前、寒かったから「遠慮しないでハウスの中に入れ」と言ったら「外がいい」と言われた。皆、車座になって喋って笑っていた。彼らは夏のまま。まだ2月だけど。これからまた寒くなるというけれど。

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Waiting on the world to change

 

 でも、テレビを信じるかい/この目で見たことが真実とは限らない/情報を持っている人たちは/自分に都合よく捻じ曲げることができるんだから (ジョン・メイヤー 「 Waiting on the world to change 」)。

 瑣末なことだけど、今朝、出勤途中のラジオで最近のネットでの口コミサイトのひどさについて取り上げられていた。例えば某有名レストランについてのページではサクラのような人達が誇大な表現でその味やサービスについて★の数の多い書き込みを連発している一方で、そのライバル店の人々は滅茶苦茶にけなした書き込みをしたりしている。で、アンケートを見るとそうしたサイトを信じている人というのは実はごく僅かしかいないらしく、懸命な人たちはやはり自分の足と舌で得た情報を大切にしているということ。その点は少し救われる気がする。

そんなこと今頃知ったの?と言われてしまうかな。

 テレビは信用できない、と一頃から言われるようになったが今はネットも信用できない。情報を都合よく捻じ曲げるツールを私達は図らずも手にしてしまっていて、まずその事に自覚的になることが大事だと思った。

 http://yaplog.jp/lvs/archive/335 

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山形から来た弟と「さすらい人」に行った。

Photo  ベルリン映画祭で女優・黒木華が銀熊賞(最優秀女優賞)受賞。映画「小さなおうち」での演技が評価されての事だが、私は原作を読んだ後すぐこんな文章を書いた手前、封切後すぐに見に行った。

 http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-8027.html#comments

 映画は少し不満が残る出来だったものの確かに彼女は良かったと思う。

 私は原作を3・11を絡めた読み方をして少し飛躍が過ぎたかと思っていたが、あれから世の中はあれよあれよと戦前と似た雰囲気になってしまった。世間は育ちの良い首相の政策で景気が良くなるのをひたすらに期待して、その間に次々と新たな法律が制定されていく。アジア諸国との間に緊張があって、その上、東京オリンピックを数年後に控えているというところまで同じだ。

 映画で黒木演じるおタキは雪の山形から奉公のため東京に出てくるが、ちょうど金曜日に山形から弟が出てきていて、膝下くらいまで積もる雪の中を二人でざくざく歩いている時、その映画のワンシーンを思い出した。ただ映画と違うのはおタキの時代、東北の少女にとって東京は憧れの場所だったろうが今は違う。かえって避難先の山形で農業を始めた弟の楽しい話を私も妻も息子も娘を皆眩しく聞いていた。彼が生き生きと迫力を持って話すのと同様のものが今ぼくらにあるだろうか、そんなことを考えた。

 弟はガイガーカウンターを持ってきていて、我が家の放射線量を測定してくれた。測ると0.06マイクロ・シーベルト。「ここは安全だ」と弟はまじめな顔で言った。これが弟のリアル。

 9日は大雪で受験の息子は雪中行軍のようにして会場に向かったが、その間、家には駄目だと本人が諦めていた本命の学校の合格の知らせがもたらされて、伯父に良い報告が出来たと、帰宅して息子は喜んでいた。夜、やっと歩けるようになった道を皆で歩いて南平駅前の「さすらい人」でお祝いをした。久しぶりに酒を飲んだ。楽しかった。

 写真は本日、山形へ帰る弟の後姿。前方の陸橋をくぐった先の空に本当はきれいな富士山が見えていたが、写らなかった。

  PS この26日で25年続いた「さすらい人」は閉店とのこと。通風やらなにやらあって、しばらく酒を止めていて最近行っていなかったのが悔やまれる。

 http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-f37b.html

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吉野弘の「雪の日に」

Yuki  「・・・吉野弘さんは、そういう意味では<発見>する詩人である。そう言えば戦後詩の名作と言われる、彼の「I was born」も、カゲロウの雌の卵の詰まった腹のイメージが引き金になって展開される生命論だった。」三木卓『詩のレッスン』より。

              ☆ 

 今日、東京13年ぶりの大雪。息子が受験なので交通網の運行状況を早朝か心配する始末だった。警報なら休校、注意報なら登校、と言われていた娘は渋々出かけていったが、1時限目で授業が終わりとなってすぐに帰ってきた。それからまだ降り続いているのにもかかわらず、取り合えず二人で家の階段周囲の雪かきをした。

 下の「雪の日に」は先月15日に亡くなった吉野弘さんの詩。三木卓さんが彼を“発見する詩人”と評しているが、この詩もそう。自らの汚れを隠すようにあとからあとから降り積もるという風に雪を見ている詩人の目は今更ながらにコワイ。発見の前にはまず観察があるのだろうが、多くの場合、彼が観察するのはもう誰もが意識化すらしないようなありふれた光景だ。「I was born」、「緑濃い峠の」、「虹の足」、「生命は」、「ほぐす」、「夕焼け」・・・いつも見ている事物や風景の、見たことも無いような面を見せられて初めドキリとし、それから感動がじわりと訪れる、そんな稀有な詩の数々。

 それにしても凄い雪。何処にも出かけられず今日はじっくり彼の詩を読んでいた。

    「雪の日に」      詩 吉野 弘

   雪がはげしくふりつづける
   雪の白さをこらえながら


   欺きやすい雪の白さ
   誰もが信じる雪の白さ
   信じられている雪はせつない


   どこに純白な心などあろう
   どこに汚れぬ雪などあろう


   雪がはげしくふりつづける
   うわべの白さで輝きながら
   うわべの白さをこらえながら


   雪は汚れぬものとして
   いつまでも白いものとして
   空の高みに生まれたのだ
   その悲しみをどうふらそう


   雪はひとたびふりはじめると
   あとからあとからふりつづく
   雪の汚れをかくすため


   純白を花びらのようにかさねていって
   あとからあとからかさねていって
   雪の汚れをかくすのだ


   雪がはげしくふりつづける
   雪はおのれをどうしたら
   欺かないで生きられるだろう
   それがもはや
   みずからの手に負えなくなってしまったかのように
   雪ははげしくふりつづける


   雪の上に雪が
   その上から雪が
   たとえようのない重さで
   音もなくかさなっていく
   かさねられていく
   かさなってゆくかさねられてゆく

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誰か新撰組を歌舞伎にしてくれないだろうか?

20140202160206  先週の土曜日に続き、また「新撰組ふるさと記念館」に行ってきた。常設展示のコーナーをぶらぶらしていると展示解説の方に「この中で一番のお宝、何だか分かりますか?」と尋ねられた。分からない、と答えると、これです、とガラスケースの中の古びた墨書きの小冊子を指差す。プレートを見ると永倉新八の「浪士文久報告記事」なる文字。

 http://book.akahoshitakuya.com/b/4569603335

 永倉新八と言えば最強だったとも言われる新撰組・二番組組長。隊士の中で珍しく長命で、晩年は北海道にいて新聞記者らの取材に対し、新撰組についての貴重な証言を残している。維新後の世の中で逆賊扱いだった新撰組が名誉を回復したのには、この永倉の証言が一躍買っている。

 解説員の方が言われていたが、永倉証言にも新聞記者が聞き書きしたようなものは聞き手の創意や粉飾が混ざっているので信用できない部分が多いが、この「浪士文久報告記事」はまだそんなに時を経ずうちに永倉自身が書いており、新撰組関連の書物の中でも第一級の資料と言われているものらしい。

 しかし、これはその存在は知られていたが明治期に誰かの手に渡ってから長く行方が分からなくなっていたのだとか。そして、これが発見されたのはなんと平成10年(1998年)。大阪の古道具屋から出てきたと言うのだが、明治、大正、昭和、平成と時を経てやっと目に触れた永倉の文字は一目見て実直な男らしい印象だった。この「浪士文久報告記事」は今は書籍化されているとのこと。様々に脚色、劇化されてきた新撰組の「素」の姿がどんなものなのか分かるだろうか。読んでみようかと思った。

Happi_2  今日はその後、日野宿本陣にも行った。以前はここは蕎麦屋になっていて、私が日野に住み始めた頃に一度食べに来たことがある。しかし、例の大河ドラマが放送された頃と前後して日野市の指定史跡になり、そうなってから行くのは初めてだった。ここはよく歳三が昼寝した部屋というのが紹介されるが、今日、解説者の話を聞いて一番驚いたのはここの一室があの市村鉄之助をかくまった部屋であるということ。知らなかった。市村鉄之助とは函館戦争の折、戦列を離れ、単身日野村に歳三の遺品をもたらしたあの小姓である。彼を3年間かくまってほとぼりが冷めた頃、故郷に帰した経緯は司馬遼太郎の「燃えよ剣」に詳しい。

              ☆ 

 去年末から年始にかけて船橋聖一の「新・忠臣蔵」を読んだが、資料を駆使し、現地を踏査して史実と協調して書き上げられたそれを読んだ後、私が思いを巡らしたのは地元の新撰組のことだった。新撰組の浅葱色にだんだらのあの隊服は歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の討ち入りの衣装からヒントを得たのは有名だが、赤穂事件後、すぐ英雄になった四十七士に比べ、新撰組は長く逆賊であった。新撰組は歌舞伎にならないだろうか。私はそう思った。義経、平知盛、明智光秀、・・・・・・時の権力によって逆賊とされた人々のほんとうの声を彼方に聞く、歌舞伎をそうした芸能だと考えると、新撰組は歌舞伎そのものではないか。

 池田屋事件、近藤と土方の別れ、土方の死、名場面には事欠かない。今日もまた見たが、漫画、ゲームは今数え切れないほどある。「歌舞伎にはなってないですか?」と聞くと先の解説員さんは「無い」と一言。だが、その後、「でも、猿之助と中車がやればいいのに」と言っていた。私は勘九郎と染五郎がいいと思う。

 誰か書いてくれないだろうか?

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