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吉野弘の「雪の日に」

Yuki  「・・・吉野弘さんは、そういう意味では<発見>する詩人である。そう言えば戦後詩の名作と言われる、彼の「I was born」も、カゲロウの雌の卵の詰まった腹のイメージが引き金になって展開される生命論だった。」三木卓『詩のレッスン』より。

              ☆ 

 今日、東京13年ぶりの大雪。息子が受験なので交通網の運行状況を早朝か心配する始末だった。警報なら休校、注意報なら登校、と言われていた娘は渋々出かけていったが、1時限目で授業が終わりとなってすぐに帰ってきた。それからまだ降り続いているのにもかかわらず、取り合えず二人で家の階段周囲の雪かきをした。

 下の「雪の日に」は先月15日に亡くなった吉野弘さんの詩。三木卓さんが彼を“発見する詩人”と評しているが、この詩もそう。自らの汚れを隠すようにあとからあとから降り積もるという風に雪を見ている詩人の目は今更ながらにコワイ。発見の前にはまず観察があるのだろうが、多くの場合、彼が観察するのはもう誰もが意識化すらしないようなありふれた光景だ。「I was born」、「緑濃い峠の」、「虹の足」、「生命は」、「ほぐす」、「夕焼け」・・・いつも見ている事物や風景の、見たことも無いような面を見せられて初めドキリとし、それから感動がじわりと訪れる、そんな稀有な詩の数々。

 それにしても凄い雪。何処にも出かけられず今日はじっくり彼の詩を読んでいた。

    「雪の日に」      詩 吉野 弘

   雪がはげしくふりつづける
   雪の白さをこらえながら


   欺きやすい雪の白さ
   誰もが信じる雪の白さ
   信じられている雪はせつない


   どこに純白な心などあろう
   どこに汚れぬ雪などあろう


   雪がはげしくふりつづける
   うわべの白さで輝きながら
   うわべの白さをこらえながら


   雪は汚れぬものとして
   いつまでも白いものとして
   空の高みに生まれたのだ
   その悲しみをどうふらそう


   雪はひとたびふりはじめると
   あとからあとからふりつづく
   雪の汚れをかくすため


   純白を花びらのようにかさねていって
   あとからあとからかさねていって
   雪の汚れをかくすのだ


   雪がはげしくふりつづける
   雪はおのれをどうしたら
   欺かないで生きられるだろう
   それがもはや
   みずからの手に負えなくなってしまったかのように
   雪ははげしくふりつづける


   雪の上に雪が
   その上から雪が
   たとえようのない重さで
   音もなくかさなっていく
   かさねられていく
   かさなってゆくかさねられてゆく

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