男の耳は聞きたいことだけを聞き
男の目は真実を捻じ曲げる
男の口は醜く歪み
男の鼻はピノキオのように高い
名も無い持たざる人々の願いが重なる
どうしたら男の鼻をへし折ってやれるのか?
by中川五郎
ボブ・ディラン「ライセンス・トゥ・キル」の替え歌の詩より
昨夜は阿佐ヶ谷のharnessで中川五郎さんと風二吹カレテのライブで前座をやった。NAKED SONGS Vol6. Blwin' in the Winds2014。緊張した。五郎さんとCROSSは僕にとって例えば洋楽の歌を聴いていて歌の意味を直接耳で聞いて理解できたらどんにいいだろう、と思う時の不満を解消してくれる二人でもある。
CROSSからはスプリングスティーンやトム・ウェイツやヴァン・モリソンみたいな物語風のバラッドが日本語で直接聞ける。しかも彼らのようなしゃがれた声で。以前、ぼくは彼がスプリングスティーンの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」のカヴァーをしているのを聞いて驚いたしまった。そして、翻って英語圏の人ってこんな風に聞こえているのだなあ、と思った。昨夜も「トム・トラバーツ・ブルース」を聞いている時も思った。絶品だった。
そして五郎さん。五郎さんは店の中にいる誰よりも過激でユーモラスで、怒りに満ち、エロチックで酒のみで自由だった。五郎さんの歌については聞いていて思うことがいっぱいあった。
日本語のロックやフォークはそもそもプロの作詞家ではないアマチュアが自由な発想で好き(勝って)なことが歌えるという喜びから始まった筈。なのに、長い年月を経て、自分で作詞・作曲をする人は増えたが、いつしか時々の常套句や既成のイメージ、慣れ親しんだ物語を歌の言葉として選ぶことが自明になってしまっているのではないか。ロック・フォークにおける言葉の進化の歴史は単に商業主義に流通する言葉の開拓史だったのか。五郎さんの商業主義とは無縁な歌の数々を聞いてそう思った。
玄侑宗久のQ&A本をそのまま歌った歌や草野心平の詩を歌ったもの、チャールズ・ブコワスキーの男性器、女性器を指す単語そのものずばりを多用した詩「シャワー」の朗読、関東大震災時、千歳烏山で実際に起きた事件を取り上げたトーキング・ブルーなどなど。どの歌も味わい深いが、どれも発想そのものがとても自由で、歌う行為自体が現状への抗議(プロテスト)のようにさえ感じた。五郎さんのステージの後がセッション・タイムだったが、呼びかけられても気圧されて、一瞬、誰も動けなかった。皆、笑顔だったのだが。凄いものを見た。
現在65才の五郎さんは60年代の新宿西口フォークゲリラの頃から歌で権力者や世の不正に抗議するということをずうとやってこられていて、今も国会前の群集の中「We Shall over come」を歌ったりしている。昨夜もいつものようにニコニコとしていたが、木曜日のあの安倍首相の集団的自衛権行使容認の会見に怒りを顕にしているのは明らかで、上のディランの「ライセンス・トゥ・キル」の替え歌を歌った。彼にライセンスを与えたのは誰か、と問うて。
今の世の中の雰囲気からして「腰まで泥まみれ」を紹介したい気持ちもあるが、ここではもう一曲、昨夜の1曲目に歌ったワンダーアイズ・プロジェクトhttp://www.wondereyes.org/
の歌「For a life」を挙げたい。作詞は五郎さんで作曲は元頭脳警察のPANTA。
五郎さんは大昔、ぼくがアルバイトしていたお店の常連さんで良く来ていたが、一番気さくそうなのに何故か話しかけられなかった。ライブ終了後、やっと話せた。嬉しかった。また昨夜は客席に、音楽の雑誌をよく買っていた頃、ライターとして名前をお見かけしていた市川清師氏が来ていてお会いした。そしてぼくと主催者の若松さんの共通の兄貴分だった故下村さんのことである密命?を仰せつかった。なんとか果たさねばと思う。
そして小山卓治さん。凄くしっかりと握手する人だった。
色んな人に会え、たくさん歌を聴いてスッとした一方で、自分の不自由さに軽い自己嫌悪を覚えた夜でもあった。まだまだだ。
主催者の若松さん、また呼んでくれてありがとう。ご苦労さまでした。
PS 今、五郎さんのホームページを見たらぼくの仕事場にいる人が関わっているライブハウス「地球屋」に、7月、五郎さんが来る。
http://www.goronakagawa.com/
また見に行こう。その時、↓の曲、リクエストしてみようかな。爆笑しました。
最近のコメント