草野心平の「わが抒情詩」
5/17に阿佐ヶ谷で聞いた中川五郎さんのライブでとりわけぼくが感激したのは我が郷土の大詩人・草野心平の「わが抒情詩」を歌ってくれたこと。
http://japanese.hix05.com/Literature/Kusano/kusano14.jojoshi.html
だいたいこうした「文学の詩」に曲をつけて歌おうとした場合、多少メロディやリズムにあわせて言葉尻や言い回しを変えたりするのが普通だが、五郎さんはこの詩を多分、そのまんま、歌っていたと思う。(一度、聞いたきりなので違うかもしれないが)。
そしてこの戦後の焼け跡をうろつく心平の、その心情を吐露した詩を、3・11後の日本・日本人に重なるものだとして歌っていた。「美味しんぼ問題」の最中、東京にいる福島県人として、聞いていて揺さぶられるものがあった。
草野心平への個人的な思いは原発事故後このブログにも書いた。
http://penguin-pete.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-1050.html
この時は多分に郷愁混じりのものだったが、今、自分の中で彼の詩の数々がプロテストソング的な意味合いを帯びてきているのに気づいて驚く。本当は何も心配などしていない人達が違う目的で“風評被害”という言葉を口にしているのを見る時、特に。
最後に「わが抒情詩」でぼくが一番好きなところ。昨日も飯を喰い、今日もまた笑っていても。
考へることにはじまつてそいつをどうかするやうな。
さういふ仕掛けになるならば。
がたぴしの力ではなくて愛を求める。
愛ではなくて美を求める。
さういふ道ができるなら。
例へばひとりに。
お茶の花ほどのちよつぴりな。
そんなひかりは咲くだらう。
それがやがては物凄い。
大光芒にもなるだらう。
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