コンウォール・リーの絵葉書
先週末はまた草津に行っていた。去年調査した栗生楽泉園・重監房の資料館が完成した事を受けて会社あげての研修旅行。
自分が掘り出した遺物や撮影した写真をガラスケース越しに見るのはなにも初めての経験ではないが、それにしても今回のこの異例とも言える早さ。そして報われたと思える事が極度に少ない発掘の仕事にあって、この達成感もまた異例のものだ。改めて貴重な経験をしたと思った。感謝。
一泊二日の旅行だったが自由時間となると、一人湯畑の喧騒を離れて、どうしても去年約一ヶ月滞在していた宿の周辺に足が向いてしまった。で、二日目の自由時間に行った場所もやはり去年、散歩コースにしていた頌徳公園。
大正から昭和初期にかけてハンセン病の人達のために尽力したイギリスの宣教師コンウォール・リー女史を記念した公園で、目の前に彼女ゆかりの聖バルナバ教会と記念館がある。
http://homepage2.nifty.com/jmm/legh/muse_top.html
いつもは仕事の後で時間的に閉まっており、前を通り過ぎるだけだったのが、今回、初めて記念館の中に入ってみた。丁寧な解説を受け、映像を見せてもらって、“聖バルナバ・ミッション”と言われる彼女の仕事のあらましを知った。かつて湯之沢と呼ばれる地区には、ハンセン病者のための幼稚園、学校などが彼女の尽力によって建てられ、辺り一帯は「喜びの谷」と呼ばれていた。1931年(昭和6年)、病者全員隔離を謳う、癩予防法が制定されるその前までは。
コンウォール・リーは若き日にアート・スクールで絵画を勉強した人でもあるらしく、来日する前の世界旅行時に描いたものや日本に来てから描いたものが今絵葉書セットになっている。上の写真がそれ。ぼくが買ったのは第3集の「草津の風景」。優しい水彩画で、彼女の草津の地に対する愛情が伝わってくるよう。
先週末は真夏日とやらで標高千メートルの草津も暑かったが、湿度が低いのか、日差しの強さと眩しさを避け木陰に入るとひんやりとして気持ちよかった。息がつけた。記念館を出た後、出発の時間まで頌徳公園のベンチで寝ながら鳥の声を聞いていた。
癩予防法が制定され、栗生楽泉園ができることによって女史の 喜びの谷、は終わりを告げる。その先に重監房もある。
旅の最後に、もし、それが無かったら草津はどんな町だったのか、と夢想した。
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