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28度目の歌舞伎 「天守物語」

Cai_0356_5  昨日、久しぶりに歌舞伎座に行った。見たかったのは夜の部・第三幕「天守物語」。

 また例によって幕見で見ようと早めに出掛けたが、着くなり係りに聞くと、二幕目から通しで見ると三幕目で座れるが、三幕目から見ると立ち見になると言われた。

 第二幕目の「修禅寺物語」の主役・夜叉王は中車(香川照之)。それで、いつか歌舞伎役者の彼をちゃんと見たいと思っていたのでいい機会と考え直し、予定を変えて二幕目から見た。ただ「修禅寺~」も悪くなかったが、やはり良かったのは「天守物語」。玉三郎×海老蔵コンビ会心の舞台。これでは中車は分が悪い。中車は「天守~」にも小田原修理役で出ていたが。以下

 天守夫人富姫に玉三郎、姫川図書之助に海老蔵、舌長姥に門之助、薄に吉弥、亀姫に尾上右近、朱の盤坊に猿弥、山隅九平に市川右近、近江之丞桃六に片岡我富。 

 2009年7月の「歌舞伎座さよなら公演」の時もこの「天守物語」は上演されたが、その時はまだ歌舞伎を見始めたばかりで古典にしか目が行かず、泉鏡花のこの名作をぼくはまだ歌舞伎に思えなくて見なかった。ただいつか見る日が来るかと思い、その後、原作を読むだけは読んた。 

 白鷺城(姫路城)の最上階には異形のもが住むという江戸の頃から伝わる伝説に、その他の怪異譚を織り交ぜて描かれた異界の女と人間の男との恋物語。富姫役以外に演出も手がけている玉三郎は今回も原作を一切変えていないと言う。

 本では分からなかったニュアンスもこうして舞台化されたものを見るとすんなり理解できる。例えば前半のコミカルな雰囲気や二人が会話を交わすうちに段々と恋情が高まっていく様などはやはり芝居で見なければ分からない。図書之助がどの辺りから富姫に惚れるのか?

 またこの芝居にさりげなく、だが以外に図太く反体制的なメッセージが響いているのに気づいた。そしてそれが今回は特に際立って感じた。現在の極右化へと向かう空気。大正6年に書かれた戯曲が「今」を撃っていた。 

 玉三郎の円熟と海老蔵の気合が重なった渾身の芝居。いつまでも眺めていたいような美しい舞台。少し寿命が延びた気がする。カーテンコールが二度あった。

 「芝居も色々ありますが、鏡花作品を演じて幕が閉じると、からだは疲れていても、気持ちは浄化される感覚があります。台詞は初演時と同じなのに、最近は演じるたびに新しさを感じ、心の禊をしているような清浄感に包まれています。」(坂東玉三郎 歌舞伎座さよなら公演時のインタヴューより)

 それは見終わったこちらも同じ。これはもう古典。泉鏡花作品は他に玉三郎によって「夜叉ヶ池」「海神別荘」「山吹」がある。いつか全部見たいと思った。

 万来の拍手を耳に残し、呆然として帰路につく。

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