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「長距離走者の孤独」~凄く怒りながら走ってる奴

 The Whoについて書いた文章の中でちょっと触れたついでに多分30年ぶりくらいにアラン・シリトーの「長距離走者の孤独」を読んだ。シリトーって一頃はこの他にも翻訳が一杯出ていたが最近は余り目にしなくなった。いわゆる悪漢(ピカレスク)小説だが、ぼくの中学・高校当時はこれで作文の宿題とかがあったりしたが、今はどうなのだろう?

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 人は長い距離を走っている間、何を考えているのか。何も考えていないとの意見が一般的だが、太宰の「走れメロス」しかり、案外本当はシリアスな事柄に色々と思いを巡らせている場合が少なくないのではないか。

 この小説の主人公が考えているのは一言で言えば人間の誠実さについて(だと思う)。それを物凄く怒りながら考えてる。そしてその怒りはイギリスのあらゆるところで持続していて、例えばアメリカン・ロックのハィウゥエイに今もケルアックが佇んでいるように、UKロックの霧の中をシリトーのこの小説の主人公が今も駆けている。無論、映画や現実の街の中にも。ぼくは今回久しぶりにこの小説を読んでアメリカのロックと英国のロックの違いが少しだけ分かった。

 本書は短編集で全部で8編の作品が収められているが、他には「漁船の絵」が良い。ただ全部かどうかは分からないけど表題作に関して言えるのはいかんせん訳が古いという事。ケルアックの「On the road」のあの口語体の文章が新訳で現代(いま)に生き生きと甦ったように、これも誰か新しく訳してくれないだろうか?それと「土曜の夜と日曜の朝」も。

                 ☆ 

 ぼくが中学生の時初めて読んだのは兄が持っていた上の写真の装丁の文庫だが、今持っているのは違うやつ。昨日、上の装丁のものがどうしても欲しくなって、それで近くの古書店を何件か探したが無かった。それどころかアラン・シリトーの小説自体があまり無くてガッカリした。欺瞞に満ちた大人への一撃のようなシリトーのこの小説は今余り読まれていないのだ。

 何が起きても静かな日本と、シリトーが今読まれないのは無縁じゃないと思った。

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