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フジファブリックの「若者のすべて」

 急に涼しくなった。このままどんどん涼しくなってすっかり秋に・・というのにはさすがにまだ早いと思うが、それでも暑さのピークは去ったのだろう。暑い時は早く涼しくなって欲しいとあんなに思っていたのに、いざそうなると少し寂しい気がするというのは我ながら勝手過ぎるか。先週末、映画を見に行こうと駅に行くと浴衣姿の女の子達が一杯いて、何処かで花火があるのだろうと思ったが映画を見たらその事を忘れてしまい、帰りの京王線の車窓にふいに幾つも花火が広がった時は驚いてしまった。

 ミスチルの桜井和寿がBANK BANDでカヴァーしているLIVE映像を見て、いい曲だなあ、と思ったのがフジファブリックの「若者のすべて」。なんてナイーヴな詩を書く人だろうと思って調べたら作者の志村正彦は2009年に病名不詳で逝去していた。なんて惜しい。 

“ないかな/ないよな/きっとね/いないよな/会ったら言えるかな/瞼閉じて浮かべているよ”。

 暑苦しくて鬱陶しくて、早く終わって欲しいような、でも終わると寂しいような。確かに夏と若さは良く似ている。

 なんて惜しい。

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「福島」と「フクシマ」

Cai_0365_2 先日、母の七回忌の法要もあって久しぶりにいわきに帰省した。遅れちゃいけないと念のため東京を早朝に出発したら驚くほど早く着いてしまい、時間を調整する術も無く方々を走り回った挙句、これを機にと思い広野町まで行ってきた。

 福島第一原発の事故により広野町は一時全町避難とされていたが2012年3月に解除され、避難者の帰還が許されている。しかし、2012年の時点で全人口約5200人の内、戻っているのは約1350人とあるから、まだその時点では全体の1/4しか住人が戻っていない。現在もその数に大きな違いは無いと思う。国道6号線を走ると一見なんでもない風景だが多くの家々は無人で閑散とした印象。その代わりかつての民宿や店舗、その他、様々な建物の表には小さな土木・建築会社の名前の張り紙がしてあった。住民票を持たない作業員の数が約2600人とあるから町民より作業員の方が多い計算になる。

 入ってはいけない場所に足を踏み入れたような気分を和らげてくれるように観光バスと何台もすれ違うがそのフロントガラスには原発の収束作業員達の何かのグルーピングを示すような表示があって行き先はJ・ヴィレッジ。かつてJリーガー達のキャンプ地であった場所が今は原発の収束作業にあたる人々の前線基地になっている。訪ねるも当然、関係者以外立ち入り禁止だった。

 Apriciate Fukusima worker'sのホームページに詳しいが周辺は何件かのコンビ二が開いてる以外、目だった店もなくて、今後40年以上続くと言われている廃炉作業を支えるには不十分な環境であるのが見て取れた。

 http://yoshikawaakihiro.sakura.ne.jp/pg47.html

無論、広野町だけで作業員達を受け入れておける筈もなく、南に位置するいわき市が今どういう役割を担わされている場所か肌で感じられた。

              ☆

 久しぶりに兄・弟家族と会い、法要の後、良い時間をを過ごした後、ぼくが向かったのは小名浜に或る「味世屋」と言うラーメン屋。忘れもしない2011年の正月(!)、美味いという評判を聞いて家族で訪れた時、店は満員で、帰ろうとすると「もし、よければこちらで・・」と、なんと隣接するお宅の居間に通してくれたのだった。ご家族の遺影や何かのトロフィーが飾ってある棚を見ながら、炬燵で食べたラーメンの味は忘れられない。3・11後、YouTubeで津波の被害の状況を写した動画がアップされているのを見るにつけ、家族皆で「あのラーメン屋さん、大丈夫だろうか?」と口々に言い合っていたが、しばらくしてネットで再開した事を知り胸をなでおろしていた。いつか家族でもう一度行きたいと常々言っていた。

 店の場所を忘れてしまい、娘のスマホをGPSにして辿り着いた味世屋は休みだった。見ると店構えは新しくなっていて、やはり、津波で多少なりとも被害があったのだろう。残念だが、まあ良い。また来て必ずあのラーメンを食べよう。人や風景が大きく変わっていく一方で、昔ながらのものがひっそりと息を吹き返していて、そうした場所が少しでもある内は故郷はまだ故郷なのだろう。

 帰りの常磐道、頭の中で「福島」と「フクシマ」がせめぎ合う。

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サトロさんが来た

Cai_0362_2  夏休みを利用して山谷夏祭りに出演するために上京していた宮城県亘理町在住のシンガーソングライター苫米地サトロが先日、我が家に来た。もてなしらしいことは何もできなかったのに、みやげまで貰ってかえって恐縮だった。

 山谷夏祭りがあった先週末というと例の台風の影響で東京も豪雨だったが、「やったの?」と聞くと「やった、やった。」と笑っていた。ギターケースに傘が括りつけてあって、東京に着いてからどんな時間を過ごしていたかを物語っていた。

 短い時間に随分色んな話をしたが、途中、“近所迷惑にならないように”と、少し音を抑え気味にして三曲歌ってくれた。自身のオリジナルで故下村誠に捧げられた「ひとつぶ」、友部正人の「遠来」、そして豊田勇造の「花の都ペシャワール」。誰であれこんな風に直接歌って貰うのは何年ぶりだったろうか。MCの長いミニコンサート風になって家族も皆喜んでいた。

 頂いたみやげは「わたしの木、こころの木」(いせひでこ著 「平凡社」)という絵本。

 http://www.heibonsha.co.jp/book/b181764.html

 3・11の津波で亘理町吉田浜に打ち上げられた流木から始まる12の「木」のお話。この本が出版される直前のいせひでこさんの講演(ゲストにサトロさん)をぼくは3月に日比谷図書館で聞いていて、いせさんとサトロさんの縁の賜物であるこの本をいつか手に取って見たいと思っていた。嬉しい。

 久しぶりに会ったサトロさんは随分と精悍になった印象で、聞くと“夜、穀物類を喰わない”と、自分と同じ事をしていた。もてなすつもりが、夏バテのところに「気」を貰って、結局、家族皆で励まされた感じ。サトロさんの歌を聞いて気持ちが軽くなったと思っていたところ、東京は少し気温が下がってあれからなんだか朝夕急に涼しい。サトロさん、ありがとう。また来て下さい。今度はぼくが亘理に行きたいな。吉田浜の流木が見たい。

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ハタ迷惑のリレー

51zvf6vev4l__sl500_aa300__2 最近、良く子供とレンタルの映画を見る。大体、自分が見たい映画、次に子供に見て貰いたいと思う映画だが、その話を同僚の一人にすると「父と息子のフィルム・クラブ」(デヴィッド・ギルモア著、高見浩訳 新潮社)なる本を教えてくれた。

 不登校になった15才の息子に学校に行かなくても良いから週3本映画を見てその感想を語り合おうと持ちかけた父親。そして、それを3年間実行していくうちに二人がどう変わったかを綴った実話だとか。見た映画は多岐に渡っているらしく、どんなラインナップか興味がそそられる。

 自分の本棚にある本を子供が知らずに読み始め、感想を話してくれたりする事に喜びを感じた経験が、子供を持つ親なら少なからずあると思うが、音楽や映画もそう。好みや感想を聞くうちに子供の意外な一面を見たり、また自分と似ているところを見出して気恥ずかしくなったりする。

 自分が良いと思ったものを子供に伝えたい、教えたい、という欲求が自分の中に意外なほど強くある事に驚く。世の父親ってだいたいこうなのだろうか?だが親のこうした思いは子供にとって大概ハタ迷惑なのも分かっている。自分の子供時代を振り返っても。

 ぼくが子供の頃、亡き父に強力に薦められた本は吉川英治の「宮本武蔵」。福島いわきの常磐炭鉱野球部「オール常磐」の選手だったのでバットマンと剣豪、重なるところがあったのだろうか?なんかちょっと古臭い装丁で辟易しながら読んだのを思い出すが、写真は文庫判。後年NHKでドラマ化されそれが面白かったので、その後読み直したら良かった。お通や又八や吉岡兄弟、宍戸梅軒など、登場人物達の様子を嬉々として話す父を、先日、青梅の「吉川英治記念館」の前を通った時、ふと思い出した。その程度の事なのだが、その程度の事が妙に懐かしかった。そして父は今の世の中からすると随分と若くして死んだ部類なので(58才)もう少し生きていて欲しかった、と思った。

 先日、息子と見たのは「ショーシャンクの空に」(1994年 米 フランク・ダラボン監督)。この夏はビールを飲まないつもりでいたが、例のシーンを見て(見たことのある人は分かっていただけるでしょう?)無性に飲みたくなってしまい禁を破ってしまった。それでここのところ、またちょこちょこと飲み始めていて今も飲んでいる。で、連日暑いのでやはり美味い。

 今日八月八日は父の命日。それで酔いも手伝ってこんな事を書いた。薦められた映画はきっとあったのだろうが思い出せない。 

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