明日は息子の二十歳の誕生日。病院から連れ帰って、座布団を敷布団に、バスタオルを掛け布団にして寝ている「未知の生物」を目の前にして途方にくれていた日々はつい昨日のことのようなのに、今はなんだか狐につままれたような気持ち。
僕が親になって数年して、友部さんのこのアルバムが出た。このアルバムには息子が成長した時に親が感じる気持ちを歌ったと思われる歌が何曲か入っている。「愛はぼくのとっておきの色」、「君が旅から戻ってくると」、「小さな町で」あたりだと思うが、良く聞いていた頃は「へえ、こんな気分になるものか・・」と、ずっつずっと先の事のように思っていたが、時が過ぎるのはあっと言う間だった。自分にとって今がこれらの歌の「そのとき時」なのだ。今が。
で、「君が旅から戻ってくると」的な思い出話を一つ。(どういう歌なのかは何処かで是非、聴いてください)。
それは息子が小学生だった頃、一緒に野球を見に行った東京ドームでの事。一塁側の内野席と外野席の中間辺りの席にいたのだが、6回表頃、トイレに行くと言って席を立った息子がいつまでも戻って来ない。初めは冷たいものを飲みすぎてお腹でも痛くしたのかな、程度に思っていたがなかなか帰ってこず、時の経過とともに迷子になったのが明らかになった。
その時、僕が考えたのは今すぐ探索に席を立つ事。だが、万が一戻ってきた時に僕がいなかったらかえって息子は混乱するのではないだろうか?と思い直した。気は急くがやはり席を立てず、それでしたことはこの大群衆のスタンドの中を肉眼で息子を探し出す事だった。
視力は当時2.0×2.0だだったし、昔、訪ねたネイティブ・アメリカンの居留区でナバホ族の知人が遥か彼方で羊が怪我しているのを肉眼で見つけるのを目の前で見ていた経験があり、不可能ではないような気がした。
東京ドームというと巨人戦だったと思われるが、それは日ハム戦。当時、大ファンだった息子は日ハムのキャップを被っていた。帽子を被っている子供。それで席から近くの一塁側スタンド席からバックネット裏、三塁側スタンドから外野席まで、じっと目を凝らしたが、キャップを被った子供などそれこそ数え切れない程いた。
その頃は新庄がスター選手で、球場は満員で、日ハムファンの子供がたくさんいた時代だった。その中で息子を探すのは至難の業だったが、20分程だろうか、試合の動向も関係なくひたすら客席を見つめ続け・・・諦めかけ、アナウンスでもして貰おうか・・と思ったその時・・・・見つけた。
息子はとても悲しそうな顔をして、どういうわけでそんなところまで行ってしまったのかは知れないが、バックネットに近い一塁側スタンドをウロウロとしていた。大げさではなく、自分をあんなに必死に求めている人間をぼくはあの時初めて見た。それでぼくは息子を凝視し、視線を外さないようにし、視界を遮るような空間を歩くときはどうか見失わないようにと祈り、また見つけ、それで歩いて行き、そっと集中して歩き、客席をぬって歩き・・・息子をついにキャッチしたのだった。
昔も今も、全く褒められた親ではないが、あの時が動物的に(動物的に!)最も自分が親らしかった時だった、と今でも思い出す。悲しげにあわあわしていた息子の姿は映像として脳内焼きついてしまっている程で、今も時々、フラッシュバックする。
「未知なる生き物」を前にして一旦手放したものが、この頃はまた戻って来た感じ。それは手に負えない程の自由のようなもの。何かの振り出しに戻ったような気分。先日、留学先のタイから息子が帰ってきた時、とても奇妙な気持ちになった。迷子になった息子が僕が見つけなくとも自力で帰ってきたように思ったのだ、大人になって。
あれ、あの日ハムのキャップ、何処に置いて来たのだろう、と。
http://youtu.be/QPUIcZzurec
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