映画「初恋がきた道」~鎹(かすがい)接ぎ
もう何年も前のことだけど、「世界一受けたい授業」とかいう番組でオノ・ヨーコが「平和を学ぶ授業」と称して割れた茶碗やカップの破片をつなぎあわせるというワークショップをやっているのを見た。
見ていてぼくは笑ってしまったっけ。何故なら発掘を生業とするぼくたちは日常的にそのような事をいつもしているから。
だが、だとすると、僕らは日々、平和を学んでいるということになるのだろうか?
引き続き江戸遺跡を掘っているが、大量の陶磁器の破片が出土する。その破片を洗って、接合して、実測図を作って・・・・という作業が後に続くのだが、その破片自体を良く見ると、すでに接いだ跡があるものがたまにある。
それは江戸時代の人々が割れた陶磁器を接いで再利用していた跡だ。当時はそれを専門に行う商売まであって、そうする事は江戸の庶民には普通の事だった。平和、というべきかどうかは分からないが、確かに割れた茶碗を直して使う社会は何もかもを(時には人や自然までも)、使い捨てにする社会に比べ質素でいごこちのいい社会のような気がする。
この割れた陶磁器を接いで使うシーンを象徴的に使った映画として思い出すのはチャン・イーモウ監督の「初恋のきた道」(中国 1999)。
ストーリーは説明しないでおくが、中に割れた碗を修理する場面がある。これは鎹(かすがい)接ぎという手法。↓
主演は本作がデヴューのチャン・ツィー。当時の彼女の可愛さだけを手元に置きたくてDVDを買って持っているという人を知っているが、分かる。
西洋の陶磁器の修理の場合、それは復元という作業であり傷やひびを隠すようになされる場合が多いのに比べ、日本の修復は割れた跡にも美を認め、そのままに修理するというのが通例だ。茶器その他の名品には接いだ跡があからさまな物も多い。かの中国にも。
一度、壊れ、その接ぎ直した跡までもを美しいと感じる感性はもう遥か昔の事なのだろうか?人も国も。
Peace (Piece).
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