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健さん追悼

223000536_2 健さんの訃報を聞いて思ったのは自分が一体、何本の高倉健主演の映画を見ただろうか、という事。

「網走番外地」、「君よ憤怒の河を渡れ」、「幸せの黄色いハンカチ」、「遥かなる山の呼び声」、「野性の証明」、「ブラック・レイン」、「居酒屋兆治」、「鉄道員(ぽっぽや)」、「ホタル」、「単騎、千里を走る」、そしてさっきTVで「南極物語」を見て、合計11本ということになった。数はあんまり見ていない。東映の任侠ものに関しては「網走番外地」以外、全く見ていない。

 全部で205本の映画に出たということだがら見たのはほんの一部だが、どの健さんが一番良いか、と聞かれても選べない。イギリスのミステリー作家ディック・フランシスの小説の主人公が皆別人でありながら結局一人の男(と言うか男の一つのタイプ)を描いてるのと同じように、健さんも一人の男をずうと演じていたようにぼくには見えた。それがどんな男だったかは・・別に説明しなくても誰もが知っている。
 
 高倉健、という名前はそれだけで男の中の男、見たいな人を指す形容詞になってしまっているが、実際、健さんが演じたような実直で不器用な人が身近にいたとしたら、その人は今、いい男という評価を受けるだろうか?とふと思ってしまった。その時は勿論、その人本人よりも周りの読解力が問われるが、そうした人を評価しない世間とやらに自分も時々加担している時が確かにあって、健さんの映画を見るとそんな自分が正されるような気になる。そしてその自罰感には微かな懐かしさが混ざっている。
 
 どれが一番と選べない代わりに印象に残っているシーンを一つ挙げると、「鉄道員(ぽっぽや)」で広末涼子演じる、幼い頃に死なせてしまった娘の成長した幻?と一緒に食事をするシーン。「うめえなぁ。。。」と言って飯を喰う健さんの姿が何故か忘れられない。
 
 「男」と言うことなら健さんは150%くらい憧れの対象でしかなく、近づこうと思ったことすらないけれど、追悼番組でプライヴェートでのエピソード等を様々知って、「人」ということであれば死してなお学ぶべきところの多い人だと思った。実際、健さんのような「人」は今は女性に多いような気がするし。

 美 しい「人」が亡くなった。ご冥福をお祈りします。

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長井市~山の港町で甦る

 
 
  やがて長井の町に入った。
 この集落は中世の古くから著らわれていて、荘園時代、この付近一帯の田園の呼称は、置賜ともよばれず、むろん米沢ともよばれず、長井荘(ながいのしょう)という呼び方で総称されていた。
 上杉時代、その藩領が内陸の盆地にあるため、海運の恩恵にはまったく浴せず、この点、経済的には海に面した藩よりも不利であった。米その他の物産を上方や江戸に積み出すにしてもはるか酒田湾(最上川の河口)まで運ばねばならない。それも江戸初期までは米沢から酒田まで陸路はこんだ。最上川に運送船をうかべてこの流れを交通に使おうにも、途中、岩礁などが多く、とても通れなかった。その隘路が江戸期中期ごろの工事で打通され、この長井に藩営の川湊(かわみなと)が置かれて物が船で運ばれるようになった。
長井の町の北端までゆくと、おおきな橋梁がかかっている。下は、地が大きくくりぬかれて黒々とした川が流れていた。最上川であった。

                 (「街道をゆく 10 」司馬遼太郎著より )

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  先週、山形県長井市に行ったが、このブログを見ているというある人に「どんなところですか?」と聞かれて、恥ずかしながらぼくはそれを説明する言葉がなかった。上に紹介した司馬遼太郎の文章を自分も勉強するつもりでアップするしかないか・・と思っていたら、YouTubeで良い動画を見つけた。JR東日本のCM。主演は吉永小百合。“山の港町”か。なるほど。ぼくの世代でサユリストっているのかな。宣言してしまおうかな。
 
 長井からはラフランス、柿、りんご、大根、カブ等をいっぱい貰ってきて、また取ってきたきのこもいっぱいあって、その上、「はっぱ塾」からは手作り味噌まで頂いて、今、それを堪能しているところ。手作り味噌ときのこで味噌汁を作ったらとても美味しかった。
 
 今年は秋が長くて喜んでいたら、東京は一昨日あたりから急に寒くなった。街路樹の葉も段々色づいてきて、こっちは紅葉の見時はこれから。東北から帰ってきて今年は紅葉を二度楽しめる。得した気分。
 
 新聞の記事で酒「甦る」の仕込が昨日15日に無事終わったことを知った。

 

 

 皆が年に一度ボジョレヌーボの解禁を楽しむように、ここ数年、東京にいて、ぼくは「甦る」の解禁を待つようになった。予定は3月とか。山の港町でまた甦れ。来年こそは仕込みに行きたい。
 
 PS  写真は弟のブログから拝借した最上川の写真。
 

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Basement tapes !

 Basement tapes(ベースメントテープス)、という単語をここの所、友人達のSNSで良く目にするなと思い、何だろうと調べたらニュースソースは二つあった。一つはエルビス・コステロとT・ボーン・バーネットらによるプロジェク「New Basement tapes」の事。もう一つはボブ・ディランのブートレグ・シリーズ第11集「Basement tapes complete」の事。知らなかった。 二つともこの11月に発売予定。

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 「Basement tapes(ベースメントテープス)」とは66年モーターサイクル事故をきっかけにボブ・ディランがニューヨークの片田舎ウッドストックに隠遁生活をしている間、後のザ・バンドのメンバー達と“ビッグピンク”と呼ばれる建物の地下室で録音したセッション音源の事。
 当時、海賊版として高値で出回ったが、75年には正式に発表されている。サイケデリックロック全盛の68年、ウッドストックの田舎で発表する意図もなく、気心の知れた仲間たちと創造されたその音楽は古いヒルビリーやフォークソング、カントリー、ブルース、ゴスペルなどの要素を意識的に取り込んだもので、後の音楽シーンに大きな影響を与える事になった。

 コステロらの「New Basement tapes」は、その時ディランが書いた未発表の詩に曲をつけて音楽として今に甦らそうとしたもの。26歳(!)のディランの詩。今YouTubeで中の数曲のPVがアップされている。タイムマシンに乗って46年前の地下室から若いディランを引きずり出してきたようで面白い企画だと思う。

 ブートレグ・シリーズ第11集「Basement tapes complete」は文字通り、当時のセッション音源を未発表のものを含め最新のリマスター技術で修正し、完全収録したもの。ディランのブートレグ・シリーズってもう11集も出ているのか。彼の場合、正式発表したものよりボツにしたものの方が良かったりするわけの分からん状態が多々あるので、ファンはいつまでも金を払わせられる。嬉しいやら悲しい?やらだが、これもそうなることは必至だ。デラックス版は値段は20000円台で目玉が飛び出そうになるが、ちゃんと3000円台のものもある。ホっ。
 
                ☆
 
 先週、山形の長井市に出かけグリーンツーリズムというのを体験したが、ぼくが考えていたのはこの頃のディランとザ・バンドの事。東京といってもぼくが住んでいるのは郊外で十分田舎だと思っていたが、長井まで行くとさすがに景色、空気の匂いなどがはっきりと違う。神経が休まる感じ。ここで音楽を創ったらBasement tapesみたいになるのかな、とミュージシャンでもないのに勝手に妄想していたところだった。グリーンツーリズムとディラン。ディランのこの時の動きが後の世に与えた影響は音楽の世界に留まらなかったのではないかと考える。
 
 ニューヨークからウッドストックまで車で約1時間半らしいが、東京から長井市までは約5時間かかる。今回は息子の好きなThe Whoで出かけたが、今度行くときは芳醇なこの二つのBasement tapesを聞いて行きたい。そう言えば弟たちの畑の納屋で作業したが、佐野元春がウッドストックでBasement tapesを意識して作ったアルバムの題名は「BARN」。意味は「納屋」だ。
 
 長井では今週末はあの鈴木酒造の酒「甦る」の仕込みがあるとのこと。「酒蔵」って英語で何と言うのだろう?

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グリーンツーリズム~山形県長井市で畑仕事ときのこ狩り

139_2  二ヶ月間続いた現場が先週の金曜日に終わり、翌土曜日早朝、息子と二人、東北道をひた走り山形県長井市に行ってきた。週末、東京は雨予報が出ていたが東北は快晴。高速を北上するに従って山の色が変わるのが分かった。福島は紅葉が今最盛期で、山形ではすでに終わりかけているといった様子。紅葉の美しさに目を奪われながらハンドルを握る息子に注意を促しながらのドライブは素晴らしかった。

 
 今回行った目的は長井市グリーンツーリズムネットワーク主催のイヴェント「すんべ!長井。」に参加するため。グリーンツーリズムとは何か?以下、そのパンフレットより抜粋。

 

 
 「グリーンツーリズム」とは、ヨーロッパ諸国で普及した農山村地域滞在型の余暇活動です。
自然豊かな農山村や歴史と伝統ある地域にゆっくりと滞在し、農作業や地域の自然、生活、文化等を体験し、地域の人々との交流を楽しみます。
 日本では、市民農園、田植え、稲刈り等の農作業への参加等の農業・農村体験から、学校教育を通じた体験学習、産直等農産物の販売やふるさとまつり等のイベントまで、広く都市農村交流一般を指すことは多くなっています。 
と、ある

今回の滞在中、この「グリーンツーリズム」を説明してくれた人曰く「わかり易く言うと、昔、テレビ東京で「田舎に泊まろう!」って番組あったでしょ。つまり、あれ。」と言う事だった。なるほど、あれか。分かりやすい。旅館での「宿泊」はなく民家に「民泊」し、様々な体験をしようというもの。

 
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 ぼくと息子が体験したのはブロッコリーの収穫作業と交流会&きのこ狩り。着いた初日は福島からの避難者からなる福幸ファームの畑でブロッコリーの収穫と袋詰め。原発事故直後、長井に避難してきていて今は伊達市に帰還を果たしたというご家族と一緒に作業した。今年は夜盗虫が大発生で無農薬で作る畑は被害を被ったとの話だったが納屋に戻ってからのぼくの役目はその「夜盗」を探すこと。出荷前のブロッコリーの茎の部分に懐中電灯を当てて虫を見つけたら皆殺し。「お縄にかかる必要はねぇ、死ね。」って、気分は鬼平。PM2:00~4:00までの二時間。石油ストーブの上で焼いたあんのう芋を食べながらの作業。楽しかった。

 
 その後、夜は蔵高宿での交流会&前夜祭。蕎麦打ち名人のつくるお蕎麦と地酒、伊左沢の食材を使ったイタリアンとワインの夕べ。地元での取れたての野菜は一々味が濃くて、それを使った料理はどれも美味しく、食事とは自然からエネルギーを頂く行為だったんっだと改めて実感した次第。食べただけでぐんっとパワーアップした感じ。酒はトスカーナの赤ワインとシチリアの白ワインで美味。少々、飲みすぎた。
 
 二日目の日曜日は「はっぱ塾」主宰のきのこ狩り。
 
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 山形市、米沢市等から集まった4~5家族の方たちとご一緒。簡単なものを予想していたら、砂防ダムを作るための、普段は工事車両しか入れないという山道をどんどん上っていって本格的。分け入った山の木々にはなめこ(写真)、むきたけ等。この辺りは熊が出るところで、「みんなでワイワイしていれば熊は近寄って来ないから・・」とのガイドを聞いて、そのせいか子供たちが真剣にワイワイしていた。そして、意外ときつい山の斜面をハアハアしていた大人たちも、きのこを発見すると一瞬で野生化。木に登り、枝をかきわけして熊も逃げる勢い。ガイドして下さったはっぱ塾の八木さんの話では、きのこ取りの名人は食べられるものとそうでないものを見分けるために“食べる”のだとか。食べて、気持ち悪くなったら手を突っ込んで吐き出せ、という事らしい。うん、分かりやすい。

 で、きのこ狩りが終わって下山し、ドライバー達だけ車を取りにまた例の道路を1台の車に便乗し登っていくとき、山の斜面に黒い生き物が動くのを一瞬、目撃。何だったのだろう?

 取ったきのこをもって公民館に行ってからは餅つき。あんこ餅、納豆餅、それときのこの入ったお雑煮を食べて、出会った人たちと自己紹介がてら楽しくお話していたら、あっという間に時間が経ってしまった。
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 東京に帰ろうと方々に挨拶すると、「来週は鈴木酒造で「甦る」の仕込みがある・・それでその次は・・・」と様々な「体験」を持ちかけられた。仕事を持っているのでそうしょっちゅう行き来できないが、また充電しに来ようと思った。良い休日だった。↑の太字の「・・・ゆっくり滞在し・・・」という部分がまた出来なかった。ま、宿題だな。
             

   

      都市と自然を貫き 闇を泳ぎきった光が
      ハイウェイの彼方にこぼれる最初の一滴を
      君は見たことがあるか
 
      濃い緑の山の木々が
      レモンイエローに
      そして ワインレッドに変わる瞬間を
      目撃した者は未だにいない
      神がアトリエで仕事を終え
      キャンバスに署名する段になって
      初めて
      人は その美しさに目を奪われ
      野性の呼び声に
      耳を澄ますのさ
 
                      「True Colors」

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WhiskyとWhiskey

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ウィスキーに二つのスペルがあるのを知ったのは詩人田村隆一のエッセイによってである。「自伝からはじまる70章ー大切なことはすべて酒場から学んだ」(思潮社)の第22章にある。

それによるとウィスキーのスペルはWhiskyとWhiskeyとがあって、つまりkとyの間にeが入るものとそうでないものとの2種。ライ麦を主体にしたライウィスキー、トウモロコシを主体としたコーンウィスキー、前者の中間の原料を使い北米ケンタッキー州で作られるケンタッキーウィスキーはWhiskey。
それにまた産地と蒸留方によってもスペルが変わり、スコットランド産のスコッチ・ウイスキー、カナダのカナディアン・ウィスキー、日本のウィスキーはスコッチ方式と呼ばれeが抜けWhisky、アイルランド北部のアイリッシュ・ウィスキーとアメリカ産のアメリカン・ウィスキーはアイリッシュ方式と呼ばれて、eが入りWhiskeyとなる・・・とある。
 基本、酒はなんでも好きだが、通風になってからビールをあまり飲まなくなった。知人から通風には醸造酒はダメで蒸留酒なら良いと聞いて、以来、家ではほぼウィスキーを飲んでいる。

 いつも飲んでいるのは例の髭のおじさんのラベルの「ブラック・ニッカ・Clear」というやつで、今買うと現在放送中の朝ドラのモデルになった二人のいわれと商品紹介のような解説がついて値段は700円前後。安いが結構美味い。ひげのラベルを良く読むと“Smooth peatless whisky”とあってeの無い方。つまりマッサンが学んだのはスコッチ方式ということだ。
 

 

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 で、ワイン、焼酎、日本酒それぞれに凝った時と同じように、今、酒店に行ってウィスキーのコーナーを見るのを楽しみにしている。先日、いつものようにブラブラしていて、ぼくの目を釘付けにしたのはブラントンというウィスキー(上 写真)。↓はブラントンのホームページ。

 

 
 箱に騎手を乗せた馬が颯爽と走っている絵があって、ボトルキャップも馬がかたどってある。アメリカ・ケンタッキー州で作られたバーボンウィスキーでこれは“Whiskey”だ。ケンタッキーダービーが行われる地とあってこうした箱、キャップなのだろうが、馬好き、競馬好きのぼくのツボをツンツン刺激して大なる一品。すぐにでも買って御賞味したいところだったが、如何せん、ちと高い。これをブラック・ニッカ・Clearと同じ勢いで飲んでいたら妻に出て行かれるのは必至だろうと思い、それで買うのを踏みとどまる理由としてぼくが考えたのはこれを競馬に勝った時の自分の褒美にしようというもの。なんだかボトルがトロフィのようでもある。WhiskyからWhiskeyへ。その変換を決めるサラブレッドは何れや。
 こうして望んだのが昨日の天皇賞。だが、ぼくが今飲んでいるのは“Whisky”なので結果は言わずもがな。金曜日の夜、息子が何故か家にある「ブルース・ブラザース」をビデオ(!)で見ていて、「お父さん、あの映画の最後に出てくる人、スピルバーグって知ってた?」と聞いてきた。あれがサインだった。勝ったのはスピルバーグ・・・って、まんまじゃん。

 昨日の東京競馬場。目の前をブラントンの箱の絵は走りながら「E・T」みたいに空へ飛んでいってしまった。eが飛んでいってしまった。ぼくが飲んでいるのは“Whisky”。悔しさで濁った頭のぼくに例の髭のおじさんが慰めて語るに曰く、

 Clear. smooth peatless whisky with a delightful aroma and light finish.

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