長井市~山の港町で甦る
やがて長井の町に入った。
この集落は中世の古くから著らわれていて、荘園時代、この付近一帯の田園の呼称は、置賜ともよばれず、むろん米沢ともよばれず、長井荘(ながいのしょう)という呼び方で総称されていた。
この集落は中世の古くから著らわれていて、荘園時代、この付近一帯の田園の呼称は、置賜ともよばれず、むろん米沢ともよばれず、長井荘(ながいのしょう)という呼び方で総称されていた。
上杉時代、その藩領が内陸の盆地にあるため、海運の恩恵にはまったく浴せず、この点、経済的には海に面した藩よりも不利であった。米その他の物産を上方や江戸に積み出すにしてもはるか酒田湾(最上川の河口)まで運ばねばならない。それも江戸初期までは米沢から酒田まで陸路はこんだ。最上川に運送船をうかべてこの流れを交通に使おうにも、途中、岩礁などが多く、とても通れなかった。その隘路が江戸期中期ごろの工事で打通され、この長井に藩営の川湊(かわみなと)が置かれて物が船で運ばれるようになった。
長井の町の北端までゆくと、おおきな橋梁がかかっている。下は、地が大きくくりぬかれて黒々とした川が流れていた。最上川であった。
長井の町の北端までゆくと、おおきな橋梁がかかっている。下は、地が大きくくりぬかれて黒々とした川が流れていた。最上川であった。
(「街道をゆく 10 」司馬遼太郎著より )
先週、山形県長井市に行ったが、このブログを見ているというある人に「どんなところですか?」と聞かれて、恥ずかしながらぼくはそれを説明する言葉がなかった。上に紹介した司馬遼太郎の文章を自分も勉強するつもりでアップするしかないか・・と思っていたら、YouTubeで良い動画を見つけた。JR東日本のCM。主演は吉永小百合。“山の港町”か。なるほど。ぼくの世代でサユリストっているのかな。宣言してしまおうかな。
長井からはラフランス、柿、りんご、大根、カブ等をいっぱい貰ってきて、また取ってきたきのこもいっぱいあって、その上、「はっぱ塾」からは手作り味噌まで頂いて、今、それを堪能しているところ。手作り味噌ときのこで味噌汁を作ったらとても美味しかった。
今年は秋が長くて喜んでいたら、東京は一昨日あたりから急に寒くなった。街路樹の葉も段々色づいてきて、こっちは紅葉の見時はこれから。東北から帰ってきて今年は紅葉を二度楽しめる。得した気分。
新聞の記事で酒「甦る」の仕込が昨日15日に無事終わったことを知った。
皆が年に一度ボジョレヌーボの解禁を楽しむように、ここ数年、東京にいて、ぼくは「甦る」の解禁を待つようになった。予定は3月とか。山の港町でまた甦れ。来年こそは仕込みに行きたい。
PS 写真は弟のブログから拝借した最上川の写真。
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