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「コルシア書店の仲間たち」を読んで

Sugaatuko_2 過去を回想して文章を書くとき大事なのは、その間に横たわる歳月から対象となる事柄や人々をどれだけ客観視できるか、または逆にそれらに対する熱をどれだけ持続できるのかという、一見、相反した思いの両立ではないのかと、先頃、須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」を読んでそんな事を考えた。

 

 須賀敦子は1950年代にイタリアに留学し、結婚を機に長くかの国に暮らした人である。日伊間相互の文学作品をそれぞれの言語で素晴らしい翻訳をし、その後、帰国して62歳の時、デヴュー作の「ミラノ、霧の風景」を書いた。そして、ほぼこの一作で日本の文壇の中に確固たる地位を築いた。

 

 僕が初めて彼女の名を目にしたのは池澤夏樹個人編集世界文学全集に納められたナタリア・ギンズブルグの小説の訳者としてだ。「モンテ・フィルモの丘の家」。今、気づいたがこの小説を起点にすると須賀の「コルシア~」はその変奏のようにも思える。誰もが経験するであろう、ある時代にある理想を持って一つの場所に集まった人々の出会いと別れ。愛すべき場の消滅。一方はそれを小説として作品化し、一方は自らの経験を元に極上のエッセイにしあげた。そして、須賀が自らの過去を題材に作品を残そうとした時に小説ではなくエッセイという形にこだわりがあったことについては、文藝別冊の彼女の追悼特集号にこんな一文がある。

 

 「そしてそのディテールこそが美しさの本質で、かつ、人間の経験のもっとも基本的なものであることを証明している。<中略>そして、この生活のおけるつまらないほんの小さな経験こそが、人生を紡ぎだす一本一本の糸だというのに、小説というものの中では実におざなりにされてしまいがちなものでもある。」(文藝別冊 『追悼特集号 須賀敦子 霧のむこうに』~P125「声を見つけるのよ」 青柳祐美子より)

 

 また彼女の訳業には詩もあって、日本ではあまり知られていないウンベルト・サバやジョゼッペ・ウンガレッディ等の詩人の作品が彼女の日本語で読むことができ、そうした訳業も彼女がエッセイを手掛ける際には血肉化されたものと想像する。小学校五、六年のころから詩に興味を示したという彼女は、だが翻訳者となり、その後、人生の最後の十年に集中してエッセイを書いた。僕には「つまらない小さな経験こそが人生を紡ぐ一本の糸」と言う彼女のエッセイは長い詩のように思える。

 

 フォークシンガー友部正人の歌の歌詞に「今まで出会った人一人一人がぼくにとっての歌かもしれない」という一行がある。「コルシア書店の仲間たち」も当時の仲間一人一人について章立がなされ、それはあたかもその一人一人が詩の言葉のようだ。年月の錬磨を受け冷静に対象化され、それでいて持続された熱(共感、愛)によって本の中に適切に配置され語られる仲間たち。

 

 過激化した学生運動の中で、それでも若者たちの側に立ち続けたコルシア書店は当局の通告によりついに終わりを告げる。あとがきの最後の言葉は切ないが、自らの青春についてこうした回想を持てる筆者を誰もが羨ましいと思っていて、彼女の書き物が今静かに読者を増やし続けている理由の一つを僕はそんな風に考える。

 

 ‘それぞれの心にある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、一途に前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極においては生きねばならない孤独と隣り合わせで、人それぞれ自分の孤独を確立しないかぎり、人生ははじまらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。
 若い日に思い描いたコルシア・ディ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。

 

 (『須賀敦子全集第1巻』河出文庫 P374より)

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Paul Simon & Art Garfunkel - Comfort and Joy

 メリークリスマス。

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会長のブログと「マスター・キートン Remaster」


 会長(というだけで仲間内では誰だか分かる人なんです、ハイ。)のブログを見つけた。

 「ぶらっと、旅る。」日曜日、金子光晴から始まるネットサーフィンをしていたら見つけて、書いてる人が知り合いなので驚いた。色々あったからどうしているだろうかと思っていたが、彼はまた旅に出ていた。素直に羨ましい。旅とはかように鮮やかであるべきだ。

 http://thenaokys.blog.jp/archives/18624189.html

 そのブログの12月15日のエントリーでラオスのジャール平原にある石壺が紹介されていた。ユーモラスなレポートで笑った笑った。ぼくはこの石壺のことを全く知らなくて興味深かった。

 Isitubo
 日曜日に見つけたものはもう一つあってそれは漫画「マスター・キートン Remaster」が発売されていること。

 https://www.facebook.com/keaton.remaster

 考古学者で保険会社のオプ(探偵)で元イギリス英国特殊空挺部隊(SAS)の教官だった主人公=平賀・キートン・太一の活躍を描いた浦沢直樹の傑作サスペンス。20年前、この漫画を読んでぼくの仕事場にバイトに来る人が結構多かった。漫画のおかげで考古学という言葉が今よりキラキラしていた頃だ。この漫画をきっかけにして文化財行政の仕事に就いたという人は結構多いと思う。

 この日曜日というと例の選挙があって騒がしかったが、朝に会長のブログを見て気分的にはぐっと風通しが良かった。作用・反作用、どちらに振れるにせよあまりに近視眼的になると世界そのものの豊かさを見失う。そうなりかけるところを救われた。ありがとう。

 今日の打合せだと、ぼくはこの年末から年始にかけて、20年前、発掘した場所の続きのような所をまた掘ることになりそう。今日、当時の資料写真を見て、また初心に帰る思いをしていたところ。

 この日曜日にみつけたもの二つ。おかげで遺跡の発掘というものの本来の持っているエロスをまた取り戻したような気持ちだ。

 会長、それにしてもあのバンビエンの夕焼け・・・羨ましいなぁ。。。。ホント。

 PS 今(12/17現在)、見たら「ぶらっと、旅る。」は現在 放浪記ブログランキングで第2位

 面白かったら、ぽっちっとしてやって下さい。

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「Water is wide」と「海への風」

 

 一つ前の朝ドラ「花子とアン」で、主人公が子供時代、「Water is wide」を歌って窮地を逃れるシーンがあった。

「Water is wide」は1600年代から歌い継がれていると言われるスコットランド民謡で、ボブ・ディラン、ニール・ヤング他、洋の東西を問わず、現在も様々なアーティストによってカヴァーされている名曲。最近ではシャンソン歌手のクミコが歌っているが、一番有名なのはやはり1979年に発表されたカーラ・ボノフのバージョンだろう。

 Kara

          http://youtu.be/7EfHZtCKJGY

 僕は初めこの歌を民謡だとは知らず、カーラ・ボノフのオリジナルだと思っていた。聞かせてくれたのは音楽ライターでミュージシャンだった故下村誠。彼は自分のオリジナル・ソング「海への風」を説明するのに、わざわざカーラ・ボノフのバージョンをカセットに録音して我が家にやってきた。「これ今度レコーディングするんだけど、こういうイメージでさ・・」みたいな話。それから例によって強引にシングルCDのジャケットに使うアートワークの素材になる写真をお前が撮れ、と言われたのだった。1990年頃のこと。

 下村さんは「川」についての歌が多い人だった。

 僕は今、川のそばに住んでいて、散歩もジョギングも通勤も、川を見ながらしている。多摩川の支流の浅川。考えると実家の家も川の前にあったし(藤原川)、原発事故のため弟家族が移り住んだ山形県長井市に先月行ったが、そこにも立派な水量をたたえた最上川がある。

 2006年に下村さんが亡くなった時、僕は彼の歌がメジャーにならないまでも、もう少し多くの人に歌い継がれていくのだろうと思っていた。でも、ライブハウスでも、彼が熱心にかかわっていた数々の運動の中でも、彼の歌がうたわれているのをあまり聞いたことがない。

 歌は何年、歌い継がれれば民謡になるのだろうか?「Water is wide」は約500年。とらわれないことにとらわれて、さらにとらわれて。時々、ぼくが口ずさむのはこのフレーズだ。いつか詠み人知らずのようになっても歌い継がれていれば、それがソングライターの勝利だろう。

 500年後、見知らぬ国のテレビドラマの中でこの「海への風」を歌うことで一人の少女が窮地を脱するシーンを夢想した。

 明日、12月6日は下村さんの8回目の命日。

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秋が終わる~光が丘公園でインプロ

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 今年は秋が長かった。暦の上では小雪も過ぎてとっくに冬なのに、まだ少し暖かさが残っているせいか秋の気分が抜けきらない。

 先月末、山形の長井に行ったら紅葉が終わりかけていて、途中、通過した福島が盛りであった。その後、東京に戻ってきて徐々に色ずく木の葉に目を凝らすようにして過ごしたが、勿論、東京の紅葉も素晴らしかった。だから今年は秋を二度経験したような気持ち。

  昨日、練馬区の光が丘公園に行った。高校の頃、バンドの真似事をしていた時、僕のバンドでギターを弾いていてくれた友人がいつの間にかサックス・プレイヤーになっていて、大学の頃、やはりバンドの真似事をしていた時に僕のバンドでドラムを叩いてくれた友人がパンディエロなる打楽器を習得し、20年以上の歳月を経て、いつの間にか二人はセッションをするようになっていた。
 ある日、携帯が鳴って、このセッションに混ざってポエム・リーディングしてくれないか、と言うので、いいよ、と答えておいたら、昨日、それが実現した。

 場所は練馬区の光が丘公園。紅葉は終わりかけて、ほとんどの木は葉をつけていなかったけど、それでもまだ十分にきれいだった。東京は東西に長いため、その間の移動は限りなく繰り返したが、南北の移動はあまり機会を得ず、30年東京に住んでいてこの公園に来たのは昨日が初めて。井之頭公園や石神井公園よりもスペースが十分で、こうしたパフォーマンスをやるにはぴったりの場所だと思った。僕ら以外にも楽器の練習している人がそこかしこにいて、聞くと練馬区はミュージシャンの居住率が高いのだとか。

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 読んだ詩は「朝食」「Le Mer」「大雨」「おはよう」「Bell」「さよなら」「Who am I」「宇宙の輪郭」の8編。

 ポエム・リーディングというと大概、孤独感に付きまとわれるが、今日のは楽しかった。ジャック・ケルアックやギンズバーグなど、アメリカ50年代の、ビート・ジェネレーションの詩人達がジャズ・ミュージシャン達とコラボレートしていた理由が良く分かった。言葉を選ぶという事とフレーズを生み出すというのは何処かで共通しているのだろうか。旧友二人の他、昨日初めてお会いしたもう一人も含めてソプラノ・サックス×2、バンディエロ×1、それと僕だったが、一緒に声を出していてなんだか僕自身が楽器になったような気分だった。他の三人の吹くフレーズや叩くリズムを詩のように聞きながら、読んだ。気持ちよかった。

 初め選んだ場所は「鳥が来なくなるから・・・」と野鳥の会の人から苦情がきて追っ払われ、また、「権力の着る服は黒・・・」なんて読んでいたら自転車のおまわりさんが二人、現れたりして焦ったが、そういうのも面白かった。演奏は、初め、どんなことになるのだろう?と思ったが、段々と形になってきて、最後の頃はちょっとキマッテた。段々皆乗ってきて、写真家でもあるパンディロの友人の2月の写真展の会場でやろうといことが急遽決まってしまった。そして、いつかこのメンバーで山形にツアーに行こうという事も。

 朗読を含めたインプロビゼーションなんてアングラ?なことをしているのは僕たちだけで、公園の楽器を抱えた多くの人は大体がちゃんとした曲を練習していて、ほとんどがクリスマス・ソング。予報では明日から寒くなるようで、今日、僕の中でようやく秋が終わった。

 今日から12月。そして明日からが冬。

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