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村上龍の「半島を出よ」を読んだ。

51ble3jhgql_2村上龍著「半島を出よ」を読んだ。http://charm.at.webry.info/200905/article_10.html

 これほど巨大な破壊の場面をこんなに緻密な描写で読んだのは初めて。戦争でも自然災害でも原発事故でも、無関心な人に向かって「もっと想像力を働かせろ!」のように言う人が時々いるが、それらは人間の想像力をはるかに越えた事象なので、想像するなど不可能なのだ。

 唯一分からせるにはリアリズムに徹した緻密な描写による大きな物語が必要で、この小説はその一つだと思った。上下巻の大著。

 氏の代表作の一つ「コインロッカーベイビーズ」を含む自選小説集第3集の副題は確か"破壊による突破"だったが、読み終わって、この「半島に出よ」に描かれる破壊が何を突破したのかをずっと考えている。そして本当の危機に立ち向かえる人間とはどういう種類の人達なのかということも。

 村上龍のシステムに対する憎悪の深さに脱帽。発表されたのは2005年で、読書中、もっと早くに読んでおけばという気もしたが、読み終わって今で良かったと思い直した。何もかもが終わった後に静謐な二つの章が用意されるが、私たちは今その中を生きているのだから。17才の時に読んだ「コインロッカーベイビーズ」のキクとハシとアネモネをずっと忘れなかったように、自分はこれからこの「半島に出よ」のキム・ヒャンモクという女性を忘れないと思う。

 この「半島を出よ」は某大型古書店で上下巻合わせて200円で買った。単行本。単行本は場所を取るからという理由なのか文庫本より安い。今日、新品で持っていたくて文庫本版を手に取ったら、あとがき解説が島田雅彦で、文中、故網野善彦氏が紹介していたこの地図が取り上げられていた。この列島がまだ「日本」ではなかった頃、何が起きていたのか。そして本当はこれからどうするべきなのか。

 想像力が刺激される。

 

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八王子城に行ってきた。

 八王子城址に行ってきた。

 http://hshiro.fuma-kotaro.com/index.html

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 今までも何度か来たが、これまでは簡単な整備がされているだけで東京一有名な心霊スポットの噂に違わず天気によってはちょっと気味が悪い時さえあった(ごめんなさい)。今日、久しぶりに行くと去年出来たという立派なガイダンスホール!があって、映像やジオラマ、写真等などで城の構造やその歴史などが分かるようになっていて隔世の感があった。
 
 「北条五代を大河ドラマに!」なるのぼりがところどころにあって、天気も良かったせいか見学の団体が興味深そうにガイドの話を聞いていた。

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 平成4・5年に御主殿跡が発掘調査され、検出された礎石をこれは復元したもの。

八王子城は秀吉の大群に攻められ滅ぼされた戦国期を代表する山城。日本百名城にも選ばれている。今、各地で文化財に油がかけられるようなことがあったり、また外国でもテロ活動の一環で史跡が破壊されたりしている。こういうところに来ると自分の仕事の意義を考えさせられる。

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 所々に"マムシに注意"という看板があった。出るんだろうな。

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 曳橋を渡ると御主殿に着くが、橋は現在工事中。別ルートで行く。入り口の門。

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 亡き三津五郎曰く、城好きはこういうのを見ると"萌える"らしい。いわゆる土塁萌え。

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 御主殿の滝。落城時、武将や婦女子らが自刃して次々に身を投じたのだとか。

上に貼ったリンクの中にYouTube動画がある。曲は演歌調。八王子だからなのかサブちゃん風ですね。

 

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ほぼ初めてのKポップ

 語学を学ぼうとする時、必ずあるのが“歌で学ぼう”というやつ。ただし英語の時の事を考えればただ聞いていればいいというわけじゃないことは身を持って実証済みだ。なんせ、ビートルズだストーンズだとかれこれ30年以上聞き続けても、今もって英語を自在にしゃべれるわけでも聞けるわけでもない。

 ハングルを勉強し始めてまだ日が浅いが買ってきたNHKのテキストには案の定、今月の歌、のようなコーナーがあって、言い回しやフレーズの使い方を歌詞から学ぼうというという目的で 歌が紹介されている。今月の歌はgod(ジー・オー・ディー)の미운 오리 새끼(ミウノリセッキ・みにくいアヒルの子)。歌っている人の顔もそのバックグラウンドも何も知らないと単純にメロディーや声の良さ、歌の上手さだけで聞くことになるのでかえって真摯に聞ける。で、ここのところこの歌がずっと頭の中で鳴っている。

 

 

 そしてもう一つは先月ドハマりしたドラマ「奇皇后」の挿入歌の一つ지아 (ジア) の  The Day 기황후。「奇皇后」は他にも幾つか挿入歌がありどれも良い曲だが、この歌唱は際立っているように思えた。

 

 英語の歌の時も初めての頃は歌詞の内容が分からなくてもメロディや声だけで勝手に情景や想いをイメージして聞いていた。今Kポップに関してはそんな状態。だが、色々探して、聞くこと自体がとても楽しい。

 思えば、随分遅れた韓流ブームだ。 

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中村小山三氏死去

 中村小山三氏死去。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150407-00000006-spnannex-ent

 "勘三郎が生まれた時、すでに六代目菊五郎も初代吉右衛門も亡くなっていたので、彼が直接この二人に教わったことは無い。二人の舞台の映像もほとんど残っていない。勘三郎は父・十七代目を通して二人の偉大な名優の藝を継承していったことになる。さらに、父と同世代の役者たちも、彼が望めば教えた。勘三郎は六代目菊五郎と初代吉右衛門を直接知る人から教わることができた最後の役者だった。どれだけの努力がそこにあったのか。

 その勘三郎が突然、逝ってしまった。

それは当代随一の人気役者の死に留まらず、徳川期から続く何かが断ち切られたことも意味していた。
 平成二十四年(2012)12月5日とは、そういう日だった。 "

 (中川右介著『歌舞伎 家と血と藝』講談社現代新書P415~416より)

 

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 今日、訃報が流れた中村屋小山三さんは十七代目が「俺が死んだら小山三を一緒に棺桶にいれてくれ」と言ったほどの人で、現・勘九郎、七之助の養育係りでもあった。勘三郎が江戸期からの芸を継承する最後の役者と言うなら、彼は江戸期からの藝が今に引き継がれるのを助けるのに生涯をかけた人と言って良いのだろう。

 最後に見たのは2013年歌舞伎座『東海道四谷怪談』での序「宅悦地獄宿の場」の宅悦女房役だった。ものすごい喝采だったっけ。

 藝というのは代が重なれば段々に薄まって形を変えてしまうものなのだろうか?分からないが父・勘三郎を通して、また十七代目達の世代を直に知る小山三さんを通して、勘九郎、七之助にその"江戸"が継承されていると信じたい。

写真はネットで拾った大人気の"小山三ストラップ"。前に買おうとしたら売り切れだった。

 ご冥福をお祈りします。

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