中村小山三氏死去
中村小山三氏死去。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150407-00000006-spnannex-ent
"勘三郎が生まれた時、すでに六代目菊五郎も初代吉右衛門も亡くなっていたので、彼が直接この二人に教わったことは無い。二人の舞台の映像もほとんど残っていない。勘三郎は父・十七代目を通して二人の偉大な名優の藝を継承していったことになる。さらに、父と同世代の役者たちも、彼が望めば教えた。勘三郎は六代目菊五郎と初代吉右衛門を直接知る人から教わることができた最後の役者だった。どれだけの努力がそこにあったのか。
その勘三郎が突然、逝ってしまった。
それは当代随一の人気役者の死に留まらず、徳川期から続く何かが断ち切られたことも意味していた。
平成二十四年(2012)12月5日とは、そういう日だった。 "
(中川右介著『歌舞伎 家と血と藝』講談社現代新書P415~416より)
今日、訃報が流れた中村屋小山三さんは十七代目が「俺が死んだら小山三を一緒に棺桶にいれてくれ」と言ったほどの人で、現・勘九郎、七之助の養育係りでもあった。勘三郎が江戸期からの芸を継承する最後の役者と言うなら、彼は江戸期からの藝が今に引き継がれるのを助けるのに生涯をかけた人と言って良いのだろう。
最後に見たのは2013年歌舞伎座『東海道四谷怪談』での序「宅悦地獄宿の場」の宅悦女房役だった。ものすごい喝采だったっけ。
藝というのは代が重なれば段々に薄まって形を変えてしまうものなのだろうか?分からないが父・勘三郎を通して、また十七代目達の世代を直に知る小山三さんを通して、勘九郎、七之助にその"江戸"が継承されていると信じたい。
写真はネットで拾った大人気の"小山三ストラップ"。前に買おうとしたら売り切れだった。
ご冥福をお祈りします。
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