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30度目の歌舞伎~蛇柳(じゃやなぎ)

 仕事帰りに、今日、歌舞伎を見に行った。團菊祭五月大歌舞伎・夜の部・第二幕・歌舞伎十八番「蛇柳」。

 市川家の歌舞伎十八番と言っても十八の演目全てが演じられているとういう訳ではなく、中にはほとんど演じられない芝居や中にはわずかな資料が残っているのみでどんな内容だったのかも分からないものもある。

 この「蛇柳」もその一つ。平成25年(2013年)8月にシアターコクーンで当代海老蔵が復活させたが、古典のテイストをふんだんに盛り込まれてはいるのだろうが新作に近いのだろう。現代(いま)に作られる古典。海老蔵の意気込みが感じられる。さて、どんなものかと、見てみたいとずっと思っていた。丹波の助太郎実は蛇柳の精魂、金剛丸=海老蔵、住僧定賢=松緑、他。

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 話はシンプルで高野山奥の院にある霊木蛇柳。これは災いをもたらす大蛇を弘法大師が柳に変えたと言われるもので、この蛇柳にもののけが現れ仏法の妨げをするというので住僧定賢が退治するために現れる。そこに亡くなった妻の霊を供養したいと助太郎がやって来て・・・と、印象としては「黒塚」と「暫」が合わさったようなストーリーの舞踊劇。

 蛇柳もさることながら、今後、これが本当の古典とされていくならば定賢役も大事になるのだろうナ、と思った。劇評では色々言われていたが、僕は面白く見た。

 蛇が異常行動を起こすと地震が来ると言う説があるらしいが、今日、関東では大きな地震があって、四年前の悪夢が頭をよぎった。なので偶然にも市川家の睨みで厄払いした形になった。巳年なのに蛇退治を見て喜んで良いのか?という気もするが良い。今日は良い。

 家内安全、無病息災、病気平癒。

 写真は東銀座駅の木挽町広場で見た、ねぶた面(おもて)。歌舞伎隈取。竹浪比呂央氏作。
 

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映画「白磁の人」~木を植える理由

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「木を植えるのは素晴らしい 木が育つのは美しい 大きく育った豊かな木 大きな木は大好きだ 大きな木は大切 だけど僕は思った ぶった切ってやりたい木もあることを」(中川五郎「トーキング烏山神社の椎の木ブルース」より)。

 少し前のことになるがゴールデン・ウィークの初日、僕は息子と連れ立って千歳烏山の烏山神社に行った。理由はフォークシンガー中川五郎さんの「トーキング烏山神社の椎の木ブルース」に歌われている例の椎の木を一度この目で見てみたいと思ったから。

 歌(語り)の中で何故この木が、ぶった切ってやりたい!と言われるのかは、どうか歌(語り)を聞いて頂きたい。

 https://youtu.be/YeEOBiyycfY

しかし、今日書きたいのは、時を同じくした頃、半島の地で全く意味の違う木を植え続けた人のこと。

 その人の名は浅川巧という。統治時代、朝鮮で植林し、その一方で李朝白磁の歴史的価値と美を見出し、柳宗悦に民芸運動を促した人。あの時代にこんな日本人がいた。江宮隆之著の小説「白磁の人」によって広く知られることになった人だが、小説はその後、映画化もされた。

http://hakujinohito.com/index.html

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 良く発掘の現場で青磁や白磁の小片が出土しただけで色めき出す人がいるが、そんな時、恥ずかしながら僕はいつもポカンと見ていた。が、この小説を読み、映画を見た後、今後は僕もそうなるのだろう、という予感がある。

 映画のTrairerを貼り付けようと思ったが、見ていたら韓国のテレビでこの映画が紹介されている動画を見つけた(音声が悪いが)。映像の中のコメントで“今、日本は韓流ブーム”と紹介されているが、本当にそうだろうか?

 

 巧が世界に先駆けて発見した植林法で植えたのはチョウセンゴヨウマツ。しかし、最近、巷の空気は「烏山神社の椎の木」的だ。

 ぼくらは巧が植えた木を植えなければいけない。

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映画「私の少女」を見た。

 映画「私の少女」を見た。
 http://www.watashinosyoujyo.com/

 青い海と風にそよぐ緑の田園。風景はこんなに美しいのに、その中を駆ける傷だらけの少女が、ここにも悪が居直って在ることを冒頭から告げている。
 すんなりと暴力が容認されているこの物語の舞台である韓国の小さな漁村は、しかし今の世界の縮図かもしれなくて、主人公はそれを取り締まる側の人間だが、人であるがゆえに自身もまたある欠如を抱えている。

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 虐待から逃れようとする少女とその事実から逃げない女。二人の孤独が共振してやがて展開する異様な物語に目が離せなくなった。

 先頃、マカオで行われたアジア・フィルム・アワードにてぺ・ドゥナがこの『私の少女』で主演女優賞を受賞したと知って見に行ったが、彼女もさることながら目が釘づけになったのは小さな「怪物」を演じたキム・セロンの方。

 こうした女性映画を見るたびにいつも罪悪感の中に置き去られる気持ちになるのは何故だろう?男というだけで「道」のザンパノの野蛮さの側に立たされるが、この映画の女二人は狂るったり死んだりしない。これは希望についての映画だ。そしてラストに見つめ合う二人の瞳には色々な意味が含まれていると思った。

 監督はこれが初監督であるチョン・ジュリ。とにかく脚本が素晴らしい。今後とも追いかけて見たい作家が一人増えた。

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