ライブレポート 「ライ麦畑の歌工場」 小山卓治×磯部舞子×中川五郎を見た。
Photo : masashi koyama
昨夜、下北沢の「空知風知(フーチークーチー)」で小山卓治と中川五郎のジョイントライブを見た。「ライ麦畑の歌工場」。未明に例の安保法制強行採決があり、その日の夜にこのライブを見たことは今後ずっと記憶に残るだろうと思った。シルバーウィーク初日。“”目覚めたらみんな腰まで泥まみれ”。季語なし。オープニングアクトは元シェイクスの黒水伸一、二つの世代のシンガーの思いを柔らかく橋渡ししているようなヴァイオリンの磯部舞子が素晴らしかった。
“ブランク70s(セブンティーンズ)”なる言葉がある。60年代の熱い政治の季節に乗り遅れ、その後の70年代を、「祭り」らしいものが何もなくポッカリとあいた空白の時代だと指す言葉。でもそのポッカリはその後の80sも90s・・・もずっと続いていて、僕などは全くそこに属する。そして80年代に小山卓治が登場した時、彼はその“ブランク”な日々を生きることの虚しさや焦燥を織り込んだ物語を歌っているようで僕らは驚喜した。「1WEST 72STREET NY NY 10023 」や「傷だらけの天使」、「Passing Bell」は僕らの歌だ。当時そう思ったし、今も思っている。
そして中川五郎さん。60年代の新宿西口フォークゲリラの時代からずっと歌い続け、今も日本中のライブハウス、コーヒーハウス、居酒屋、国会前etcで歌っている日本フォークソングの草分けの一人。「ミ―&ボビー・マギー」、「ミスター・ボードジャングル」「腰まで泥まみれ」・・・僕には五郎さんの訳と知らずにいつの間にか知ったアメリカのフォークソングやトラディショナルソングがいくつもある。「歌」をそのようにあらしめる事。五郎さんが日々していることはきっとそういうことで、フォークソングとはその意味の通り=無名の民衆の歌だということ。五郎さんは日本に実はとても少ない本物のフォークシンガーだと思う。
黒水伸一のオープニングアクトに続き、二人の共演はまず小山卓治から。もうベテランに部類に入る黒水、小山両人が66才の五郎さんを前にして「今日は自分らの後輩っぷりを見て欲しい」と言っていておかしかった。
小山卓治を見るのは多分25年ぶりくらいだろうか。アルバム「The Fool」が出た頃、渋谷で見て以来だ。ステージは「夢の島」から始まったが、それは僕が知っている小山卓治。だが、意外にも僕が昨夜わし掴みにされたのは「パパの叙事詩」「おばあちゃんの歌」などの最近の“包容力を増した”歌だった。視線が低く、人の気持ちにそっと寄り添うような歌たち。そしてそれに続く名曲「ひまわり」。小山卓治の歌は古いフランス映画を見ているようだ。それらの歌の連打は僕の眼前に亡き父と母を、祖父母を、そして、今はもう頭の中にしかない故郷福島いわきの炭鉱の町の風景を現出させた。粒子の粗い古いフィルムが頭の中でカラカラと回わった。不覚にも落涙してしまいそうになった。
五郎さんのステージははイギリスのバンド、ブリンズレ―・シュワルツのナンバー「What's so funny about peace ,Love and understanding」から始まった。曲は「For a life」、「Licence to Kill」・・・と続いたが、「僕はチューニングは気にしません。」とギターをかき鳴らす姿からは、昨日の閣議決定に対する怒りと悔しさが全身から発せられていた。バンジョーに持ち替えて歌われたのはリヤカーに小さなアンプを乗せ、反核の歌を歌い続け夭折した友人に捧げられたというナンバー「一台のリヤカーが立ち向かう」。歌詞に今の国会前の風景が織り込まれていた。ウディ・ガスリーの頃、フォークソングはたった今世の中で起きていることとそこに在る感情を大衆に伝えるニュースの役割もあったのだ。
で、見ている誰もが興味深深だった二人の共演曲は、ボブ・ディランの「時代は変わる」、ニッティ・グリッティ ダートバンドの「ミスターボードジャングル」、ピート・シガーの「腰まで泥まみれ」の、それぞれ中川五郎訳。そして小山卓治の「種の歌」だった。ブルース・スプリングスティーンとピート・シガーみたいだった。
最後は出演者全員による中川五郎訳の「We shall over come 大きな壁が崩れる」。が、主催者の若松さんからアンコールのリクエストがあって、本当の最後の最後は中川五郎&磯部舞子の二人による「ミ―&ボビーマギー」。“自由とは失うものが何もないことさ”。今、若松さんが引き継いでいるこの“ライ麦畑のうた工場”を約25年前に主催していたシンガー故下村誠も中川五郎訳でこのナンバーを良く歌っていたっけ。
「歌で世の中を変えることができるなんて僕は思っていません。」と、昨日、五郎さんは何度か、少し悔しそうに言った。詩は必敗の歴史、とは僕の好きな詩人田村隆一の言葉だ。だが、例えば僕は五郎さんの「トーキング烏山神社の椎の木ブルース」を聞いて韓国語の勉強を始めた。歌は人に小さな一歩を踏み出させることはできる、と思う。
最後に昨日も歌われたディランの「時代は変わる」の一節を・・・と思ったが全文を。今、ボブ・ディランのアルバムを買うとその歌詞対訳は全部中川五郎訳になったと聞いた。しかし、うちには古い片桐ユズル訳のものしかないので今回はそれを。「懐かしのうた・・になんて全然ならなくて、それどころか今現在の日本のことを歌ったうたのようです」と昨日のステージで五郎さんは言った。ホント ピッタリ。
小山さん、五郎さん、若松さん、素晴らしい夜をありがとう。
時代は変わる
ここかしこにちらばっているひとよ
あつまって
まわりの水かさが
増しているのをごらん
まもなく骨までずぶぬれになってしまうのが
おわかりだろう
あんたの時間が
貴重だとおもったら
およぎはじめたほうがよい
とにかく時代はかわりつつあるんだから
ペンでもって予言する
作家や批評家のみなさん
目を大きくあけなさい
チャンスは二度とこないのだから
そしてせっかちにきめつけないことだ
ルーレットはまだ回っているのだし
わかるはずもないだろう
だれのところでとまるか
今の敗者は
次の勝者だ
とにかく時代はかわりつつあるのだから
国会議員のみなさん
気をつけて
戸口に立ったり
入り口をふさいだりしないでください
傷つくのは
じゃまする側だ
たたかいが そとで
あれくるっているから
間もなくお宅の窓もふるえ
壁もゆさぶられるだろう
とにかく時代はかわりつつあるのだから
国中の
おとうさん、おかあさんよ
わからないことは
批評しなさんな
むすこや むすめたちは
あんたの手にはおえないんだ
むかしのやりかたは
急速に消えつつある
あたらしいものをじゃましないでほしい
たすけることができなくてもいい
とにかく時代はかわりつつあるのだから
おとうさん、おかあさんよ
わからないことは
批評しなさんな
むすこや むすめたちは
あんたの手にはおえないんだ
むかしのやりかたは
急速に消えつつある
あたらしいものをじゃましないでほしい
たすけることができなくてもいい
とにかく時代はかわりつつあるのだから
線はひかれ
コースは決められ
おそい者が
つぎには早くなる
いまが
過去になるように
秩序は
急速にうすれつつある
いまの第一位は
あとでびりっかすになる
コースは決められ
おそい者が
つぎには早くなる
いまが
過去になるように
秩序は
急速にうすれつつある
いまの第一位は
あとでびりっかすになる
とにかく時代はかわりつつあるのだから
by ボブ・ディラン
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