故遠藤周作はその著書「イエスの生涯」で、ユダヤ社会において初め救世主と目され、その後、期待外れ(あるいは裏切り者)だと蔑まれ、やがては十字架に架けられる無力で弱い人間としてイエスを描出して見せた。そして本書「ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか~語り得ないものとの闘い」(同時代社 ジェイムス・W・ダグラス著 寺地五一 寺地正子訳)の読後、私が想起したのはこのイエスの姿である。
無論、著者は自分がカトリックの神学者だからとは言え、ケネディにイエスを重ね彼を神格化しようとしたのではないだろう。ただ、紛れもない“冷戦の戦士”だった彼がキューバ危機を契機に対話路線へと転向し、敵であるフルシチョフやカストロとさえ対話への門戸を開き(開こうとし)、そしてベトナムからの撤退を指向するに至って、裏切り者、あるいは(冷戦下における)文明の破壊者としてCIAと軍産共同体の共謀によって砲火を浴びる様は、その展開自体、多分に福音書的だ。本書が凡百あるケネディ本と一線を画するのは正にこの点に尽きる。
もちろんこれは宗教書ではなく、長い年月をかけての資料分析からなるJFKの死の真相に迫ろうとした一書である。700ページからなる大著。その点、内容はスリリングだし、資料の読みも深い。特に主人公であるケネディと同量のページが割かれているオズワルドについての考察は一級のサスペンス以上に読ませる。そしてここでも個人的には、真相はどうあれ、この“ケネディが好きだった”というオズワルドは、あの「ユダ福音書」でのユダの役回りとして描かれているように思えてならない。
JFK法が施行され、以前より多くの資料が明らかになってきているとは言え、本国アメリカではケネディ暗殺の真相について語るのは未だタブーの領域にあるらしい。しかし、特に1991年公開のオリバー・ストーンの映画「JFK」公開以降、ケネディ暗殺はオズワルドの単独犯行によるものではなく、CIAと軍産共同体による共謀であるという説は、多くの人にとって暗黙の了解になっている(と思う)。そして、本書はその「暗黙の」という点が未だに世界に平和がもたらされていない大きな理由だと言っている様でもある。
原題にある“UNSPEAKABLE”とは言葉にできないほど邪悪で巨大な勢力を指す、著者が敬愛するカトリック作家トーマス・マートンの造語。この“UNSPEAKABLE”をあぶり出し、可視化すること。かつてあのマハトマ・ガンジーはそのサティア・グラハの実験の中で神学の言葉を逆転させ「真理が神である」と語ったという(P23より)。ケネディの死の真相を執拗に追及することの意味。それは政治的な問題である以上に、私たちの内側の問題なのかもしれない。
本書は全部で六章から成るが、著者あとがきの後に JFKが1963年6月10日にアメリカン大学卒業式に行ったスピーチの全文が添えてある。当時、共産主義勢力からは驚きをもって迎えられ、逆に西側社会、特に本国アメリカでは黙殺され、彼の暗殺の引き金にもなったと言われるスピーチだが、これを読むともしかしたらあり得たかもしれない世界を思って切なくなる。と同時に、見渡すともはや夢物語でもあるかのような世界平和への思いが呼び覚まされるような気もする。あたかも上述した遠藤の著作の中でダメな弟子たちが十字架からのイエスの言葉を聞いて、ようやく彼の真意を悟り、その後、使徒となるように。
やはりこれは現代アメリカ政治史の形を取った新しい福音書だと思う。
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