岡本おさみ氏死去~「襟裳岬」の頃
作詞家・岡本おさみ氏の訃報を聞いて、ここ数日、何年かぶりに吉田拓郎の歌をまとめて聞いた。「落陽」「祭りのあと」「都万の秋」「制服」「旅の宿」「襟裳岬」「アジアの片隅で」・・・私の好きな拓郎ソングの多くは彼のペンによるもの。そして、聞いてみて拓郎の70年代のあのカリスマ性の何割かは岡本氏の詞(うた)によるものだと思った。
氏逝去のニュースは“あの「襟裳岬」の作詞家・・”という言葉で伝えているものが最も多い。
作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎、歌・森進一の「襟裳岬」は1974年にレコード大賞も取った名曲だが、当時は反体制文化の旗手・拓郎が、体制側に身を売った、と揶揄する声も少なからずあったと記憶する。もちろん今はそうした事は遠い過去へと置き去られ、歌の良さだけが残っている。
年の瀬のこの時期に「襟裳岬」というと、やはり「レコード大賞」のことを考える。当時、レコード大賞は今よりもずっと権威があって、毎年暮れの頃は今年は誰が獲るのかというのが国民的な関心事だった。
「襟裳岬」の頃、自分はまだロックもジャズも知らない小学生で、ジャンルなど気にすることもなく流行歌として何でも聞いて何でも歌っていた。「襟裳岬」の例の歌い出し、“北の街ではもう・・・”のところを森進一の物真似をして、上手いと祖父母に褒められたりしていた。大晦日、二人が管理人をしていた常磐炭鉱の浅貝保養所の食堂に親戚一同が集まって、皆で固唾を飲んで「レコード大賞」を見ていた。おじさんたちが段々と酔っぱらて声が大きくなる傍らで、私ら親戚同士の子供たちが駆けまわり、気が向くとテレビを見て歌っていたっけ。良い時代だった。
岡本おさみ氏がどんな人生を送った人かは全く知らない。知っているのは彼が旅の詩人だったということ。ケルアックの小説やヴェンダーズのロードムービーを知るずっと以前に、旅への憧憬を私は氏の書く詞によって植え付けられていたことを知った。日本の演歌には何故か北を旅する歌が多いが、「襟裳岬」の詞はその終着点で一息つけるような暖かさと人を再生さすような優しさがあって、それが何処からもたらされたものなのか、今、興味がある。
写真はウキぺディアにあった襟裳岬の写真。歌がヒットしていた当時“襟裳の春は何もない春です”という歌詞に住人が抗議するということがあったというが、今は島倉千代子が歌った同名の別のうたのもと並んで歌碑が立っているとか。
氏のご冥福をお祈りします。
日々の暮らしはいやでも/やってくるけど/静かに笑ってしまおう/いじけることだけが生きる事だと/飼いならし過ぎたので/身構えながら話すなんて/ああ 臆病なんだよね/襟裳の春は何もない春です/寒い友達が訪ねてきたよ/遠慮はいらないから温まっていきなよ。
(「襟裳岬」 詞 岡本おさみ)
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