僕らはまだ揺らめいている巨大なものの前にいる
昨日の3・11
PM2:46に
市の放送があって黙祷した
しかし 実際は
地震があったこの時間からさらに
約10~15分後に起きた津波によって
被害は
甚大なものになった
去年のその時のことを
思い出すと
自分は都心のプレハブの
3階にいて
何かのアトラクション
のような目に合った後
外に出て
現実とは思えないほど揺らめいている
高層ビルを呆然と
見つめていた
周囲も皆
騒然としていたが
実は その時にこそ
津波という
もっと具体的な
悲劇が始まっていたのだが
誰も知らなかった
その時には
文字通り
悲劇が渦巻いているのに
何も知らずにいた
あの10~15分間が
その後の1年をずっと覆っていた
ような気がする
いくら いろんな事実が
明るみになっても
まだ自分は何かを知らないでいる
という感覚が あの時から始まったのだ
3・11は
終戦記念日や
防災の日のような
記念日や祝日にはならないだろう
僕らはまだ
揺らめいている巨大なものの前にいる
それは
高層ビルではない
2012.3.12
今日は沈黙しよと思っていたが、思いがけず自分のブログの過去のある文章が普段より大勢の人に読まれていることを知り、せっかくだからと思ってその文章を行分けして詩のようにしてみた。
今日の2:46に自分の周りでは放送もサイレンもなかった。が、自分のこの時の気持ちは真空パックされたままです。黙祷。
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